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勢力移行論を使って世界情勢の安定性を評価する:World Politics(1958)

国際政治学の研究領域では、各国の勢力関係の優劣が大きく変化することを勢力移行(power transition)と呼んでおり、これが大きな戦争を引き起こす原因になると認識されています。イタリア出身の政治学者オルガンスキー(A. F. K. Organski)は、このメカニズムをいち早く特定した先駆者であり、1958年に発表した著作『世界政治(World Politics)』は勢力移行論の古典的な業績として今でも高く評価されています。アメリカの大学では、長らく国際政治学の教科書として使われていた一冊であり、1968年に改定された第2版が出版されていますが、日本では翻訳されたことがないので、あまり知られていないかもしれません。

新興国の経済発展が国際政治にもたらすリスクを考える上でも、また中国の動向を理解する上でも興味深い著作なので、その一部の内容を紹介してみたいと思います。

Organski, A. F. K. 1968(1958). World Politics. second edition. New York: Alfred A. Knopf.

1 序論
2 国家とナショナリズム
3 国家が成長する過程
4 国家目標
5 国家目標の決定要因
6 国力の性質
7 勢力の自然的要因
8 勢力の社会的要因
9 勢力への道のり
10 植民地主義
11 新植民地主義:経済的従属と衛星国
12 勢力均衡
13 恐怖の均衡
14 勢力移行
15 外交
16 集団安全保障
17 パズルの背景
18 国際機構
19 将来の行方

オルガンスキーの勢力移行論の前提にあるのは、国家がそれぞれ異なった目標や能力を持っているという認識です。国家の目標は国内で最も政治的に影響力が強い集団や個人の利害に基づいて選ばれており、その内容も平和の維持、勢力の拡大、富の増進、文化の発展などさまざまです。ここで重要なことは、国家が抽象的な国益(national interest)を追求しているのではなく、国内政治の利害関係者の意向によって国家目標(national goals)を調整すると想定されていることです。

国家目標が達成できるかどうかは、国家が保有する能力にかかっているともオルガンスキーは論じています。国家能力は人口、政治組織の効率性、経済発展の程度、国民の士気、資源、そして地理的な要因などで決まると想定されており、国家能力が大きくなるほど、その国家は説得や威嚇、あるいは武力の行使によって他国の行動に影響を及ぼすことが容易になると考えられます。したがって、国際社会には国家能力に応じた序列が形成されており、最も強い能力を有する支配国家(dominant nation)を頂点とするピラミッド構造が成立します(Organski 1968: 364)。支配国家の下位階層に位置するのが大国(great powers)であり、さらにその下位には中小国(middle and small powers)が続きます。国際社会で著しく能力に劣った国家は、ピラミッドの底辺に位置する従属国に該当します。

このような国際社会の内部では必ず現状に満足する国家と、不満を覚える国家が出てきます。特に能力が小さい国家は、国際社会の現状に対して不満を感じることが多いため、可能であれば自国に有利な仕組みになるように変更したいと願っています。しかし、国際社会の頂点に位置する支配国家は圧倒的な能力を持っているので、それは容易に実行できません。ただ、経済発展によって工業化に成功し、能力を向上させることに成功した国家が出現すると、既存の国際秩序のルールを変えようとする場合があります。つまり、工業化に成功した新興国は、挑戦国家(challenger)として国際社会の現状変更を試みる勢力になる可能性があるのです(Ibid.: 365)。国際社会で勢力移行が起きるのは、現状を維持する支配国家に、現状を変更したい挑戦国家が次第に追いつき、勢力関係が均衡状態に近づいたときであるとオルガンスキーは考えました。

「つまり、強い能力を持ち、かつ満足している国家が、他の同盟諸国と共に、挑戦国家とその同盟諸国に対して、圧倒的に優位な勢力を維持している場合、つまり現状の維持を支持している国々の勢力が大規模で、どのような軍事的な挑戦も成功する見込みがないような場合に、平和は最も維持されやすいということである。そして、戦争は不満を抱く挑戦国家とその同盟諸国の勢力が、現状維持側の諸国の勢力に追いつき始めるとき、最も起こりやすくなる」(Ibid.: 370)

勢力移行論が勢力均衡論と大きく異なっているのは、現状変更を図る国々が、現状維持を図る国々と同程度の能力を持っている場合に戦争のリスクが高くなると説明している点です。さらにオルガンスキーは現状変更を目論む国家の能力が急速に拡大することや、支配国家が提示された要求に柔軟に応じず、拒絶することも戦争を避けがたいものにする要因になると指摘しています(Ibid.: 371-5)。興味深いのは、外交努力によって挑戦国家と支配国家との間の利害の対立を抜本的に解消することは困難であるという指摘です。工業化によって実質的に支配国家と同等の能力を獲得した大国は、もはや支配国家に有利な既存の国際秩序を受け入れるよりも、まったく新しい国際秩序を形成し、自らが支配国家となる方が有利になります。

勢力移行論では、経済発展の見通しが国際社会の将来を予測する上で役に立つと考えられています。本書を執筆した当時のオルガンスキーが着目していたのは、アメリカ、ソ連、そして中国の動向であり、ソ連に関してはアメリカに追いつく見込みはあまりなく、20世紀末までアメリカは国際社会の現状を維持できると予測しています。しかし、いったん中国が工業化されたならば、その能力はアメリカに匹敵する可能性があるとオルガンスキーは見ていました。「予測は難しい」と述べつつも(Ibid.: 486)、彼は第三次世界大戦はアメリカと中国との間で発生するのではないかという見方を示しています。

1 中国は遅かれ早かれ勢力の面でアメリカに匹敵する国である。
2 中国の勢力が台頭していることは顕著だったが、中国とアメリカはいずれも国際社会の新しい現実に現実的な姿勢で取り組むことに難しさを覚えてきた。事実、本書を執筆している時点(訳者注:1968年)で、アメリカは中国本土を統治する中国共産党を法的に承認してさえいない。
3 中国とアメリカはいずれも他国との交渉において深刻な硬直性を示しており、潔く譲歩することは想像もつかない。
4 現在の中国の指導部は、武力に訴えることが国際的な立場を有利なものにすると確信している可能性がある。確かに、中国はインドとの武力紛争、朝鮮半島におけるアメリカとの武力紛争における行動によって大国としての地位を要求することを容易にしてきた。
5 アメリカと中国との間には友好関係を形成してきた伝統がなく、悪い感情を抑制することが難しい。(中略)
6 ソ連と同じように、中国は世界の指導的国家としてのアメリカの地位を奪い取ろうとしているだけではなく、アメリカを頂点とする国際秩序を破壊することをも目指している。中国の指導部は西側の国際秩序のルールを受け入れるつもりはなく、また受け入れることもできない。西側も同じように、共産主義が世界に強制されたならば、それに伴って必要とされる変更を受け入れることができないことに気が付くだろう(Ibid.: 488-9)。

1960年代にオルガンスキーが中国の平和的な台頭が困難であることを、これほど的確に予見していたことは、もっと評価されるべきではないかと思います。彼の研究成果のすべてが今でも通用するというわけではないのですが、勢力移行論の最も基本的な考え方は現在でも有益なものであり、これから世界で何が起こるのかを予測する上で参考になる知見が含まれています。

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