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論文紹介 第一次世界大戦でドイツ軍はどのように偽装の技術を取り入れたのか?

1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発してから間もなく、フランスではルイ・ギノー(Louis Guingot)と、リュシアン=ヴィクトール・ギラン・ド・セヴォラ(Lucien-Victor Guirand de Scévola)という二人の画家が迷彩服という技術革新の着想を得ました。迷彩服は地面や植物などに溶け込み、使用者の体の輪郭を目立たせないようにデザインされた被服であり、戦場で敵に発見される確率を低下させる効果がありました。1915年にフランス陸軍は迷彩服の重要性を認識し、組織的な研究開発に乗り出しましたが、すぐにイギリス、ドイツ、イタリア、アメリカも追随しました。

迷彩服が短期間で世界各国の軍隊に普及したことは、第一次世界大戦で偽装がどれほど重要な技術になったことを示しています。開戦直後は防御陣地、特に掩体の存在を敵の目から隠すだけで十分と考えられていた偽装ですが、航空偵察が行われるようになってからは、人員、武器、装備、車両、施設など、あらゆるものが偽装の対象になりました。次の論文は、ドイツの視点で偽装の技術が第一次世界大戦の戦闘様相を変えた経緯を論じたものです。

Christoph Nübel (2015) Modern warfare: camouflage tactics (‘Tarnung’) in the German army during the First World War, First World War Studies, 6:2, 113-132, DOI: 10.1080/19475020.2015.1067636

1915年、プラハ出身のドイツ語作家であるフランツ・カフカは列車で旅行していたときに、車窓からドイツ軍の偽装が施された陣地を目にしたことがあります。そのとき、カフカは乗客の一人が「見事に地形に溶け込んでいる」と口にしていたことを日誌に書き留め、「地形を知るためには、四肢動物のような本能が求められる」と自らの所感を書き残しました(Nübel 2015: )。これは近代戦における偽装の効果を端的に要約した言葉であり、偽装の技術が発達したことで、戦闘は単なる火力の優劣を競い戦いではなく、情報の優劣を競う戦いとしての性格が強くなりました。

著者の研究は、第一次世界大戦におけるドイツ軍が戦場で部隊、個人、施設の偽装をどのように発達させてきたのかを解明しようとするものですが、偽装の技術の重要性に関しては19世紀後半にも議論があったことが指摘されています。イギリスの生物学者チャールズ・ダーウィンの進化論が影響力を増す中で、人々は生物が外敵から自らの身を守るため、進化というメカニズムを通じて外敵の目を欺くような身体的な特徴、すなわち擬態を獲得する場合があることを理解し始めていました。著者はこうした科学的な知見を背景に、一部のドイツの軍人が兵士の被服の色合いを周囲の環境に溶け込みやすいものにすることを考え始めたことを紹介しています。1905年にはフライターク=ローリングホーフェンが戦闘が昔に比べて狩猟やスポーツのような活動に近くなったと述べ、遠くから目立つことがなく、また動きやすい戦闘服を導入することによって、歩兵部隊の能力を向上させることができると主張しました(Ibid.: 117)。1908年にドイツ軍で発行された教範では、歩兵を密集させて戦列を組み、敵に対して一斉に射撃を加えるような方法は、もはや現代の戦闘では通用しないだけでなく、全滅しかねないとさえ警告されていました(Ibid.)。1910年の教範では、19世紀の戦争で遠くから視認しやすい赤い軍服を採用した軍隊の損耗率が際立って高いことも論じられています(Ibid.)。第一次世界大戦でドイツ軍が広く使用した灰色の戦闘服は1907年から1910年にかけて支給が始まっていたことも考えれば、偽装技術は必ずしも第一次世界大戦以降になってから導入されたとはいえません。

しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発したことによって、偽装の重要性はそれまでとは比べ物にならないほど大きなものになりました。その決定的な変化をもたらした要因として、著者は航空偵察の影響を挙げています。この影響の大きさはいくら強調してもしすぎることができないものであり、陸軍は部隊、装備、施設の存在を敵に隠すために、それまでとは抜本的に異なった方法をとることを強いられました。西部戦線に展開したドイツ軍はイギリス軍やフランス軍に対して航空優勢を維持することができず、しばしば陣地の編成や装備の位置が暴露されることがありました。その対策として、ドイツ軍は敵の航空偵察が不可能な天候の日中か、あるいは夜間に陣地の構築を実施するようになりましたが、このような対策だけでは敵の航空機の目を欺くには不十分でした。偽装技術はこのような戦闘の新しい状況に応じて導入されるようになりました。1918年にイギリス軍が奪取したドイツ軍のある文書では、偽装を「何かが隠されているという事実を隠すこと」と定義しており、「欺騙こそが鍵である」と強調していました(Ibid.: 118)。例えば、火砲をトタン屋根の下に置けば、敵の視界に入らないという意味で隠蔽(conceled)されているとはいえますが、何か重要なものが存在していることを敵に悟らせるので、偽装(camouflaged)されているとはいえないと説明されています(Ibid.)。これは偽装を隠蔽とはっきり区別し、それが独特な意義を持っていることを示唆しています。

軍事史の視点で興味深いのは、このような偽装の意義が上層部で認識されていたとしても、現場の部隊の活動に適応することは容易ではなかったという著者の指摘です。いくつか例が示されていますが、例えば1914年12月にバイエルン第6予備師団で上空に偵察機が現れた場合の対処要領として、部隊を敵の目に晒さないようにするように指導していました。ところが、実際に上空に敵機が現れてみると、警戒のためにドイツ兵は次々と掩体から飛び出してきてしまい、部隊の所在が敵に察知されたことがありました(Ibid.: 119)。この時期には偽装の意義を兵士に学ばせる教範も作成されていますが、ドイツ軍では上空と地上のどちらの方向から偵察されたとしても、敵の目を欺けるような偽装を施すべきであって、そうではない偽装がどのようなものかを具体例と共に解説していました(Ibid.)。

例えば、定規で引いたような直線の陣地は不自然であるため、遠くからでも簡単に発見されてしまうため、避けなければなりません。集落、小道、生垣、小川、森林など、現地の地形や植生に溶け込める偽装には発想を柔軟に変化させることにも着意しなければなりませんでした(Ibid.: 120)。常に実行可能であったわけではありませんが、季節の変化や場所の特性に応じて、装備品の塗装に使うペンキの色合いも調整するように求められました(Ibid.)。偽装の技術を発達させる上でフランスの画家が先駆的な役割を果たしたことは冒頭でも述べましたが、ドイツでも画家が偽装の研究で重要な成果を残しました。第一次世界大戦に動員された画家の一人だったパウル・クレーは、航空機の迷彩の研究に従事しており、同じく画家のフランツ・マルクも上空から発見されないように防水シートに塗装を施すことを依頼されています(Ibid.: 121)。

現在では兵士が戦場に出る前に顔にドーランを塗るといった個人の偽装が当たり前の技術になっていますが、第一次世界大戦におけるドイツ軍では個人の偽装が必ずしも徹底されていませんでした。そのため、多くの兵士が代償を支払うことになりました。著者は銃撃戦で負傷したドイツ軍の兵士の状態に関して調査した研究を紹介しており、頭部あるいは頸部を負傷した兵士が54%と半数以上を占めていたことが明らかにになっています。その原因として戦場では人の肌の色が極めて目立ちやすいと説明されており、たとえ1,000メートル先からであっても肌色は判別が容易であるとも述べられていました(Ibid.: 122)。対策としては、兵士に目出し帽や手袋を着用させることが提案されており、また冬に降雪があったときは、白色に変更する必要があるとも考えられていました(Ibid.)。

著者が調査したところ、顔に色をつけるような偽装方法に関しては、組織的な取り組みとして行われず、それぞれの兵士が個人として取り組んでいたようです。1917年には草木を身に着けて輪郭を消し、また顔を黒く塗った兵士が発見されにくいことを確認するための実験も行われていますが、それでも直ちにドイツ軍として統一的な方法を示すまでには至らなかったようです(Ibid.)。1918年になってからは、ドイツ軍として西部戦線で攻勢作戦を発起する準備が進められていますが、そのときに一部の部隊で突撃部隊の鉄帽に砂袋をかぶせるか、あるいは粘土を塗り付けて輪郭を消すように指示が出されました(Ibid.: 123)。

1918年には歩兵だけでなく、砲兵にも偽装を徹底するように指示が出ています。1916年の時点で砲兵部隊の運用では、車両の移動が路上に残す跡を消しておけば十分とされていました。しかし、1918年には砲兵陣地を既存の道路のすぐ傍に設定されるようになりました(Ibid.: 124)。また、火砲を据えた際には、その砲口の周囲に水を散布するようになりましたが、これは射撃の際に地面の下草が燃えてしまうことを防ぐためで、このような焼け跡は遠くからよく目立ちました(Ibid.)。砲兵の偽装に関しては迷彩を施すことも行われており、1918年のバイエルン第5予備歩兵連隊の軍医は、日誌の中で視認性を低下させるために迷彩が施された火砲を見たときのことを記録しています(Ibid.: 125)。

第一次世界大戦が軍隊の編成や運用に大きな変化をもたらしたことはこれまでにも繰り返し議論されていましたが、著者の研究は偽装という視点でもその変化が極めて大きなものであったことを明らかにしています。現代の戦闘との関連で興味深いのは、偽装技術が航空偵察に対抗する手段として発達したという点でしょう。戦場で部隊や施設を防護する手段としては、一般的に野戦築城が注目されがちですが、それは戦術的な防護を構成する一要素にすぎません。ドローンのような新しい情報収集の手段に対抗するために、偽装技術にもさまざまな変化がもたらされることでしょう。

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