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兵士の視点から歴史上の戦闘を記述した『戦場の素顔』の紹介

軍事史の著作には多かれ少なかれ指揮官としての視点が盛り込まれています。指揮官にとって重要なことは、どの部隊を、いつ、どこで、いかに敵と戦わせるかであり、部隊を構成する兵士に焦点を合わせることは稀です。

しかし、イギリスの歴史学者ジョン・キーガンは『戦場の素顔(The Face of Battle)』で前線で戦う兵士の個人的な経験に価値があると考えました。上空から戦闘を俯瞰するのではなく、兵士の視点で歴史上の戦闘を生き生きと記述したことで、高い評価を受けています。同書においては、1415年のアジャンクールの戦い(百年戦争)、1815年のワーテルローの戦い(ナポレオン戦争)、1916年のソンムの戦い(第一次世界大戦)が取り上げられています。

いずれも研究者が繰り返し取り上げ、分析してきた戦闘ですが、キーガンは戦略や戦術の理論には立ち入りません。その代わりに、最前線に立っていた兵士たちの動きを細かく再構成し、社会と心理の両面からそれを分析しています。

本書の強みを示すために、第4章で取り上げられたソンムの戦いがどのように記述されているのかを紹介しましょう。

1916年7月1日、フランス北岸のピカルディ地方ソンムでイギリス軍はフランス軍と連携し、ドイツ軍に大規模な攻勢を仕掛けることにしました。当時、イギリスの第三軍第七軍団第五六ロンドン師団はドイツ軍の防御陣地に対する陽攻を実施しています。この攻撃で先頭に立った部隊がクイーン・ヴィクトリアズ・ライフルズ大隊の兵士であり、彼らは当日の7時25分に梯子を使って塹壕を出て、450メートル先にあるドイツ軍の塹壕を目指しました。

戦場の無人地帯には工兵の支援で張られた煙幕がまだ広がっていましたが、その向こう側で灰色の人影が動いていたことを視認できたことが証言されています。指揮をとる大隊長は部隊を横隊に展開して前進させましたが、地面には榴弾の爆発でできた弾孔、敵が足止めのために構成した有刺鉄線、そして散乱した瓦礫があり、兵士は躓きながら、そして障害を避けながら前進しなければなりませんでした。

前進が遅くなることは、それだけドイツ軍の小銃や機関銃の射撃に晒される時間が長くなることを意味しています。それは兵士たちの生存にとって致命的な問題でした。しかし、それでも兵士のほとんどは死の危険を受け入れ、恐怖と折り合いをつけて、作戦命令に従って前進を続けたのです。

第四軍の中央に展開した第三六アルスター師団の攻撃では、まさにそのような光景が見られました。当時、第九ロイヤル・イニスキリング・フュージリア大隊の指揮をとった大隊長の報告をキーガンは本書でそのまま紹介しています。

「私がメガフォンで「がんばれ」と叫ぶとそこここで兵隊がふりかえって私に手を振った。全員が元気いっぱいの顔をしていた。何という兵士たちか! 大多数の者が大荷物を運んでいたのに。有刺鉄線を巻いた大きな輪っかを肩にかついで、激しく撃ってくる銃火に向かって前進していったのにである」(邦訳、キーガン、391頁)

また、別の大隊に所属した一軍曹は次のように攻撃戦闘の様子を証言しています。

「自分の右にも左にも何列もの兵士がえんえんと並んで進んでいるのが見えた。そのとき私はずっと遠くで機関銃がタタタタと鳴るのを聞いた。そこから私が10メートル進むあいだに、まわりに残っている兵士はわずか数名になっていた。20メートル進むと、どうやら私ひとりきりだった。その瞬間に、私も被弾して倒れた」(同上、393頁)

7月1日に始まったソンムの戦いが終わったとき、イギリス軍から出た戦死者、負傷者などの損耗人員は41万9654名に達していました。フランス軍の損耗人員も20万名に近く、壊滅的な損害となっていました。しかし、このような数字ではソンムの戦い、引いては戦闘という複雑な事象の一部しか捉えることができないとキーガンは主張しています。

キーガンの解釈によれば、戦いの最も重要な特徴は、それが人間的な行為であるということです。戦いの研究は、「いつでも恐怖の研究であり、たいていは勇気の研究でもある」とされています(同上、483頁)。それは「いつでも不安の研究であり、ときどきは高揚感と胸のつかえが下りることの研究でもある」とも述べられています(484頁)。本書は、戦場における兵士の心理を理解する上で示唆に富んだ研究であると思います。

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