19世紀の長い平和は軍事力ではなく、国際金融のネットワークで維持されていたとポランニーは主張した
ナポレオン戦争が終結した1815年から第一次世界大戦が勃発する1914年までの間で、イギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、イタリア、ロシアが相互に軍事的に衝突した期間はたった18か月に過ぎないと計算した学者がいます。
その人物はハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(1886~1964)であり、彼は18世紀以前のヨーロッパ史が大規模な戦争の連続だったことを考えれば、19世紀の戦争の少なさは驚くべきことであると指摘しました。
今回はこの議論に関するポランニーの著作『大転換』(1944)の一部の内容を紹介してみたいと思います。
勢力均衡に加えて国際金融の力が重要だった
19世紀のヨーロッパの平和と安定が何によってもたらされていたのかを考え、その根本的な原因が当時の国際金融の著しい発達であったとポランニーは結論付けました。
一般に19世紀のヨーロッパ協調は勢力均衡という外交的要因によって説明されることが多いのですが、ポランニーは勢力均衡が必ずしも歴史的に新しいメカニズムではなく、19世紀に出現した全く新しいメカニズムの影響が大きかったからこそ、ヨーロッパ協調は可能になったと主張しています。
その新しいメカニズムとは「大銀行家による国際金融業」であり、これが19世紀のヨーロッパの平和維持において最も重要な要因であったというのが、ポランニーの基本的な主張です(14頁)。
「大銀行家による国際銀行業は、19世紀最後の3分の1世紀および20世紀の最初の3分の1世紀において、世界の政治的な組織と経済的な組織の間の主要なリンクとして機能した、独特な制度であった。(中略)それは、各国の中央銀行、とりわけイングランド銀行からも独立していたが、一方でそうした各国の中央銀行と密接な関係を維持していた。金融と外交との間には、緊密な接触があった。金融も外交も、相手方の善意を確認することなしには、平和のためであろうと戦争のためであろうといかなる長期的なプランも検討することはなかった。それでもなお、総体として見て首尾よく平和が維持された秘密は、間違いなく国際金融の位置、組織、そして技術にあった」(同上、15頁)
政治的利害に制約されない国際金融のネットワーク
歴史的観点から見れば、国際金融が19世紀以降に注目すべき発展を遂げた業界だったことは確かですが、それは平和のための手段として考案されたのではなく、あくまでも利益のために発展した産業でした。
ポランニーは国際金融業者が時の政治家たちを裏で操っていたと主張しているわけではなく、あくまでも「究極的に経済に秩序を与えたのは戦争であった」と認め、政治の利害が経済の利害を優越したと見ています(18頁)。実際、国際銀行業は各国の銀行と株式取引所の周辺との関係を持っているだけでなく、政府、海外の事業者、銀行へ幅広く融資も行っていました(同上、16-7頁)。
ポランニーが国際金融業が戦時中も国境を越えた取引を維持していたことに注目しています。例えば、1870年に勃発した普仏戦争(1870~71)でドイツとフランスが敵対した際にも、あるドイツの投資銀行がフランスの企業に内密に参加し、政府に睨まれない程度の当たり障りのない取引を継続していたことを紹介しています(同上、18頁)。
戦時下において国際的なシンジケート、つまり債権や株式を発行するために金融業者が団結することさえあったのです(同上)。このように、国際金融は国益に縛られない取引関係を持っていたので、政治的・外交的な対立が深まる中でも、民間のレベルで他国との繋がりを維持し続ける方法を編み出してきました。
このようなポランニーの説は、金融が権力と結託して、植民地獲得競争をけしかけたことが第一次世界大戦の原因になったというウラジミール・レーニンの見方と対立します。ポランニーもそのことは強く意識し、レーニンの説をはっきりと批判しています(同上、23頁)。
ポランニーは自説の根拠の一つとしてイギリスとドイツが1914年6月に調印したバグダッド鉄道に関する包括的な協定のことを取り上げています。この協定によれば、ドイツの鉄道路線をバスラ(イラクの南東部の都市)まで延伸することをイギリスが認める代わりに、ドイツはその先の紅海にまで鉄路を延伸しないと定められていました(同上、19頁)。
これはイギリスとドイツが中東における経済圏を相互に承認し合ったことを意味しており、イギリスの紅海の海上貿易の権益をドイツが尊重する姿勢を見せたことを裏付けています。
ポランニーは1914年に第一次世界大戦が勃発する直前のタイミングでこのような協定が締結されたことは、第一次世界大戦の原因を経済的利害で説明する理論に問題があることの証拠であると考えています(同上、19頁)。
政治的役割を果たした19世紀の国際銀行家たち
国際金融は国家間の紛争によって危機に晒されてきたのであって、彼らは自らの利益を守るためにも国際協調を重視すべきであるという立場を主張してきました(同上、20頁)。ヨーロッパで起きる対立だけでなく、遠く離れた植民地での対立を避けるためにも、国際金融は重要な役割を果たしていました。
「国際的銀行家の影響力はまた、多くの紛争の火種を抱えた中近東及び北アフリカ地域に広がる朽ちかけたイスラム帝国など、世界の広大な半植民地地域における金融の非公式的な管理によっても確保された。銀行家の日常の業務が、国内秩序を基礎づける微妙な要因と触れ合い、平和がもっとも壊れやすい問題地域に対して事実上の行政機能を提供したのは、こうした地域においてであった」(同上、21頁)
ポランニーは国際金融に参加する銀行家が平和主義者だったと主張しているわけではありません。国際銀行家は道徳的な判断に基づいて行動しているのではなく、あくまでも経営的な判断に基づいて行動していました。
しかし、金融市場から引き出される利益を維持するため、彼らは国際協調を望み、それを実現するためにあらゆる影響力を行使し、植民地の行政に関与することさえ厭わなかったのです。
ポランニーは19世紀の外交会議において国際銀行業者の意向が反映されないケースはただの一度もなかったと強調しており(同上、20頁)、そのことが1914年までヨーロッパ列強の外交交渉に影響を及ぼしていたと考えています。
参考文献
カール・ポラニー『新訳 大転換:市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社、2009年