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こころに関する記事

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修行で何ができるようにするのか

修行で何ができるようにするのか

禅寺の修行は、かなり厳しいものと言われています。いったい、何を求めようとしているのでしょうか。

禅の世界では厳しい修行を経て身に具えるべき自在のはたらきとして、以下の七つをあげています。(種伝鈔という書に「七事随身」があり、茶道に適用された)

①大機大用(たいきだいゆう)   相手を見抜くはたらきの機と、
   相手に対してはたらきかける用。並外れた巧みで大きな能力。
②機弁迅速(きべんじんそ

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すべての悩みは自らがつくっている

すべての悩みは自らがつくっている

あなたは悩みを持っていますか。悩みをなくしたいと思いませんか。

私たちが生きていくうえで、避けて通れないのが人との関係です。人との関係は、いろいろな悩みや煩悩・妄想を生み出します。悩みや煩悩・妄想は、それが解決しない限り苦しみへと発展していきます。

ここで、よく考えてほしいのです。悩みや煩悩・妄想を生み出しているのは、誰なのかということです。それは、他人ではなく自分自身なのです。要するに、悩み

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ひとの道を向上する

ひとの道を向上する

私たちは、人格向上のために多大なる努力をしています。ここに言う「向上」とはどのようなことを意味しているのかを、仏教の「仏向上」を例にして考えてみたいと思います。

まずは、「向上」とは、より上であることを意味します。それならば、「仏向上」は、仏より上であることを意味していることになります。

ここで「仏」とは、仏教の修行を通して至る理想者を意味していますから、「仏向上」とは、仏の境涯をも超えること

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 「法」には色々な意味がある

「法」には色々な意味がある

法(ほう)と聞くと、私たちは法律・規則などと思い浮かべます。しかし、もともとは仏教の根本思想の一つであり、サンスクリット語のダルマdharmaの訳語です。dharma は他にも達摩・曇摩(どんま)などの訳もあります。

平たく言うと「法」は、法則・性質・教・真理などの意味と、仏道修行というような道の意味と、ダルマによって支えられる一切の事象をも意味すると考えればいいでしょう。たとえば事象とは、人間

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不思議とされるものなどないのが正しい教え

不思議とされるものなどないのが正しい教え

人間には魂があって、その魂が二つに分離して二人の人間が現れるなどということを信じている人はいるのでしょうか。普通は、魂が有るとか無いということは考えても意味がないのでしょう。正しい教えは「正法(しょうぼう)に不思議なし」と言うように、奇瑞(きずい)・奇跡など一つもないのです。「奇跡や不思議現象が有れば邪教である」ということです。

それでは、昔から言われている神通力というものはあるのでしょうか。

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赤子のような心を何と呼ぶか

赤子のような心を何と呼ぶか

「大人(たいじん)は赤子(せきし)の心を失わず」(『孟子』)ということばがあります。素晴らしい徳のある人は、赤子ないし幼児の純一な心を失わない人という意味です。生まれたままの純粋で清浄なる心を持っているのです。

このような言い方は、色々な世界で言われています。キリスト教では、「赤子のような心でなければ神のもとに召されない」と言いますし、禅では「赤心片片(せきしんへんぺん)」と言います。

「赤心

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多くの人が持っている八つの誤った見解

多くの人が持っている八つの誤った見解

私たちが陥りやすい見解(考え方)には、八つ(グループとしては四つ)ほどあります。別に八つだけに限定することもないと思うのですが、昔から八つと言っていますので、まずは八つについて考えてみましょう。

[生と滅]
生じるとか滅するというのは、いわば始まりと終わりを言っています。始まりと終わりがあるということは、その間に変わりゆくものがあると考えられます。敷衍すれば、生も滅もまた変わりゆく一形態なのです

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偏らない生き方

偏らない生き方

「智に働けば角が立つ」という言い回しがあります。理知(理性や知恵)だけで割り切っていると他人と対立してしまうという意味です。では、どのようにすれば良いのでしょうか。今回は、偏らない「中する」ことについて、昔から言われている「中庸」と「中道」について考えてみたいと思います。

 「中庸(ちゅうよう)」とは、どちらにも偏らないことが、国家や組織がとるべき道、すなわち世の定理としています。
・儒教では、

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 現代につながる禅宗の根本的教え

現代につながる禅宗の根本的教え

禅宗は、中国禅を経て日本で盛んになった教えです。基本的修行形態の一つである坐禅は、精神修養として欧米でも多くの人が参加しています。

禅の根本的な教えは難しいものではありません。その意味で、欧米にも広まっているのでしょう。以下に、根本的な教えを列挙しておきます。言わんとすることを読み取ってもらえると幸いです。

[見性成仏]
禅は、「仏は人間であり、人間を超えるものではない」を標榜する。キリスト教

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本来の意味の宗教とは何か

本来の意味の宗教とは何か

宗教(しゅうきょう)は英語の religion を訳した言葉です。ここで、注意しておくべきことがあります。

まずは、日本語の「宗教」という語は、古くから仏教において「宗(おおもと)の教え」、つまり、究極の原理や真理を意味する「宗(おおもと)」に関する「教え」を意味していました。だから、天台宗、真言宗、浄土宗といった言い方が出てきたわけです。
 [注] 宗は、おおもと、本家、祖先という意味(例:

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一つの器から別の器に水を移す

一つの器から別の器に水を移す

よく「人間は均しく仏性を有する」と言われます。誰しも、同じ仏性を持っているというわけです。それならば、禅を学ぶ修行者は、正しい師の教えをそのままに受け取ることができるはずです。

このことを、「一つの器に入っている水を、別の同じ大きさの器に移すことができる」と言う意味で「一器水瀉一器(いっきすいしゃいっき)」と言います。(注: 瀉は水を注ぐという意味)

 [参考] 一器水瀉一器と同義の語に、「法

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 「一」ということの私的解釈

「一」ということの私的解釈

私は「一」ということを、「根本」「無限」「無」「宇宙」と説明することがあります。いわば私的解釈ですが、なぜそのように説明するのかを述べてみたいと思います。

「一」は一筆です。また禅で大切にされている「一円相」も一筆です。一筆は、紙から離れることはありません。紙を大地(乾坤の坤)だとすると、大地から離れることは無いのです。大地を自分自身だとすると、自分から離れることは無いのです。「一」は自分自身を

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上っ面を追いかけるな

上っ面を追いかけるな

「教外別伝(きょうげべつでん)」という言葉があります。中国禅の初祖と言われる達磨大師が重視した言葉です。意味は、「経典などの文字やことばによらずに仏のさとりを心から心へと直接伝えること」というものです。

後世に残っている言葉は、当時の時代背景からやむを得ず出てきたものが多いのです。なぜ教外別伝という言葉が議論されたのでしょうか。そのポイントを示してみましょう。

・正法(釈尊の教えが正しく伝わる

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より良く見える相というものがある

より良く見える相というものがある

人間には、対外的に見えるものからその人を判断すると言う傾向があります。

例えば、同じような能力レベルにある人であれば、身体の均斉(均整)が取れている方をより良くみてしまうことはあるものです(組織で言えば、出世しやすい)。

それらを少し列挙してみましょう。

・身体の均斉が取れている  
足の裏が平らでかかとが広く安定し、指が長めで、手が長く色も綺麗に見える。肩は丸みを持っていて、肉付きのバラン

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