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禅の考え方を、多くの人に分かってもらいたいと思っています。

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    2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。

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生き方を極める

本書を読み進むにあたって、基本的なことがらを知っておくとよいものがあります。 まず、私たちが目の前にあるものを見聞きし感じ取っているものごとは、時間とともに変化しているということです。ものごとは変わっていき、恒常なるものは無いと実感できます。固定的な姿・形(相)が無い、あるいは固定的な実体が無いと言い換えてもいいでしょう。そのように、常なるものは無いということを、「無常」の真理と言います。 次に、私たちは目の前にあるものを見聞きし感じ取っていますが、それは「自分自身(自己)が

    • 体質改善の考え方(926)

      体質改善については、いろいろなところで述べられています。今回は、わかりやすく6つのタイプに分けて述べてみたいと思います。(主として、漢方をベースに述べます。) なにごとも、多すぎたり(過多、または巡りが悪い)、少なすぎたり(過少、または不足)するような極端な生活は褒められるものではありません。体質については、血液と血液以外の水分、および生の(生きる)エネルギー(気)の三分野で考えるとわかりやすくなります。 まずは、血液についてです。 血の巡りが悪くなると、身体の末端に栄

      • ひとの道を向上する

        私たちは、人格向上のために多大なる努力をしています。ここに言う「向上」とはどのようなことを意味しているのかを、仏教の「仏向上」を例にして考えてみたいと思います。 まずは、「向上」とは、より上であることを意味します。それならば、「仏向上」は、仏より上であることを意味していることになります。 ここで「仏」とは、仏教の修行を通して至る理想者を意味していますから、「仏向上」とは、仏の境涯をも超えることを言うことになります。このことからわかるように、理想である仏より上を目指すわけで

        • あれがいいか、これがいいか、などと考えるな #禅の言葉

          あれがいいか、これがいいか、などと考えるのは妄想であり、恥をかくことになる。このことを、「百計経求(けいきゅう)一場の懡攞 (もら) 」(得たいと願ってはかりごとをして求めるのは、その場での恥かきだ)と言う。 「仏祖」と聞くと、何か素晴らしい人、特別な存在だと思ってしまう。それが、「ああだこうだ」と考えていることだ。仏祖は特別なものでもなく、仏法であり身近にあるものだ。けれども、それを言葉で説明することはできない。そのことを、「超仏越祖の談」(仏祖をも超えた境地)と言う。

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          気の乱れが心身の不調につながる(925)

          人の心身の不調は、何らかの部位の損傷や、精神的なバランスの崩れから起こります。要するに、人を構成する要素のどれかがバランスを崩すことで不健康になるのです。 人間の身体は、地(堅固)・水(湿性)・火(煖性)・風(動性)の4つから成り立つ、と仏教では記しています。その詳細は別の機会に譲り、今回は東洋医学の3つの要素から成る説について述べてみたいと思います。その3つとは、  「気(き)」:生命活動を営むエネルギー。血や水を動かす。  「血(けつ)」:体内にある赤い液体、いわゆる

          気の乱れが心身の不調につながる(925)

          「基本の基」と「基本の気」(924)

          よく「基本の基(き)」が大切などと言います。基本のキとも表記されることがありますが、その意味は「ものごとの手始め」ということになります。ものごとの基本をおろそかにすると、ある程度のところで伸び悩むことになってしまうということです。 さて、同様の発音ですが、「基本の気」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。 ここで言う「気」とは、中国の道教や漢方医学での用語の一つであり、「不可視であり、流動的で運動し、作用をおこす」ものであり、さらには「万物を構成する要素」と言われること

          「基本の基」と「基本の気」(924)

          「法」には色々な意味がある

          法(ほう)と聞くと、私たちは法律・規則などと思い浮かべます。しかし、もともとは仏教の根本思想の一つであり、サンスクリット語のダルマdharmaの訳語です。dharma は他にも達摩・曇摩(どんま)などの訳もあります。 平たく言うと「法」は、法則・性質・教・真理などの意味と、仏道修行というような道の意味と、ダルマによって支えられる一切の事象をも意味すると考えればいいでしょう。たとえば事象とは、人間の身体を含む物質、人間が受け取る感覚、感覚で受け取ったものを概念化(想起)したも

          「法」には色々な意味がある

          真理をどう表現するか: 一円相 #禅の言葉

          禅の世界では、悟りや仏性や真理や宇宙全体などを「○」のように、一つの円の形(一円相)で表現する。しかし、「人の空に描くが如き、筆を下せば即ち錯(あやま)る」(真理を描こうとしても、描くことなぞできない)とも言われている。ただただ円相を見て、それが何を意図するものかを追求するしかない。 禅の問答では、師は言葉で返答するのではなく、言動で答えることがある。 例えば、地面に文字を書くのも、その一つである。 十字  十の字は十分(完全)を表わす。 右回りに一周する円は十分の意。

          真理をどう表現するか: 一円相 #禅の言葉

          本当に基本となる教え(923)

          私達の生活は、「このようになっているのはどうしてか」「どうすればよいか」を考える繰り返しなのではないかと思っています。例を挙げて示すと、次のようになります。 1. 現在を眺めると、次にどうなればいいかという目標を考えるようになる。   ビシネスの世界では、何年後かにどのようになりたいかというビジョン   を考える。 2. どのようになるかという目標に対して、現時点の状況はどうなっているか  という原因を分析する。   ビジネスの世界では、目標に対して現状を分析すること

          本当に基本となる教え(923)

          健康は最上の利益である(922)

          世界のほとんどの国では、国民の健康を第一に願っています。幸せに生活していくときの第一条件が健康なのです。2500年前の釈尊も、「健やかさはこの上もなき利益である。足ることを知るのが極みのない財産である。信頼することこそ例えがたき親族である。精神的自由は誠に最上の幸福である」というように健康を第一に挙げています(法句経より)。そこで今回は、「健康」の意味を取り上げてみたいと思います。 まずは辞書には、「体のどの部分にも悪いところがなく、元気で丈夫なこと。また、そのさま。精神の

          健康は最上の利益である(922)

          不思議とされるものなどないのが正しい教え

          人間には魂があって、その魂が二つに分離して二人の人間が現れるなどということを信じている人はいるのでしょうか。普通は、魂が有るとか無いということは考えても意味がないのでしょう。正しい教えは「正法(しょうぼう)に不思議なし」と言うように、奇瑞(きずい)・奇跡など一つもないのです。「奇跡や不思議現象が有れば邪教である」ということです。 それでは、昔から言われている神通力というものはあるのでしょうか。 神通力は、次のようなものが代表的と言われています。 過去・現在・未来にかかわる

          不思議とされるものなどないのが正しい教え

          修行して悟り、利他する #禅の言葉

          修行のスタートは、「この世の中に真実の道は一つしかない」と信じて分別を無くしていくことである。悟って、そしてさらに悟後の修行で、世の内実と外観ともに仏の現成としてありのままに捉えるようになる(得悟)。それができるとさらに、衆生済度(垂手)行じて行くのだ。 一句に三句を明かし、三句に一句を明かす  禅の究極のところを表す一句を三句で明らかにし、逆に三句をもって禅の究極を明らかにする。要するに、一句だろうが三句だろうが、それぞれが独立して明かしていく。いわば、言語、思慮の及ばな

          修行して悟り、利他する #禅の言葉

          「あざと可愛い」の現代的な意味(921)

          「あざとい」と「可愛い」を合わせた「あざと可愛い」は、一般的には抜け目なく可愛く魅力的に振る舞う女性のことを意味します。男性から女性にアプローチする時代から、女性もまた男性にアプローチするのがありうる時代になってきています。  [注]  「あざとい」は「小聡明い」と書き、図々しく抜け目がないこと。     「可愛い」(かわいい)は、愛らしく魅力があること。 ここで、「小聡明い」は「聡明」が入っているように、本来は(人格にすぐれ)賢い・利口という部分があるということです。そ

          「あざと可愛い」の現代的な意味(921)

          できるだけアクティブに学ぶのが望ましい(920)

          私達が新しいことを学ぶ場合、いろいろな方法があるのですが、それを体系的にまとめてみたいと思います。まずは、大別すると次のような順で学んでいきます。 1.何を学ぶかを決めて、個人で学び始める(概要・予備知識を得る)。 前提としては、対象分野における必要スキル一覧を作っておくようにする。 対象分野における自己能力の棚卸しをして、自己診断をする。 2.概念的・体系的に学ぶ。 基本的なことや入門レベルのことを、書籍などを通して入手する。 個人に依る先行学習。

          できるだけアクティブに学ぶのが望ましい(920)

          赤子のような心を何と呼ぶか

          「大人(たいじん)は赤子(せきし)の心を失わず」(『孟子』)ということばがあります。素晴らしい徳のある人は、赤子ないし幼児の純一な心を失わない人という意味です。生まれたままの純粋で清浄なる心を持っているのです。 このような言い方は、色々な世界で言われています。キリスト教では、「赤子のような心でなければ神のもとに召されない」と言いますし、禅では「赤心片片(せきしんへんぺん)」と言います。 「赤心」は真心とか誠意の意味で、片片はひとつひとつの断片という意味ですが、赤心は見返り

          赤子のような心を何と呼ぶか

          真の自己は智不到と言える #禅の言葉

          心(しん)とは、全てのものが常に活動・変化し続けていることを表す語であり、真の自己とか本来の面目とか仏心などと言う。「全てのものが常に活動・変化し続けていること」と言葉にしても、すぐ変化してしまうのである。いわば、知恵や知識で到ることができない処(智不到)が「心」ということだ。 智不到の処、切に忌む道著することを  知恵や知識で到ることができない真如を言葉で表現しようとしてはならない。「智不到」は「人間の能力を超えた処」(本常の理ともいう)であるから、素直に頂くしかない。

          真の自己は智不到と言える #禅の言葉