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禅の考え方を、多くの人に分かってもらいたいと思っています。

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    2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。

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生き方を極める

本書を読み進むにあたって、基本的なことがらを知っておくとよいものがあります。 まず、私たちが目の前にあるものを見聞きし感じ取っているものごとは、時間とともに変化しているということです。ものごとは変わっていき、恒常なるものは無いと実感できます。固定的な姿・形(相)が無い、あるいは固定的な実体が無いと言い換えてもいいでしょう。そのように、常なるものは無いということを、「無常」の真理と言います。 次に、私たちは目の前にあるものを見聞きし感じ取っていますが、それは「自分自身(自己)が

    • 悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

      悟っている人と悟っていない人の差は、「何かにこだわっているかどうか」にある。悟っていない人のことを、死者を例にして「依草付木(えそうふぼく)」と表現する。「死者の霊魂が中有(ちゅうう、死後の四十九日間)の間、草木に依(よ)り付いて精霊となること」と言うのだ。これは、別解として「修学者が悟りに至らず、文字、言葉にこだわって迷う」と解釈する。  [参考] 盂蘭盆(うらぼん)= 7月15日を中心に祖先の冥福を祈る仏事。 霊衣掛けざる時  例えとして、霊衣(中国の白い喪服)を着て

      • パーソナリティを形成するもの(915)

        ある人のパーソナリティ(人格)とは、環境に対して、その人独自の適応(言動などに出てくるもの)を決定するような心理のことを言います。パーソナリティを表す語句には、次のようなものがあります。  人格  行動の主体。      自分の意志による行動に対して道徳上の責任を受け止める主体。      知・情・意の全体的な統一性をあらわす。  性格  心理学の面からは、パーソナリティ(人格)と同義だが、      一般的に情意的な側面をさす。      習慣化されて作られていくものと、

        • 現代につながる禅宗の根本的教え

          禅宗は、中国禅を経て日本で盛んになった教えです。基本的修行形態の一つである坐禅は、精神修養として欧米でも多くの人が参加しています。 禅の根本的な教えは難しいものではありません。その意味で、欧米にも広まっているのでしょう。以下に、根本的な教えを列挙しておきます。言わんとすることを読み取ってもらえると幸いです。 [見性成仏] 禅は、「仏は人間であり、人間を超えるものではない」を標榜する。キリスト教のように、「(人間とは別に神がいて、)神を崇拝しなさい」というものではない。自分

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          「天の気」と「人の気」を考えてみよう(914)

          目に見えないエネルギーである『気』は、大別すると「天の気」「地の気」「人の気」類にの3グループとなります。風水の世界では、「天の時、地の利、人の和」を大切にしていることが知られています。   「天の気」 太陽・月などの宇宙から発しているエネルギー        例えば、月の引力は地球の約6分の1あると言われ、        干潮・満潮を引き起こします。   「地の気」 地球の大地が発するエネルギー        俗にパワースポットと呼ばれる所には、        ある種の

          「天の気」と「人の気」を考えてみよう(914)

          優れたもの同士のやりとり #禅の言葉

          互いが禅師と呼ばれるような人は、問答においても精神集中して真剣勝負をする。そのことを、「覿面(てきめん)すれば真鎗実剣(しんそうじっけん)を相持(あいじ)す」(対面すれば、本物の槍(やり)や実際に剣を以て臨むが如く真剣勝負する)と言う。    全機大用(ぜんきだいゆう)を貴(たっ)とぶ  全ての機鋒(するどい勢い)ある大用(大きな作用・働きが縦横自在)が禅門では貴ばれる。たとえば、どこから呼んでも「うん、うん」と即座に返事するのは、大用(仏心の働き)である。 多くの人は、

          優れたもの同士のやりとり #禅の言葉

          人格の一要因である「おくゆかしさ」(913)

          洗練されていて上品とか、 深い心遣いを感じるという意味の「おくゆかし」の漢字は、「奥床し」と書きます。「奥」は深いという意味だろうということがわかりますが、なぜ「床し」と書くのでしょうか。 「床しい」を調べてみると、   1.上品ですぐれており、しとやかで気品がある。    おくゆかしい。どことなく心がひかれるようである。   2.何となくなつかしさが感ぜられる。    (この場合、懐しいと書くことがある。    「古式ゆかしい」と使われることが多い。) とあります。

          人格の一要因である「おくゆかしさ」(913)

          本来の意味の宗教とは何か

          宗教(しゅうきょう)は英語の religion を訳した言葉です。ここで、注意しておくべきことがあります。 まずは、日本語の「宗教」という語は、古くから仏教において「宗(おおもと)の教え」、つまり、究極の原理や真理を意味する「宗(おおもと)」に関する「教え」を意味していました。だから、天台宗、真言宗、浄土宗といった言い方が出てきたわけです。  [注] 宗は、おおもと、本家、祖先という意味(例: 宗家、宗教)と、        かしらだつ者、首位の者という意味(例: 儒宗、宗

          本来の意味の宗教とは何か

          「たしなみ」とはどういうものなのだろう(912)

          「平素は自分が一番下手だと思い、舞台に上がるときは自分が一番であると思う」という言葉があります。舞台の稽古に関する言葉です。よく味わえば、実生活においても役に立ちます。たとえば、仕事でプレゼンテーションをしなければならないとき、準備に準備を重ね、本番では主役として発表するというわけです。 さて、舞台に上がった時に、演じきれないのでは「芸が無い」ことになります。いわば、人に見せるような芸をもっていないと評されるのです。「遊芸(ゆうげい、遊びごとに関した芸能。茶の湯、生花など)

          「たしなみ」とはどういうものなのだろう(912)

          よかれと思って人のために尽くす #禅の言葉

          昔は、自分が死んでいく時に三途の渡し賃として棺桶にお金を入れていた。しかし、そのお金までをも他人の為に使い尽す人がいる。「どうぞ呑んでください」と、借金してまでも、他人の為に酒を買ってきて飲ませてあげる人がいる。そして、一生借金を払い続けてしまう。これらは勘定に合うのだろうか。  眉毛ありや  仏法とは言説を超えたものであるにもかかわらず、言葉で仏法を説くと眉毛が落ちてしまうと言われている。そうと分かっていても、内心びくびくしていても(心虚であっても)、言葉で説くことをや

          よかれと思って人のために尽くす #禅の言葉

          嘘をつくことをやめよう(911)

          人は何らかの理由で嘘(うそ)をつくことがあります。嘘とは、(1)事実とは異なる言葉、(2)正しくない誤った言葉、(3)適切ではないこと、であり状況に応じてつくことがあるのです。聞いている側は、「何を言いたいのだろうか」と考えて、相手の真意を探ろうとします。したがって、瞬時に、または時間が経つことで、真偽は分かるものなのです。 今回は、嘘をつくのはなぜなのかを考えてみたいと思います。 (1)隠したいことがある   基本的には事実を知られたくない場合です。たとえば、やるべきこ

          嘘をつくことをやめよう(911)

          一つの器から別の器に水を移す

          よく「人間は均しく仏性を有する」と言われます。誰しも、同じ仏性を持っているというわけです。それならば、禅を学ぶ修行者は、正しい師の教えをそのままに受け取ることができるはずです。 このことを、「一つの器に入っている水を、別の同じ大きさの器に移すことができる」と言う意味で「一器水瀉一器(いっきすいしゃいっき)」と言います。(注: 瀉は水を注ぐという意味)  [参考] 一器水瀉一器と同義の語に、「法水瀉瓶(しゃびょう) 」がある。     瓶(かめ)から瓶へ水を一滴もこぼさない

          一つの器から別の器に水を移す

          何気ないふだんのことを表す漢字は?(910)

          私たちは「ふだん」を漢字で書くと「普段」と書くことが多いようです。しかし、元々は「不断」と書いていたのであり、「普段」は当て字なのです。 「不断」とは、「断=きりはなす」ことがないということから、続いている状態を断つことがないという意味なのです。「断つ」は「絶つ」とも書き、「絶えることがないこと」を意味するようになっています。もう少し発展して、「絶えることのない=いつもの状態である」となって、「日常、いつもある状態」の意味が派生していくのです。要するに、「不断」は常日頃(す

          何気ないふだんのことを表す漢字は?(910)

          師は、弟子に足元を見させようとする #禅の言葉

          生への執着というのは、「死」という先にあるものを見ているからこそ起こってくるものである。「死」は、いつ来るか分からない。そのようなものに右往左往してはならない。大切なのは、「今、ここにある自己」をしっかりと見極めることだ。そのことを意味するのが、 脚下照顧(きゃっかしょうこ、足元を見させる)である。 不生(ふしょう)の性(しょう)  不生とは、「永遠に変わらない、迷いを超越した絶対の真如そのもの」を意味する。性とは、仏心・仏性、万物の本体(真如)のこと。すなわち、絶対の真如

          師は、弟子に足元を見させようとする #禅の言葉

          「気」は何を連想するか(909)

          私達は、「気」という漢字を、いろいろな意味で利用しています。大別すると、次のグループに分けることができます。 (1) 自然現象に関係するもの     天気、空気、二十四節気、など (2) 万物を生育するはたらき     精気、気質などの心のはたらき、気立て、気力、生気(せいき)、     根気、元気、など (3) 何となく感じられる様子     気配、語気、霊気、人気(ひとけ)、雰囲気、など 今回は、特に第二のグループの「生育するはたらき(すなわちエネルギ

          「気」は何を連想するか(909)

          感謝の「謝」にはごめんなさいという意味もある(908)

          「謝」という漢字は、「ありがとう」と「ごめんなさい」という反対の意味を含んでいます。たとえば、「ありがとう」は感謝、「ごめんなさい」は謝罪という意味を含むのです。このように、漢字一字に正と反の二つの意味を持つ文字の使い方を反訓(はんくん)と言います。今回は「謝」を取り上げますが、他には「乱」(「みだす」と「治める」の意味がある)があります。ただし、反訓の漢字一字は数えるくらいしかないようです。 さて、漢字一字に反対の意味を持つというのは、少し奇異に感じます。なぜ反対の意味を

          感謝の「謝」にはごめんなさいという意味もある(908)