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修行して悟り、利他する #禅の言葉

修行のスタートは、「この世の中に真実の道は一つしかない」と信じて分別を無くしていくことである。悟って、そしてさらに悟後の修行で、世の内実と外観ともに仏の現成としてありのままに捉えるようになる(得悟)。それができるとさらに、衆生済度(垂手)行じて行くのだ。

一句に三句を明かし、三句に一句を明かす  禅の究極のところを表す一句を三句で明らかにし、逆に三句をもって禅の究極を明らかにする。要するに、一句だろうが三句だろうが、それぞれが独立して明かしていく。いわば、言語、思慮の及ばない最上の一義である「向上の一路」を表すのが、一句であり三句である。

もう少し分かりやすく言うと、
一句で表すとは、「人天の機要(きよう)、千鈞(せんきん)を発す」(大機大用の素晴らしいはたらきで禅の第一義を表すということは、千鈞(非常に重い)の石弓で放つようなもの)ということだ。いわば、「賤に遇うては即ち貴、貴には即ち賤」(卑しく見えて実は貴く、貴く見えて卑しく見える)のような変幻自在のはたらきによって表すということ。

二句で表すとは、「赤心片片(へんぺん)たり」(嘘いつわりのない赤子のような心で、相手に対して誠心誠意を尽くす)かのように、邪念や偏見などを無くした接し方をすれば、あるがままの生活ができるようになること。

三句で表すとは、一句でも二句でも言えずにさらに追加説明するならば、凡俗のレベルの言動しかできないということ。それでは「自救不了(じぐふりょう)」(自分すら救えることができない)となる。

私たちは、戒定慧(かい・じょう・え)の三学の修行によって三句の下位のレベルを脱していくことが重要なのだ。たとえば、三毒と言われる貪瞋痴(とん・じん・ち)のうちの貪と瞋は坐禅修行によって静めていくことができる。さらに正しい情報や真理を得ていくことで痴を無くしていくことができる。

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