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赤子のような心を何と呼ぶか

大人(たいじん)は赤子(せきし)の心を失わず」(『孟子』)ということばがあります。素晴らしい徳のある人は、赤子ないし幼児の純一な心を失わない人という意味です。生まれたままの純粋で清浄なる心を持っているのです。

このような言い方は、色々な世界で言われています。キリスト教では、「赤子のような心でなければ神のもとに召されない」と言いますし、禅では「赤心片片(せきしんへんぺん)」と言います。

赤心」は真心とか誠意の意味で、片片はひとつひとつの断片という意味ですが、赤心は見返りを求めることのない無心と言ってもいいし、片片は現在の瞬間瞬間と言ってもいいのです。道元禅師は「赤心片片として鉄樹華開世界香(鉄樹、花開いて世界香ばし)なるなり」と言っていますが、無心の働きはあたかも鉄樹に花が開いて世界が香ばしいかのようだと訳すことができます。その真意は、「瞬間瞬間に何の思惑もない無心で一所懸命にやることを真心とか誠意というものだ」ということなのでしょう。無心の境地は、鉄の樹に花を咲かすことができるかのようだ、と理解することができます。

赤心を具体的に理解するために、一つの例をあげてみましょう。

よちよち歩きの乳幼児が駅のプラットフォームの端っこを歩いているとしましょう。私たちは、何も考えずに「落ちたら危険だ」と思ってしまい、つい手を差し伸べてしまいます。

このように無条件に損得なく思う気持ち・心が赤心なのです。

冒頭で『孟子』の例を挙げましたが、追加で孟子の四端 (したん)を追記しておきます。孟子は惻隠(そくいん、あわれみいたむ心)、羞悪(しゅうお、悪を恥じ憎む心)、辞譲(じじょう、譲り合う心)、是非(ぜひ、善悪を判断する心)の四つの感情の芽生えを四端と呼びました。赤心は、惻隠の心と位置付けていいものです。

赤心、いわば正しい心に従って行動する心は、私たちの根底にあります。それが眠っている場合には、揺り起こすことが必要なのでしょう。

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