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禅入門

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記事一覧

意識の世界を清浄にしていく

意識の世界を清浄にしていく

私たちは日頃、「〜したい」という本能的欲望の世界に住んでいます。仏語としては、「欲界」という世界に住んでいるのです。しかし、一般的にはより強い欲望は叶えられないことが多いため、不満や苦悩が生じることになります。欲望、煩悩、苦悩に悩まされるということです。
 [参考] 欲界は、淫欲と食欲が代表的欲望となります。
     従って、地獄も餓鬼の世界も欲界に入るのです。

できることならば、欲界を卒業し

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心の汚れの典型が怒り

心の汚れの典型が怒り

人間は、自分の思う通りにならないと、ストレスや不安を感じて心をかき乱すようになります。その時に起こっているのが妄念・妄想、煩悩です。

主たる煩悩は五つに大別できます。むさぼりの貪(とん)欲、いかりの瞋(じん)、非理性的な馬鹿げた痴(ち)、いい気になっていい加減になる慢(まん)、何でもかんでもうたがう疑(ぎ)の五つです。

この中で、最もよろしくないと言われるのが「瞋」です。ストレスや怒りなどの強

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人心は妄心とは異なるものなのか

人心は妄心とは異なるものなのか

私たちは日頃、「ああだろうか、こうだろうか」などと考えながら生きています。それ故に、「交通事故で、明日死ぬかもしれない」などと生死に迷っているのです。心理学でも、そのような心のあり方を探っています。

そこで改めて、「心」というものを考えてみたいと思うのです。
「心」という字を持つ語句にはいろいろなものがあります。

人心(じんしん) 人間としての心、または世の中の人々の考えや気持。
      

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「身体」というものを考えたことはあるか

「身体」というものを考えたことはあるか

私たちは、自分の身体(体)が生まれた時からあるがために、体のことをつい気にせずにいることが多いと思います。少し立ち止まって、我が身(自分自身)を考えてみましょう。

さて、我が身を考えた時、どのようになっているか、他者と比べてどうか、と考えている当体は、いったい何者なのでしょうか。

実は、我が身を考える当体は、心すなわち脳が考えていることがわかっています。言い換えると、"我が身はどうなっているか

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「有」と「無」とは、何を意味しているのか

「有」と「無」とは、何を意味しているのか

禅の世界では、「仏性が有る」と言ったり、「仏性が無い」と言ったりします。しかも、反対の意味合いを持っているように見えて、実は同じことを言っていると言うのです。なぜでしょうか。

昔、釈尊は「悉有仏性」(しつうぶっしょう、ことごとくが仏性を有する)と言いました。別の国師もまた「有仏性」と言っています。これらは、まったく同じことを言っていると思っていいでしょう。しかし、潙山(いさん)禅師は「一切衆生無

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すべてのものが仏性を持っているのか

すべてのものが仏性を持っているのか

 「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」という有名な言葉が『涅槃経』にあります。「一切の衆生は、ことごとく(すべて)仏性を有する。それ(仏性=如来)は常に存在して変わることがない」と説くものです。
「悉有仏性(しつうぶっしょう)」とは、一切の衆生はみな仏になる可能性を持っているという意味ですが、『法華経』では「諸法実相」(すべてのものがあるがままに顕れている)と説いています。

[注: 「悉」

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独りしっかり悟るのが基本

独りしっかり悟るのが基本

禅のキーワードに、「不立文字(ふりゅうもじ)、教外別伝(きょうげべつでん)」「直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」があります。
禅の世界を対象にしていますが、その他の世界でも似たようなことはあります。例えば「不立文字、教外別伝」は、匠(たくみ)の世界での「師匠からいい意味で盗み学ぶ」ということにもつながると思います。共通するのは、言葉では伝わりにくいということです。したが

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自己実現では正師に出会うことが大切

自己実現では正師に出会うことが大切

私たちは、多くの人たちが自己実現をしようとしていることを知っています。自己実現とは、自分の能力や才能を存分に発揮したいという自己探求です。そのためには、次の二つの方法があります。

(1) 自分に対して質問しながら実現していく
  自分のスピードで実施し、自分の主観でゴール達成となります。

(2) 他者の協力を得て実現していく
  自分以外の人(一般的には先駆者)に協力してもらってゴールを目指す

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「知」と「愛」のはたらき

「知」と「愛」のはたらき

「知る」と「愛する」というはたらきは、普通は相異なる精神作用だと考えられています。それを西田は、相異なるのではなく、本来同一の精神作用だと言うのです。

ここで少し考えてみましょう。
知とは、ものごとの道理がわかる(知る)ことです。
愛とは、そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持のことです。

そうならば、「道理がわかる」のと「価値を認める」ことは同じではないかと考えることができます。だから

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 『善の研究』の「善」とは何か

 『善の研究』の「善」とは何か

「善」とは一般的に、誰かの役に立つこととなります。自分の良心によって善を行う(悪は行わない)のですから、善とは道徳のことを言っています。いわば、利他(他者を利益する)の行為ということになりますね。

『善の研究』の「善」の編の中で、西田幾多郎は「善なる行為とは、自己の内面的必然より起こる行為」としています。こころの奥底から純粋に沸き起こってくるものに従う行為が善なる行為ということです。すなわち、あ

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西田幾多郎の「実在」

西田幾多郎の「実在」

皆様は、「実在」とは何を言うものかと問われると、どのように答えるでしょうか。西田幾多郎の『善の研究』では、
「実在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみである。この外に実在というのは思惟の要求よりいでたる仮定にすぎない」
「元来真理は一つである。知識に於いての真理は直ちに実践上の真理であり、実践上の真理は直ちに知識に於いての真理でなければならぬ」
と言っています。いったい、何を言いたいの

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西田幾多郎の「純粋経験」

西田幾多郎の「純粋経験」

[今回から、『善の研究』での禅に関するものを取り上げる]

鈴木大拙の同級生に西田幾多郎がいます。西田幾多郎は、西田哲学と呼ばれる思想を形成し、『善の研究』を著しています。

西田幾多郎は、寸心居士という号を持ち、一時は禅に傾注していました。郷里石川県の雪門老師や、隣の福井県国泰寺の瑞雲老師に参禅していたのです。

その参禅に於いて、「趙州の無」の公案で透過したと言います。その「無」の境地は、いわ

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迷いを放下する生き方

迷いを放下する生き方

今や多くの日本人が、複雑な時代を強い心で生き抜かなければならない時代になってきています。世界情勢に左右される日本が、これまでと異なる生き方をしなければならない時代になっているのです。
グローバルな環境でいかにたくましく生きていくか、感染症と共にどのように生きていくか、少子化や女性の労働問題にどのように対応していくかといった課題なども避けて通れません。多様性(ダイバーシティ)は名ばかりで、何年も前か

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迷いを捨て去ることで、ありのままの自分になる

迷いを捨て去ることで、ありのままの自分になる

つい、迷ってしまったり、執着してしまう生き方になっている。
迷うのも、執着するのも、自分自身の勝手な思い。ならば、そのような思いは捨て去ればいい。
捨て去ることを「放下(ほうげ)」と言う。戦国武将も、これまでの賢人たちも迷いを放下してきた。
複雑な時代に生きる私たちもまた、もう一度自分を見つめ直し、余分な思いを放下しよう。

本書は、自分を見つめ直し、本来の正しい心を思い出すためのもの。
さあ、自

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