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禅語

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2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。
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記事一覧

あれがいいか、これがいいか、などと考えるな #禅の言葉

あれがいいか、これがいいか、などと考えるのは妄想であり、恥をかくことになる。このことを、…

TakHirao
10日前

真理をどう表現するか: 一円相 #禅の言葉

禅の世界では、悟りや仏性や真理や宇宙全体などを「○」のように、一つの円の形(一円相)で表現…

TakHirao
3週間前

修行して悟り、利他する #禅の言葉

修行のスタートは、「この世の中に真実の道は一つしかない」と信じて分別を無くしていくことで…

TakHirao
1か月前
1

真の自己は智不到と言える #禅の言葉

心(しん)とは、全てのものが常に活動・変化し続けていることを表す語であり、真の自己とか本来…

TakHirao
1か月前
2

文言へのこだわりが執着ということ #禅の言葉

私たちの周りに起こっていることは瞬間の姿であって、常に変化していると知るべきだ。諸法に常…

TakHirao
2か月前
4

悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

悟っている人と悟っていない人の差は、「何かにこだわっているかどうか」にある。悟っていない…

TakHirao
2か月前
5

優れたもの同士のやりとり #禅の言葉

互いが禅師と呼ばれるような人は、問答においても精神集中して真剣勝負をする。そのことを、「覿面(てきめん)すれば真鎗実剣(しんそうじっけん)を相持(あいじ)す」(対面すれば、本物の槍(やり)や実際に剣を以て臨むが如く真剣勝負する)と言う。    全機大用(ぜんきだいゆう)を貴(たっ)とぶ  全ての機鋒(するどい勢い)ある大用(大きな作用・働きが縦横自在)が禅門では貴ばれる。たとえば、どこから呼んでも「うん、うん」と即座に返事するのは、大用(仏心の働き)である。 多くの人は、

よかれと思って人のために尽くす #禅の言葉

昔は、自分が死んでいく時に三途の渡し賃として棺桶にお金を入れていた。しかし、そのお金まで…

TakHirao
3か月前
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師は、弟子に足元を見させようとする #禅の言葉

生への執着というのは、「死」という先にあるものを見ているからこそ起こってくるものである。…

TakHirao
4か月前
5

仏祖は神聖なものではない #禅の言葉

仏祖は特別であり、神聖なものだと思ってはいないだろうか。 それは、ただ単に修行の結果とし…

TakHirao
4か月前
3

塵をはらってしまった後はどうするか #禅の言葉

我々は、分別・妄想が起こってくる時点(これを門頭という)で退治していかねばならず、その上で…

TakHirao
5か月前
3

華厳経の世界 #禅の言葉

私たちは、つい欲にまみれた世界、事象が起きている世界、などのいろいろな世界を思い浮かべる…

TakHirao
5か月前
4

分別・妄想などない状態とは #禅の言葉

分別とは、「ああだこうだ」と考えること。妄想とは、縁によって起こることにこだわること。い…

TakHirao
5か月前
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世間の常識の逆をする #禅の言葉

剥落(はくらく、剥がれ落ちる)とか、磊落(らいらく、気が大きくてちいさいことにこだわらない)を強調する時には、前後に繰り返す。たとえば、剥剥落落(はがれて落ちる)や 磊磊落落(物事に拘らない)のようにする。まあ、「そのようなことにこだわらなくていいではないか、磊落でも磊磊落落でもいいではないか」と思ってしまうことがある。禅語にも、そのようなことにこだわらなくてもいいではないか、というものがある。 「如何なるか是れ仏?」と問われた首山禅師は「新婦驢(ろ)に騎れば阿家(あこ)牽