見出し画像

世間の常識の逆をする #禅の言葉

剥落(はくらく、剥がれ落ちる)とか、磊落(らいらく、気が大きくてちいさいことにこだわらない)を強調する時には、前後に繰り返す。たとえば、剥剥落落(はがれて落ちる)や 磊磊落落(物事に拘らない)のようにする。まあ、「そのようなことにこだわらなくていいではないか、磊落でも磊磊落落でもいいではないか」と思ってしまうことがある。禅語にも、そのようなことにこだわらなくてもいいではないか、というものがある。

「如何なるか是れ仏?」と問われた首山禅師は「新婦驢(ろ)に騎れば阿家(あこ)牽(ひ)く」と答えた。花嫁が乗っているロバを阿家(姑、しゅうとめ)が引くというのだ。姑が乗っているロバを嫁が引くのではないか、反対ではないかと言うのが普通だと思うかもしれない。
姑が嫁をいたわって馬に乗せ、姑自身は手綱を引くというのは、実はとても仲の良い、我を捨ててしまった無我の世界を表している。いわば、万物一体であり、なりふり構うことなど無いのである。

いや、そんなことはどうでもよくて、なりふり構わないのを「体段(たいだん、なりふり)の風流自然を得たり」(なりふり構わないのが自然の風流だ)と言う。このようになると、しめたものである。

もしも、他を見て素晴らしいと思って真似をするようであれば、単に人まねでしかない。その昔、中国古代の四代美女の一人である西施(せいし)がちょっとしたことで胸元を押さえて眉間にしわをよせた姿の美しさを見て、隣の醜女がまねをしたところ一層醜くなったという故事がある。これを「人に向かって醜(しゅう)を添えて、妍(けん、うつくしい)を成さず」と言う。自分の分限を超えて人まねをしても、うまく事は運ばない。隣の醜女は、なりふり(形や振る舞い)を気にし過ぎているのだ。なりふり構わないというのは、身なりや人に対する態度を気にする余裕もないほど自然に行動することなのだ。

****************************************************************
#禅語 #心 #ストレス #あるがまま #関係する人 #正しい見方 #禅 #禅の言葉 #迷いを放下する #新しい自分 #禅的自分学 #含蓄のある言葉 #生き方を究める #考えさせられる言葉

電子本の案内:

●ストレスをなくしてあるがままの「こころ」で生きる Kindle版 など
[Kindle 無料アプリをインストールして お読みください。]

●『「あなた」が変わる古典の言葉』
( https://amzn.to/3HybqFD  [短縮URL])
には、55の禅語を解説しています。

****************************************************************

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?