(8) 目立ってしまった後の弊害 (2023.8改)
週末の猟から戻った一行は、月曜日から教師と学生に戻り、日常生活を過ごしていた。
暫くの間、鹿肉を中心にしたメニューとなるほどの収穫量となったが、調理師資格を持つ2人と料理好きな3人が加わっているので、素材は歓迎された。牛や豚より脂身の少ない食材で有りながら、味の質は悪くないと関心を抱いたようだ。イタリアンと洋食の定番メニューに新素材としてテストを重ねつつ、日々の食卓を彩った。
土曜の捕獲映像と、日曜日のシカ5頭の狩猟時の映像に加えて、週明けから食卓に並んだ鹿肉料理の数々を調理し、食レポする娘たちの動画を1つのシリーズ物として編集した。計7回の発信分の完成動画を7日間毎日投稿する。
田植えや農作業の映像で始まった「富山シリーズ」の投稿により新たな層を獲得したサイトとなっていたが、新シリーズにより登録者数が3倍となり、視聴者数が5倍にまで膨れ上がる成果を得た。
主に撮影を担当した杏の分析では、緊急事態宣言下で在宅率が高い背景が追い風となったと結論付けていた。都市部で外出に制限がある一方で、地方ではコロナとは無縁の、いつもと変わらない日常が営まれている状況を紹介した格好となった。登場人物たちがマスクもせずに共同生活をし、村の人達もウィルス対策もせずに農作業をし、映像でも談笑に加わっている。都市部の環境がコロナ渦の投稿とのユニーク性につながったのかもしれないとメモしていた。
新シリーズ国内投入の成果に驚いた杏は、悪乗りして他国での反応も確かめようと画策し、妹と玲子に提案する。
杏の目論見は再び当たった。英語とイタリア語ヴァージョンを再編集し、樹里のナレーションと2カ国語のテロップを加えて14本分投稿すると、英語圏とイタリアでも再生数が跳ね上がった。
「日本の緊急事態宣言は欧米のロックダウンよりも緩く、規制とは言えない。日本の都市間での移動は人々の自主的な判断で自粛されており、体制に従順な日本人は、概ね行政に従っている。そのため、コロナウィルスが及んでいない地域も多数あり、世界遺産登録地である五箇山地区も旅行者は誰も訪れず、感染者数は一人もいない」という注釈的なナレーションを冒頭に加えた。
すると、「羨ましい!」「ロックアウト前に地方へ移動しておけば良かった」といった欧米人のコメントが目立つようになる。また、生活空間が世界遺産の合掌造り住宅というのも、欧米向けにはプラスに作用したようだ。夕食の映像をテーブルではなく、敢えて薪が燃える囲炉裏を囲んで食事している作為的なものにしたので、東洋的な異文化モノとして欧米の人々に受け入れられた。
合掌造り住宅とサステナブルな環境下でのスローライフというコンテンツで、欧米マーケットを狙った大学生3人は、ユーチュ()バーとして成功者の仲間入りを果たした。
狩猟時の映像はハンティングする欧米人層にヒットし、鹿肉料理の日本での調理法は欧米のママさんたちの心を捉えた。ハンターや料理人たちからの専門的な質問や問い合わせの対応で娘たちは忙殺されている。あまりの量なので、専門的な質問は親たちが請け負った。
鹿の狩猟ノウハウやニホンジカの生態に関してはモリが英語で返答を書き込み、杏と樹里の母の里子が、イタリア語やスペイン語、英語で調理に関する質疑応答に対応した。
良い意味での炎上も効果を齎した。
2日間の7ショットで、6頭のシカと1羽のキジを捕らえた動画から、「Deer Hunter」とネット上で呼ばれるようになっていた名無しのハンターは、「日本の本州の一部で生息している鹿の特性だろう」と断った上で、ニホンジカのベッドのように落ち葉が集められた「寝床」の写真と、寝床が山のどの箇所に作られているか、地形図と一帯の落葉樹の分布と共にやや長い解説を加えた。
「鹿の通路を除いた寝床の風下で、ハンターは張り続ける。赤外線スコープが無いので夜間の狩猟は出来ないが、日中にシカが寝床へ帰って来たら後はハンターの腕次第となる」等とコメントし、昨年作成したニホンジカの生態と習性を纏めた英文レポートを添付した。
すると、各国のシカの研究者から称賛される。「寝床と思われる場所を地形と樹木から予測して、ハンター氏はほぼ特定している。これだけでも大発見だが、日本で言えばエゾシカではどうなのか?欧米のヘラジカやムースではどうなるか?コロナ後に検証に取組む必要性を感じている。シカによる森林被害、農業被害は世界共通の問題でもある。ロックアウト解除次第、ニホンを訪問したい。Mr. Deer Hunterには是非ガイドを請け負ってほしい」と書かれて、騒ぎになった。
富山のテレビ局と新聞社から取材要請がサイト管理者の3人娘宛にやって来ると、緊急事態宣言の印籠を掲げて、程よく断った。この段階でハンターは横浜の教師の某で、レシピを作ったのは動画を投稿したモデル姉妹、杏と樹里の母だとネット上で特定されていたので、露出は避けようと判断した。
「シカの寝床に注目されたのは、どんな背景があったんですか?」モリの右隣に座っていた玲子の母が夕食時に尋ねてきたので、左隣に座っているあゆみと視線を合わせる。すると代理回答を娘が承諾したので、玲子の母に笑顔を返しながら、テーブルから離れるために後ろに「後退」した。これでモリ越しに2人が対話できる。
「秋になると山の上の方から落葉が始まります。その頃になると、朝晩の気温もグンと下がります。シカは夜行性ですから、落ち葉が溜まっている日当たりの良い場所で横になって体を休めます。
それと、周囲の木々にマーキングをして、オスは角で木の幹に傷を付けるんです。おそらく角で深い傷を付けて、不在時のベッドを盗られない為の威嚇をしてるのでしょう。それと、草食動物なのに、尿が鼻を付く強い匂いが辺り一帯に漂います。熊だと、この時期は冬眠明けで巣穴での生活で獣クサさが更に追加されるので、異常を察したら離れた方がいいそうです。
シカは落ち葉を集めてクッション状に楕円形の寝床を作って、その落ち葉の上で体を丸めて横たえて眠ります。落ち葉にクッション性はあっても、低反発クッションのようにもとには戻りません。それで落ち葉の上に、シカの魚拓のような跡が残るんです。この跡の大きさで、シカの大きさが特定できます。
単独で行動しているシカは、群れから追い出された若い男鹿です。お父さんは若いオスを狙います。 まだ肉が柔らかいし、若いオスを減らせば、群れを統率する強い鹿の競争率を下げると言ってます。最初の頃は、5頭くらい採っても大勢に影響しないと反論してました。今はお父さんの意見は間違いじゃないかもしれないって、考えています。
もし、猟で将来が有望なオスの駆除に成功したなら、弱いリーダーに群れが統率されるので、弱い遺伝子が群れに拡がって、群れのシカの子供達のレベル低下につながるかもしれません。確かにムラのお年寄りが言うようにメスを駆除すれば、出生率減少に即座に効果が出るかもしれませんが、ここではお父さんの見解の方を紹介します。
その場所で若いオスを射止めると、利用していたベッドが空きます。シカのマーキングも匂いも風雨とともに薄れていきます。新たな若いオスがそのテリトリーとベッドを引き継ぎます。お父さんは幾つもポイントを抑えているから、毎年決まった場所で鹿が捕れるんです・・多分、専門家たちはそれに気づいちゃったんだと思います」
あゆみの説明が実際の猟を明かしたので、全員が耳をそばだてて聞いていた。
今までは秋ごとの狩りだったので、間に1年間のインターバルを置いていたが、秋以降の狩猟となったので、6、7ヶ月で入居者が変わったことになる。また、次の狩猟の秋まで5ヶ月あるが、これからやって来る梅雨で、マーキングも匂いも流れてしまうと予想され、同ポイントでの再捕獲は実現する可能性が高い。
「あゆみちゃん、それって強いオスのシカを先生が取り続けているかもしれない、って話に繋がるのかな?だから学者さんたちが検証したいって騒いでいる。もしかしたらシカの繁殖を抑える効果的な手段になるかもしれないから」
杏の発言は大人たちを驚かせる。だから学者達が騒いでいるのかと合点する。その仮説が正しいと立証されると、モリの知られざる一面が新たに加わるかもしれない。
鮎とモリが選挙を巡るすれ違いでギクシャクしているので、周囲も気遣って互いを距離を置いて、選挙関連の話題に触れぬようにしている。
モリがあゆみに説明させたのも、鮎がこの場にいるから、自分の発言を控えたのだと分かっていた。また、ここ最近のモリを取り巻く状況が様変わりしている状況に、家族たちは気づいていた。まだ何か隠しているのではないか?と期待してしまう。
教師の前に外資企業に勤務していたのは知っていても、高給取りだったとは知らなかったし、射撃の腕前は子どもたちしか知らなかったし、まさか鹿の生態観察で学者からお墨付きを貰うとは思わなかった。挙げ句の果てに、副業のビジネスモデルは関係者の評価が高く、既にいつでもスタートできそうな段階に来ている。最も驚いているのが鮎と蛍という状況が家族の間に波紋を呼んでいる要因となっている。家族の中でモリを理解していたのは妻たちではなく、ひょっとしたらあゆみではないかと誰もが思い始めていた。
モリがわざと隠していたわけでもなく、家族にとっては良き夫であり父で、なんの不満もなかった。長年連れ添っていながら、知らなかった一面が次々と出て来ると、鮎と蛍は自身を責めるようになる。これでは妻失格ではないかと。
立候補を模索していた鮎は、モリの一連の再評価で霞んでしまっている。鮎自身も家族内のポジション順位が落ちているのを実感をしていた。「家長の座はモリ」という雰囲気になり、「引退したおばあちゃん」的な場所に鮎は置かれてつつある。蛍は妻の座が揺らぐ状況に直面していた。夫のことで知らない面がありすぎた。昨今の状況についてママ友2人から質問されても答えられない。今日はあゆみの説明で落ち込んでしまう。父と娘の阿吽の呼吸を見せつけられ、ショックを受けていた。ママ友とその娘たちが側にいる状況で、「夫をあまり理解していない妻」というレッテルを貼られた状況になっている。
週末に猟に出たのも、妻たちと話すのが億劫どころか、嫌だったのだろう。翔子と里子に家族になろうと鮎と持ち掛けていただけに、夫を把握していない実態が露呈してしまい、動揺していた。母の選挙参謀として夫を利用すると、上から目線で話していた当時を恥ていた。夫の副業を知らされた際は怒って見せて、会社の説明を求めたが、その場で夫を把握していない妻だと、逆に思い知らされる。夫の元同僚たちが語るモリは、蛍が知るモリではなかった。エンジニアたちから慕われ、モリと仕事をしたがっている、このベンチャー企業を立ち上げる想いと決意を聞いて脱力する。選挙参謀を担ってもらうなど、はなから無理だったのだ。
オンライン授業は好評のようで、漏れ聞こえてくる生徒達とのやり取りから、学校での評判の良さも伺える。何をやらせても卒なくこなす。元々、器用なのだ、その上で改めて自分の心情を確認すれば、夫と離れたくはないし、食らいついてでもついてゆくと改めて誓う。妻の座を死守する為なら、母に選挙を諦めさせ、翔子と里子に夫との関係は無かった事にして、土下座して詫びようと思うようになった。もうこれ以上耐えられなかった。とばっちりを受けたかのように夫に避けられ続けている事に。
その頃、異変が置き始める。集落に人が現れ、家の庭に勝手に入り込んで家屋をムービーやカメラで撮る。人の声を耳にした蛍が外に出ると、走り去る後ろ姿が見えた。家の中でそんな話を共有して、娘たちには外に出るのを控えさせ、大人が外に出て警戒に当ろうと話し合った。
娘たちは「聖地巡礼」と題する動画投稿やブログを見つける。家の敷地に入って、娘たちの動画撮影ポイントを特定して、知らせる内容だった。その種の動画やブログの再生数と履歴数が増えてゆくと危険だと察し、娘たちは「投稿を暫くの間、中止します」と日英伊の3言語のコメントと音声だけの映像を投稿する。
被害に合ってからでは遅い。娘たちは五箇山からの撤退も想定しているとのコメントを投稿する。すると、善良な方々のサポートを得る。
行き過ぎた行為で、不法侵入やプライバシー侵害に当たる。また、緊急事態宣言下で外出するな、ウィルス拡散に繫がり兼ねないといったコメントが数多く寄せられ、五箇山に訪れる人々に対して投稿内容の削除を求める動きが強くなっていった。
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畑に無数の足跡が残され、土が踏み固められているのを掘り起こす。そんな映像を息子に撮影させて、同情を得るような投稿をしようと考えていた頃、モリに学校から出勤要請が入る。
学校の広報にマスコミから取材の申し入れが多数寄せられているという。
モリは週末の移動をせざるを得ない状況となるのだが、五箇山に不在となると、成年男性が家に居なくなってしまう。そこで鮎が近隣の家に詫びと相談に廻って、ムラ全体での自衛策に乗り出そうと提案する。外部からの感染防止の為に外出時のマスク着用の徹底と、外部からの不審者への声がけを要請した。
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父ひとり、横浜に帰る。全く想定外の事態となった。北陸道五箇山ICから東名へ乗り入れて横浜町田IC、環状バイパス線まで車両も少なく、最短時間の更新となった。家の窓を開けて空気を入れ替え、近所のスーパーで買い物してきた食料品を冷蔵庫に仕舞って、シャワーを浴び、ビールを飲んでホッと一息つく。一人で飲むのは嫌いではないのだが、寂寥感を感じる。長い共同生活に慣れてしまったのだろう。
太平洋側の日中の気温は30度近くまで上昇する。5月の太平洋側の季節は夏と言っても過言ではない。5月下旬なのに、もう蚊に刺されてしまった。
明日、日曜日は庭の菜園を掘り起こして、野菜の苗を買ってこようと決める。例年ならば賑やかな菜園も五箇山へ疎開したので、何も植えていなかった。
留守電に残されていたメッセージの大半は投資や不動産関連、保険などの勧誘だった。コロナで停滞を余儀なくされた業界が、何としても生き延びようと必死なのだろう。何件かの無言電話が間に挟まれているのが気になり、ヴォリュームを上げて再度再生してみたが何も聞こえないので全て消去した。柿の種でビールを3本飲んで、早い夕飯に仕様とキッチンに立つ。玲子と杏に渡されたバケットを夕飯と明日の朝食で消費しようと思い立ち、庭へ出て毎年生えるシノの葉を取る。五箇山へ移動したので菜園には何もしていないのだが、シソ同様に宿根の残るニラが成長していたので、ハサミで刈る。
梅の実がピンポン玉よりひと回り大きくなり、収穫期を迎えている。桃も梅より小ぶりだが沢山の実を実らせている。来月末には甘い実になる。一ヶ月以上家を空けるのは初めての経験だった。こちらに滞在中に大森の金森邸も見に行かねばならない。この家の梅と桃の木を大森に移植したので、同じ収穫期に採取する必要がある。
梅は砂糖を入れて漬けただけの梅酢となり、調味料として使う。桃は青いうちに半分くらいを間引いて、残りは甘く大きく実らせる。
間引いた青い桃の実は、皮を向いて果肉をスライスして芋の代わりに食材として使う。炒めても煮ても桃の甘さがほんのりと味わえる、この時期だけの食材となる。
脚立を持ってきて桃の木の下に固定して、4,5個採って食材にしようとよじ登る。採る実を選んでいると、柵の向こう側の私道でこちらを見ていた男と目があった。顔をそむけて男が早歩きに転じたので視線は合わなかったが、こちらを見ていたのは間違いないと確信した。
男を記憶に留めるように身体的な特徴を声に出して、耳も使って記憶する。初めて訪れた旅先の街や村で、通りや宿などの地理情報を記憶する自分なりの手法だ。
まだ50代前だろうか?ふと、イタズラ心を覚えて脚立の上で両腕を横に広げて、力士のように思い切り柏手を打つ。「パアン」と銃砲に似たような音が辺りに響くと、男は慌ててその場で座り込んだ。
座り込んだ男が恐る恐るこちらを振り返り、遠目だが初めて視線があった。怯えているようなので、奴はオレを確認に来たと悟った。こちらが歯を見せて笑っているのが分かったのだろう。すっと立ち上がると、走り去っていった。
「プロなら失格じゃね?腹ばいにならなきゃ、命中してるぜ」と口にしてから、テニスボールより若干小さな青い桃の実を、5つ採った。実を鼻に近づけると、ちゃんと桃の甘い香りがした。
(つづく)
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