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福田恆存を読む

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『福田恆存全集』全八巻(文藝春秋社)を熟読して、私注を記録していきます。
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2023年4月の記事一覧

『人間の名において』政治的理論からつくられた文学のくだらなさについて

『人間の名において』政治的理論からつくられた文学のくだらなさについて

 福田はこの論文で、一九三〇年前後の日本のプロレタリア文学運動が犯した過誤に焦点を当てる。

当時ひとびとはプロレタリア文学に関連したむなしい議論をくりかえしていたという。それらの議論のむなしさの主な原因は、「ブルジョア文学」乃至は「芸術派」の反撃の矛先が相手の構えた盾に向いていたことによるという。

その盾とは、プロレタリア文学理論という名の磨き抜かれた完全な防備であった。そのため反撃は総じて遠

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『私小説的現実について』理想人間像の欠如、すなわち社会に迷惑をかけなければそれでよい国

『私小説的現実について』理想人間像の欠如、すなわち社会に迷惑をかけなければそれでよい国

  この論文において福田は、理想人間像を持たない日本において「真実」とはなにを意味するかを問う。

初めに福田は、私小説を擁護する立場を表明する。だがそれは我々の歴史的必然性を強調するためであると付け加える。

福田がここで話しかけている相手は、日本の私小説とヨーロッパの文学とを比較して、日本の文学を二流の文学だと主張する文学者たちである。

彼らに対して福田は、日本の私小説を二流だと安易に切り捨

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『表現の倫理』絶対者不在の個人主義

『表現の倫理』絶対者不在の個人主義

 福田は問う。非キリスト教国の日本 —— すなわち絶対者不在のこの国が、個人主義の袋小路から脱するには如何なる道があるだろうかと。

初めに福田は西欧近代の歴史について説明する。西欧近代の歴史とは、「人間の発見であつたルネサンスが神と自然とから人間の自主性を奪取し、さらに数世紀の努力を通じて支配者の手から個人の自律性を奪回しきたつた歴史」であると。

このような歴史の説明は教科書を開けばしばしば目

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『職業としての作家 — 作家志望者におくる』③恒産なきはむしろ有利な特権である

『職業としての作家 — 作家志望者におくる』③恒産なきはむしろ有利な特権である

 近代以降の「職業」は人間的成熟と分離した。その事実を嗅ぎつける点では、作家(芸術家)とディレッタントは同じである。しかしその後で両者は袂を分かつ。

ディレッタントは「職業」を軽蔑しあらゆる職業的技術を猜疑する。が、作家(芸術家)は「職業」を軽蔑しながらも自己の内なる職人を黙々と育てている。

前者は否定のための否定を旨としそこに甘んじ、後者は肯定のための否定を旨とし矛盾に耐える。たんに感受する

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『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』②肯定のための否定ということ

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』②肯定のための否定ということ

 現代では「職業」というものは、人格的価値とは何ら無縁のものとなった。それは「職業」が専門化・純粋化するに従って、いささかも個人の自己主張を許さなくなっていった結果である。人間的成熟と職業は別物と考えられるようになった。

一般的に「職業」の性格はこのように変化していった。では、そこに芸術はどのように関わっていったのであろうか。一口に言えば、芸術はしだいにその職業的性格を希薄化させていったのである

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『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』①落ち着きを失った現代人

『職業としての作家 ー 作家志望者におくる』①落ち着きを失った現代人

 この論文で福田は、作家(一般に芸術家)というものが、かつての「卑しい職業」から神聖なる天職へと昇格していった歴史的経過とその理由を問う。

そんな詩人や画家たちだが、フランス革命を一つの契機として、神聖視されるような特別な存在へと昇格していった。その理由はなんであろうか。

福田はまず初めに、封建的な秩序が確立されていた時代における「職業」の役割について考える。

封建的秩序の下で人々は、集団的

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『民衆の心』エゴイズムという名の自然の法則から出発せよ

『民衆の心』エゴイズムという名の自然の法則から出発せよ

 『民衆の心』が発表されたのは、昭和二十一年三月、終戦から約半年後である。福田はこの論文で、焼け野原と化した日本の再出発の地盤となるべきものを問いかける。

福田は言う。すべてが零に帰した日本が再び立ち上がるためには、「なによりもまづ素手で出発することが必要」であると。

素手とはなにか。それは、現実の醜悪さ ー すなわち、民衆のエゴイズムと差し向うことである。

福田は、文化人、知識階級に問う。

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『荷物疎開』物の実感を支えとする精神

『荷物疎開』物の実感を支えとする精神

  『荷物疎開』は昭和二十年(一九四五年)四月に発表された。終戦のおよそ四ヶ月前である。戦時下のなかで、福田は、物と自分の精神との関係についてある発見をする。

戦争という異常な現実は、福田の頭の中にある観念が形象化していくための時間的有余を与えてはくれない。戦争の激化という逼迫した事態は、しだいに福田を焦燥へと向かわせていく。

東京への空襲は激しさを増す。こうして福田は、今日にも明日にも焼け落

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『文藝批評の態度』作品を育て、作家の意思を継ぐこと

『文藝批評の態度』作品を育て、作家の意思を継ぐこと

 福田恆存は、あえて「理想」を遥か遠く手の届かない場所に置き、そうすることで「現実」の相対性に処することを教えてくれる人間である。だからわたしは福田の文章を読むと不思議な心持ちになる。落ち着き、同時に高揚するのである。おそらく、その現実的な生きかたに安心を感じ、高邁な理想に気分が溌剌とするのであろう。

そういう意味では『文藝批評の態度』は、福田恆存の文藝批評家としての理想表明であると読める。福田

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