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「哲学への興味の発端」

紅顔の哲学者を目指して#3

2024年4月23日(火)

目が覚めて時間を確認したら8時頃だった。
昨日は西田幾多郎を読んで寝落ちした。
読んでいたのはちくま文庫の「近代日本思想選 西田幾多郎」。
2月頃に自分が働く本屋で買ったが、そのまま読まずにいた。
一昨日からやっと読み始めた。いわゆる著作集のような物で、激選された彼の作品が収録されている。
今年読み終わった「善の研究」の第一編と第二編も収録されていて、他は全て読んだことがないから楽しみだ。
目が覚めてからは、しばらく何もせずに横たわっていた。
途中からスマホを取ってXを見た後に、昨日の日記を書き上げてしまおうと思って寝っ転がりながら書き始めた。
ある程度日記を書いたら、途中で切り上げて朝ごはんを食べようと思った。
冷蔵庫の中から母親が用意してくれたご飯を取り出す。
父が飲食店で働いており頻繁にお店で作ったのり弁を家に持って帰ってきてくれる。
それが冷蔵庫に入っていたので、電子レンジで温めて食べた。
これが、めちゃくちゃ美味しい。
今までの人生でのり弁を食べることなんてほとんどなかったが、この味を覚えてしまってはこれから先他のお店ののり弁は食べられない。
朝ごはんを食べた後は、コーヒーを入れた。
コーヒーを飲みながら西田幾多郎を読む。
少し読んだ後でさっきベットの中で書いていた日記の途中を書くことにした。
今日は夜から本屋で勤務なので、それまでに日記を完成させてしまおうと思った。
細かい訂正は後ですることにしてとりあえずは昨日の日記が完成した。
まだ時間があったので、記事の扉絵に使うものを描こうと思った。
家を出るギリギリの時間までデザインを考えたが、あまり満足のいくものはできなかった。やっぱり日頃から絵を描いていないとこういう時に描けないなと思った。
とりあえず、家に帰ってきてからそれをやることにした。できれば今日中にデザインを完成させて投稿したい。
ちなみに、最初の日記の扉絵デザインは僕が描いた。どこかから写真やイラストを借りてくるのは僕の創作における価値観を壊すことになってしまうので自分で適当に書いた。
今日の本屋での仕事は少し忙しかった。でもとても楽しく終えられた。
そして、今帰りの電車の中でこれを書いている。
1日目も2日目もとても日記とは言えないほど長くなってしまったので、今日は長くならない程度に書いていきたい。
それで、今日は書きたいことがある。
それは僕が哲学に興味をもち哲学者を志すに至った経緯についてだ。
僕も最近までなぜ自分が哲学に興味を持ち始めたのか分からなかったが、哲学日記を書いているなかで自分なりにその答えがわかった。
僕が哲学に興味を持ち始めたのは去年の9月ごろでちょうど大学の後期が始まった頃だ。
まだ一年も経っていないのだと思うと驚きだ。
哲学日記の方でも書いているのだけれど、ある日大学の図書館を訪れた時に突然哲学書を読みたくなった。
そんなことあるわけないだろうと思うかもしれないが、その時はそういう気分だった。
ただ、意識的にそう思ったわけではない。
そして、哲学関連の本がある棚に向かい数冊手にして机に広げパラパラ読み始めた。読むとすごく面白いなあと思った。
それで、試しに数冊借りてみた。
そこからというものの、ずっと哲学のことやその本のことを考えてばかりいた。寝る前も起きてからも。
単純に今まで音楽や芸術に興味を持ってきたようにのめり込んだのだと思う。
高校では音楽にどっぷり浸かっていたが、その時も常に音楽のことを考えていた。でも、哲学に対する興味はそれ以上のような気がする。
だって、毎日のように哲学書を読み耽っているわけだから。別に難しいとも思わないし(と言ってしまうと嘘だが)、疲れるわけでもなく勉強でもないので苦痛には感じない。
ましてや、大学受験のように受かるためだけに無理にでも机に向かい勉強するのとは訳が違う。
とりあえず異常に好きということだ。
初めて哲学の本を借りて以降も、何回も図書館に行っては面白そうなものを見つけて読んだ。なんなら授業に出ずに哲学の本を読むこともあった。
それから徐々に授業に出なくなり、図書館にだけ行く日が続いた。それから今に至るまで僕の哲学に対する好奇心は日々高まっている。本当に楽しい。
そして興味を持った理由だが、自分の認識では精神病を患ったことや大学に馴染めずにいたこと、将来に対する不安などが背景にあるのではないかと思う。
逆にこれだけは言えるが大学生活を思う存分楽しめていたら哲学に興味を持っていなかっただろう。
そういった意味では哲学という学問は一部の特別な人だけが学ぶものなのかもしれない。
初めて読んだのが木田元の「わたしの哲学入門」で、その中で彼は"哲学は実生活では役に立たない"と言っていて、最近読んだ「反哲学入門」の中でも同じようなことを言っていた。
確かに去年あたりはそう思っていたかも知れない。
だが、今年に入ってから僕はそうは思わなくなった。むしろ実生活の役に立つのが哲学の本来の役割であり、僕たちの暮らしの質を向上させるためにあると言っていい。だが、詳しくはまた別の日記で書きたいと思う。
哲学に興味を持って色々と本を読んでいく中で確実に生きやすくなったのは間違いない。
気持ちの面においてだが、本当に楽になった。
それまでは、正直大袈裟と思われるかもしれないが、そこに存在しているだけで何というか虚しさや孤独感に苛まれていた。
だが、哲学が「私は何か」とか「心とは」などのような物事の根本を解き明かすものだったおかげで、何というかすごく安心したというか楽になれた。
不安な要素も全て受け入れられ無敵になった気になれた。もちろん常に不安を持ち合わせているのは今でも変わらないが。
何か不安なことが襲いかかってきても哲学という武器が倒してくれるようなそんな安心感がある。
もちろん、それ以外の問題が全て解消されたわけではない。
僕の中で哲学に興味を持ち哲学者を志すきっかけというのは驚きと悲哀によってだと考えている。
つまり僕の場合は悲哀によって哲学に興味を持ち始めたということだ。
でもそう書くと、日々の生きづらさから抜け出すために哲学という学問を学び始めたと誤解されるかもしれないが、僕自身それは意識してなかったことであり自己分析をしていく中で気づいたことである上に僕は哲学というものをいわゆる学問として学び始めたという認識はない。
勝手に興味を持って、誰に言われることもなく自分の好きな時に好きな本を手に取ってただ純粋に楽しんでいた。
僕は今までの人生でいわゆる趣味と言われるものに関してはサッカーに始まり漫画、音楽、文学、芸術という順に好きなものが増えていった。
哲学もその延長線上にある。
哲学に興味を持ち始めたきっかけを考えた時に、それがネガティヴな理由であっただけで、別に辛いから哲学を求めたわけではない。
それに、ポジティブな要因もあるかもしれないしないかもしれない。
ということは、自分のことをそこまで理解していないということだろう。
もちろん僕自身が1番自分のことを知っていると思っている。だが、それは頭の中で意識的に考えていることに対してだけであって、無意識に考えていることに関しては自分でも理解のしようがない。
つまり、哲学者という職業になるぞと意気込んで目指そうと決めたわけではなくて音楽好きがアーティストを目指すように、絵が好きな人が画家を目指すように僕は哲学が好きでそうなりたいと思った。
もちろん、音楽や芸術と違って哲学が学問であるという事実は変わらない。だが、その学問を通して誰かの助けになりたいという思いはある。
おそらくまだ自分の無意識下にあって言語化できてないこともあるが、哲学に興味を持ち始めた理由はざっとそんな感じだ。
あまり長ったらしく書きたくないので今日はこの辺で終わりにしよう。
明日はお昼から大学に行かなくてはいけない用事がある。
休学の手続きをするためだ。
またこのことも順を追ってこの日記で説明したい。
ちょうど大学に行くから図書館に寄れる。
読み終わった2冊を返して何を借りようかな。
じゃまた明日。
じゃあなー🫵🏻

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