何者にもならなくていい
最近自分の変化に戸惑っている。
正社員で働くという選択肢がほぼなくなった。
(これを言ったら親は心配するだろうな。笑)
保育の道を学び続けたいと思っていたのに、保育の仕事より今までと全く違う生き方や他の仕事に興味が湧き始めた。
実家のぶどう農家を継ぐのは絶対ないと思っていたのに「絶対」とまでは思わなくなった。
自分は自分が思っているよりも繊細で、人よりも色々と感じやすい性質があることに気付いた。
人は嫌いではないけど、多くの人と常に一緒にいることや、毎日同じ人と顔を合わせるのが苦手なことにも気付いた。
(これ保育士として致命傷じゃ?!となった。笑)
心や時間に余裕のある生活を続けていく中で、改めて自分にとって心の健康と心の余裕が大事だと感じたし、自分の本当の気持ちや性質に気付く機会が多くなった。
正社員じゃない分、収入が減ったり安定しなくても、少ないお金の中でも心豊かに暮らせると感じた。
今が1番ちゃんとお金の管理やコントロールをして
お金を大切に使えている気がする。
そしてお金の勉強も始めた。
保育士として正社員で働き続けていた時は、お金の管理なんてする余裕や気力もなかったし、ストレスで飲み代に消えたり衝動買いをしていたことも多々。
保育士といえど、手厚い家賃補助があったお陰でお金は割ともらえていた正社員時代。
何とか仕事をこなしてはいたけど、残業もかなりしていたし今思えば自分の身を削って働いていた。
自分でちゃんと仕事と割り切れたりオンオフできればいいのだろうけど、私はそれが苦手だ。
オンオフできる人は本当すごいし尊敬する。
責任感が強いのもあったけど、自分の仕事が子どもに与える影響の強さを、学べば学ぶほど強く感じていた。
だからもっともっと学んでいかないと、と自分で自分を急き立てるような気持ちだった。
園長や副園長からは、保育のことで評価されたり共感を得ていたから、居心地は悪くなかった。
けど、重いポジションを任されたり、やたらと役職が多かったりもした。
複数担任だと、子ども達から「さーちゃんがいい!」と言われることが多く、他の担任からは手がかかると嫌煙されてしまう子達からも慕われた。
全職員から厄介だと思われてしまうような保護者の方にも歩み寄るのを諦めずに、私の退職の最終日に涙してもらえるまでの関係になれた。
(↑このことは自分の保育士人生の中でもかなり胸が熱くなった出来事(´;ω;`))
子どもや保護者から慕ってもらえたり、上司に評価されるのはもちろん嬉しいことだけど、自分の中で勝手にその期待に応えないとと思っていたのかも知れない。
私は保育園の中で、皆から一目置かれる存在にならなければと、更に身を削って仕事をして、研修に行き、プライベートの時間も保育の事を考えたり本を読んだりしていた。
「しなければ」という気持ちに支配されていた仕事と生活。
そもそもキャパもそんなにないし要領も悪い。
疲れるのも当たり前だ。
土日は疲弊してぐったり動けないことも多々あった。
保育園を辞めた理由としては海外保育ボランティアをしてみたい、という理由だった。
そして、もっと皆が保育熱心な園で働いてもっと学びたい気持ちもあった。
園長にはかなり引き止められたが、「可愛い子には旅をさせろです」と生意気なことを言って辞めた。
…生意気すぎる。(/´Д`)/
(けど、そういうことを言えてしまう関係になれたのはありがたい。笑)
園長とは未だに繋がっていてオンライン飲みをすることもあるし、保育のことを熱く語れる仲間もできた。
気の合うパートさんや職員の人も「最近どうなの~?」と未だに気にかけてくれている。(´;ω;`)
大変なこともたくさんあったけど、その事が保育のことを熱心に学ぼうと思うきっかけになったし、色んな研修に快くいかせてくれる園長の姿勢や良い仲間との出会いには本当に感謝だ。
そこの園で働けて本当に良かったと思う。
でも、
今思うと保育園を辞める理由は後付に過ぎなかったのかも知れない。
もっと学びたいという気持ちに嘘はなかったけど、それよりももう、その生活が苦しくて逃げたかったのかも知れない。
保育熱心な自分のイメージを最後まで壊したくないから、正当な理由をつらつらと並べたのかも知れない。
結果的に、コロナで海外保育ボランティアは行けなくなってしまったし、行けなくなったことに残念に思う自分と、どこかホッとしていた自分もいた。
人は、自分では「こう思ってる」と思っていても
そう思いたいから思い込もうとすることも多い生き物だ。
正社員を辞めてから1年。
やっと私は自分の気持ちをきちんと感じたり、自分の本音になるべく嘘をつかない生活の心地良さを感じられるようになってきた。
何かを頑張らないとダメ、頑張って働かないと幸せになれないと思っていた思い込みも、少しずつ捨てられてきている。
思えば、子どもの頃から自分の気持ちを押し殺して生きてきたような気もする。
自分が我慢すれば、笑っていれば、丸くおさまる。
だから自分の意見なんてなかったし分からなかった。
どこか、誰も自分のことなんて理解できないだろうって勝手に孤独を感じていた。
でもそれは違った。
自分の意見を言えば、賛同してくれる人もいるし、自分の色んな気持ちに共感してくれる人や仲間がいた。
本当の自分を表現する勇気を少し振り絞ってみると、豊かに生きられることを感じた。
私は今、私になるための過渡期なのかも知れない。
何かスピリチュアル的な感じもするけれど、
もう自分の気持ちを押し殺して生きたくない。
心穏やかに、自分にも人にも優しく生きたい。
そうやって生きるためには、
自分のキャパや性質をよく分かって
自分の気持ちや本音をよく感じ取って生きることなんだと思う。
この歳になってやっとやっと
私は私のことを丁寧に見つめてあげられるようになったのかも知れない。
今まで、心が叫んでいてもずっと無視し続けていたのかも。
だから叫ぶのもやめて、感じてないふりして、自分の奥深くに押し込めて、何もなかったかのようにしていた。
もう自分にムチを打ち続けて
何者かになろうとするのはやめた。
私は私だ。笑
今までごめんね、という気持ちと
そんな中でもよく頑張って生きてきたねという気持ち。
これからはもっと心も体も大切にしよう。
今まで本当にありがとう。
これからもよろしくねという気持ち。
すいすい~っと
気持ちよく泳ぐように生きたいなぁ。
目的地はあってもなくてもいい。
変更してもいい。休んでもいい。
溺れそうになったら助けを求めてもいい。
泳ぎたくなくなったら浮き輪でただただプカプカ浮くだけなのもいいな。笑
自分の人生を泳げるのは自分だけだから、
自分の泳ぎたいように自分のペースで泳いでいこう。
どこにたどり着くかなぁ。
方向音痴だから目的地決めても無理かもな。笑
でもそれでいい。
それくらいのゆるさでいい。
その時その時ただ泳ぎたい方へ。
私も、世の中の人も、
もっともっと自分に正直に、心も体も健やかで穏やかな生活が送れる日がきますように。
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