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神(創造主)からの試練を乗り越えるためには物事に対して我武者羅に取り組むしかない? 一生懸命かつ無我夢中に生きよう! 長時間スキ制限中!!!

最近ずっと体調が良かった私ですが、1週間ぐらい前から今度はいつもとは異なる頭痛が止まらなくなってきました。どうも遠因は肩凝りのようです。首や肩、腕に凝りがあって、それが長期的な頭痛に関連している感じです。

なお、これはあくまでも自己判断(診断)なので推測の域を出ません。また、今回の頭痛は慢性的なものではありますが、耐えられないほど酷いものではないです。

今のところ、顔の左側や首の辺りをマッサージして対処していますが、これで乗り切れるかどうかは不明です。

それから、私のメインパソコンの調子が悪いです。一応サブのパソコンがあるのですが、もしもの時は連続投稿が止まったり短文投稿で済ましたりするかもしれません。

念のためこの記事で連絡しておきます。

また、昨夜から長時間スキ制限中です。今日は午後10時ぐらいまで他のクリエイターの皆さんへのスキができないかもしれません。

<追記>
先ほど午後5時50分頃にスキ制限が解除されました。早速50人にスキを押しましたので、今日2回目のスキ制限に突入しています。解除される時間はおそらく午後9時頃です。


ここからが本題です。

私は約20年間ずっと体調不良で苦しんでいます。その途中では、難病と言われた(昔は不治の病だった)掌蹠膿疱症や心筋梗塞に罹患しています。それ以外に10個以上の病気に罹っており、最近も1週間程度は原因不明の頭痛で苦しんでいます。

そんな私がこれらの病気とどう闘ってきたかといいますと、それは以下の言葉に尽きると思います。

1.一生懸命
2.無我夢中
3.我武者羅

うまい具合にすべて四字熟語で表現できました(笑)。

1.一生懸命(一所懸命)

これは大学生時代にお世話になったバイト先の社長が頻繁に使っていた言葉です。私もこの言葉が好きで、一生懸命やったことが全く報われなかったことはないです。たとえそれが60%程度の結果だったとしても私はその結果に満足しています。

人生はほとんどの場合において初見や初体験です。ですから、それらの対応が満点でなくても私は合格だと思います。もちろん、やり直しができればいいのですが、人生でやり直しできることはほとんどないです。

なお、一生懸命は、一所懸命が語源で本来はこちらが正しいそうです。

2.無我夢中

上の言葉よりこちらの方が好きです。「無我」とは自分を忘れることであり自分に捕らわれない心のことです。私利私欲や自分の背負っている苦しみや悲しみを忘れて(捨てて)何かに無心で取り組む姿勢は、人間離れしていて神懸っているのではないでしょうか。「夢中」になることはできても「無我夢中」になることは意外と難しいです。

ある事にすっかり心を奪われて、我を忘れてしまうさま。「無我」はもと仏教語。自分に捕らわれる心を超越した心。そこから自分を忘れる意。「夢中」は物事にすっかり熱中して、他のことを考えられない状態。

無我夢中の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典

3.我武者羅

血気盛んな若い頃は我武者羅(がむしゃら)でもいいのではないでしょうか。方法論や成功体験を持たない時期は、何事に対しても我武者羅に取り組むしかないです。そして、我武者羅に挑戦しながら自分なりの成功の法則を持てるようになることが、「成熟した大人」というものです。

ただし、下の学研の解説にもあるように、向こう見ずになることは良くないです。この場合の「向こう」とは、将来や未来のことです。ある程度我武者羅に挑戦して少しずつ結果を出してきたら、今度は「向こう(将来)」を見て計画を立てる必要があります。それらを意識した我武者羅は決して悪いことではないです。

がむしゃら【我武者羅】
一つの目的に向かい、血気にはやって向こう見ずになること。また、他のことはまったく無視して、ひたすらあることをすること。
注記「我貪がむさぼり」が転化したもので、「武者羅」は、当て字。類語遮二無二しゃにむに

我武者羅の解説 - 学研 四字熟語辞典


最後に つらいことや悲しいこと

人は生きていますとつらいことや悲しいことにたくさん出くわします。また、長期的に艱難辛苦と闘うこともあります。そんな時に、私が上で書いた四字熟語「一生懸命」「無我夢中」「我武者羅」の3点は、私たちの試練を軽減してくれるかもしれません。少なくとも私はそうでした。

なお、私の人生は、「高次元の誰か」が私を駒にして遊んでいるような気がします。そして、その「高次元の誰か」が、私たちにとっての創造主(神)なのかもしれません。

肉体を失って魂だけの存在になり、「高次元の誰か」に出会うことができたならば、私は彼ら(?)彼女ら(?)に向かって絶対に言ってやります。

「よくも俺の人生で遊んでくれたな!」と(笑)。

もちろん、「激おこぷんぷん丸」の状態で(笑)。

<補足>話が見えて来ない方のために

子どもの頃に、双六や人生ゲームをやったことがある人はイメージが湧きやすいのではないでしょうか。私たちは一人一人が人生ゲームの主人公なのです。そして、その私たちを誰かが動かしていることになります。私たちは自分たちの意思で人生を選択し歩んでいる自覚がありますが、実はそうではない可能性もあるのです。

それは、この世が仮想現実であることとも関係があります。なお、仮想現実という考え方は今のところ「説」です。事実でもないですし、科学的に証明されたわけでもないです。

ツイッター社・CEO(最高経営責任者)のイーロン・マスク氏が少し前に爆弾発言をしていました(笑)。

「世界が仮想空間でない確率は数十億分の1である」と。

世界が仮想空間でない確率は数十億分の1である【イーロン・マスクは語る】

自称〇才の私も(笑)、実は、これに近い考えを持っています。

もしこれが事実ならば、私たちは苦しみを楽しまないと大損することになります。「苦楽を共にする」という言葉がありますが、まさにそのような人生が望ましいと言えるでしょう。<もちろん、私の場合、本来の意味とは異なる意味で使用しています。苦しみ自体を楽しもうという意味です。実際はかなり難しいことを言っています。>

<参考動画>世界が仮想空間でない確率は数十億分の1である【イーロン・マスクは語る】

https://www.youtube.com/watch?v=XTrAEujtWjU

コンピューターの中に作られた仮想的な世界を、あたかも現実のように体験させる技術。映像や音による視覚聴覚のほか、触感など、五感に訴えかける工夫がなされている。たとえば、立体的な映像や音声を再現できる、ヘッドマウントディスプレーなどの装置がある。また、振動重力などをリアルに体感できるゲーム用のコントローラーなどへの実用化も進む。危険物を扱うロボットの遠隔操作や操縦シミュレーションなど、幅広い分野への応用研究が進められている。

ASCII.jpデジタル用語辞典



「試練 フリー素材」で検索しましたら、下の画像が出てきました。本当は1番目か2番目を採用したかったのですが、アップロードしますと枠内に収まりませんでしたので仕方なく3番目を選択しました。無料の画像を自分でキャプチャーすればこの問題を解決できるのですが、それですと新たに著作権の問題が出てきそうです。




今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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