見出し画像

一番読んで欲しい時、タイトルが思い浮かばない。

あ、いつの間にそんなところに、どうも、すけおです。

いつもは自分なりに少し不真面目に書いてるつもりなんですけど、ごめんなさい、今回はマジめの真面目でいきます。あ、本当です。

僕は普段色々なnote読むのを楽しんでいるんですけど、先ほど見つけたこちらの記事、グッと、グクッと胸にきたので、共有します。

是非読んでください、とは言いません。
読もう、一緒に。読むよ、一緒に。逃げんなよ。

当記事に書かれている内容に、補足できるような力は僕にはありません。おそらく、そんなことしようとすると逆に内容がわかりづらくなると思うのでやりません。いつもならやります。今回はやめます。

この記事は、テレビ番組から抜粋して一部の内容を記載されているのだと思います。
一部ですよ、これで。こんなに辛く胸が苦しくなるのに、何十年も前の、受けた傷に大小はつけられないけど、客観的に見たら被害が小さかったであろう方々の話。

ここでインタビューに応じてくださっている方々、やはり皆さんが口を揃えていうのは、

「思い出したくない」ということ。

8月6日の記事にも書きましたが、
僕ら日本人は確かにこの事実を伝えていかなければいけませんが、経験した方々は、そのたびあの日のことを、力づくでも蓋をしたいあの記憶を、掘り起こしてくれています。

その度にあの日の映像や感情がドッと押し寄せてくるでしょう。僕だったら、その一回の流れにも耐えられる自信はありません。

それを僕らはどう受け止めるべきでしょうか。僕にもわからないですし、答えはないと思います。
でも、とりあえず黙祷しておこう、8月6日だから原爆ドームみにいこう、なんて思いだけで過ごしていいのでしょうか。

話を聞いている側の綾瀬さんでさえ、涙を浮かべています。視聴者からは見えないような辛さも、その場で話を聞く綾瀬さんにはのしかかっているのでしょう。それでも、被災した方々とは比べられるものではないと思いますが。

テレビ番組の制作側はこの番組を作っていて楽しいものではないと思います。おそらく、出演している方々皆さん辛く、苦しい思いを感じているでしょう。それでも放映している意味。受け止めなければなりません。

戦争を語り継ぐのは何故か。

後半部分のアメリカの方と、当時を経験した日本人の方の対談。
これが戦争なんですね。テレビなのに、何十年も経ったのに、被害を受けた相手が目の前にいるのに、それでも謝ることができない。相手が憎い。

だからといって、日本人にとっての真珠湾攻撃、アメリカにとってのB29を誇っているようには感じませんでした。

攻撃は復讐を生んでも、喜びや安堵は生みません。

戦争から僕らが学ぶべきことは、アメリカが憎いだとか、当時の日本が愚かだったとかそういう薄っぺらいことではなく、これを絶対に繰り返してはいけないということ。

これを綺麗事だという方々、当時の写真を直視できますか。戦争についてどこまで深く考えたことがありますか。

僕は、自分が戦争のことに関しては無知なんだと感じました。それと同時に、知りたくない、とも思ってます。そのためには、戦争を繰り返さないためには、僕らがより深く知らなければいけない。直視しなければいけない。と思います。

何より大事なのは、番組でも触れられているように、これを戦争で割り切ってしまってはいけないという部分です。
罪の大きさは被害の数の大小ではありません。
いじめ、差別、暴力…
今の自分の言動は、相手にとってどう受け止められるか。
将来、自分の中で自分に対して誇ることができるのか。逃げずに、声に出して言えるのか。
それを常に考えながら生活しないといけないですね。想像力です。

人を傷つけるものは、誰に対しても潤いは与えません。あなたがしたことが全てあなたに帰ってくるとは言いませんが、あなたの中にはずっと残ります。過去も今も未来の自分の中に残ります。

未来の自分のために、今を大切に。

限りある時間、こんなに平和な中生まれてこれたこと、せっかくなら幸せになりましょう。過去の出来事を受け入れて、未来を創りましょう。

笑っていれば幸せを感じます。周りが笑っていれば自分も笑顔になれます。人間ってそういうふうにできているんだと思います。自分が幸せになるために、その言動は周りを笑顔にするのか、考えられたら今より少しでもいい時間を過ごせるのではないでしょうか。

憎しみあうほど、無駄で悲しいことはありません。争いをなくすっていうのは、理想論、綺麗事、なんだと思います。
それでも、少しでも変えようとすることは悪いことですか。そういう言葉を使って逃げているだけではないですか。
できるかはわかりませんが、僕は変えたいです。
外野からはなんとでも言えますが、例えば、僕が教師になったら、学級をいじめのない社会にできる自信はあります。

いじめが何から生まれるのか。現場でないとわからないものもありますが、大半は退屈からだと思います。そこに何か。わからないけど何か。

幸せは、相手と比べるものでなく、相手と合わせるものなんだと思います。その場にいる人の幸せの総和がどれだけ大きいか。
そういう意識で行動していきます。

こういう文章書く時は、感情が大きくなってしまい頭を整理できず、申し訳ないです。力不足です。僕はまとまってない考えを人に伝えるのは苦手、というか、好きではありません。
でも、なによりも、皆さんに考えて欲しいので、書かせていただいた次第です。


もし、ここまで流して読んできた方、最後にお伝えしたい事は、

この僕の記事はもう読まなくてもいいので、さっきも貼りましたが、下の記事は読んでください。向き合いましょう。

話し合う。戦争は絶対止めなければ。ただの話し合いで終わらないのなら、殴ってでも蹴ってでも話し合う。

夜中にすみません。より多くの方に届くよう、たくさんタグつけます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?