見出し画像

人生は、“大どんでん返し”を楽しむパーティーである。

【この記事は1分で読めます】

“こちらのパソコンはいま、
ホワイトハウスのホームページとつながっています”

母校のオープンキャンパスで、初めてインターネットというものに触れたときのことをよく覚えている。もう20年以上前のことだ。記憶力のいいわたしは、帰りに校章の入ったボールペンとカロリーメイトの半分バージョンをもらったことも覚えている。

十代の頃、わたしは未来の自分に向けて手紙を書いたことがある。宮沢賢治が手帳に記した“雨ニモマケズ”に触発されて書いたのだ。いまは手元にない。最後に読んだとき、処分してしまったような気がする。

就活もせず、自由気ままに世間に中指立ててやり過ごしていた自分。結局、気付いたらどっぷり自分の理想とはかけ離れてダッサイ親父連中の僕(しもべ)と化していた。

でも、やっぱりスーツは似合わなかった。BRIEFINGのビジネスバッグ片手に、強気を演じながら日々をやりすごしている自分を許さない、もう一人の自分がいつもそばにいた。

自分をいちばん近くで守れるのは自分である。けれども、人は他人との関係性の中でしか生きられないのも事実。勇気だって一人で奮い立たすことは難しい。誰かの生き方に触発されて、自分の足元を見直すことだってよくあるはずだ。

もう、しばらく学生時代の友人とは会っていない。けど、いまはSNSがある。便利になったものだ。まったく女っけのなかった学友も、いまでは3児の父親。彼は3回生のときにアメリカに留学することになったのだが、1週間で挫折し帰国。地に足着いた仕事をしたいと卒業後もう一度勉強し直して、いまでは立派な看護師だ。

同じゼミに在籍していたもう一人の友人は、いまでは母校の顔でもあるチャプレン(牧師)に就いている。相変わらずガラケーでFacebookに投稿していたようだがまた故障して、ショップのスタッフに今度こそはスマホに変えるよう強く説得されたらしい。その後、どうなったのかまだ分からない。

みんな悩んでいるはずである。こんな自分でいいんだったっけ?と。特にオトコは十代で時間が止まっている。オトコは理想を追いかけるロマンチストではなく、いつも理想とのギャップに苦しむリアリストだ。

わたしはいま、十代の頃描いた未来予想図とはちょっと違う人生を歩んでいる。でも、これでいいのだ。自分を裏切ってやらないと、いい意味で。だからまだまだやるよ、人生の大どんでん返しをね。

Live your life !

この記事が参加している募集

はじめてのインターネット

応援お願い致します。