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凡人について

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文章論と凡人についてのまとめ

文章論と凡人についてのまとめ

昨日の記事において、どうでもいい文章が溢れている話はした。それらすべてを読めるならいいが、凡人にそんなことは無理だ。ということは取捨選択しなくてはいけないことになる。ネットにはたくさんの文章が漂っている。それをこれは読まない、これは読むと選ばなければならない。だから大半は駄文なのだから、文章は読まなくてもいいという人が出てくるのもわからないではない。そもそも世の中の流れが、メッセージを読み取るとい

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お金がない話

お金がない話

私の個人的な話をすると、私のおこづかいは一月1万円である。1万円もあると見るか、1万円しかないと見るかは人によるだろう。ところで私の肌感では、一月1万円は明らかに少ない。一日当たりにしてみるとその少なさがわかる。つまり333円/day。300円ではちょっとカフェで休むこともできない。せいぜい街中のベンチで休みながらペットボトル飲料を飲むことができるぐらいである。また、333円では娯楽も買えない。本

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嫌いな人が嫌いなものについて

嫌いな人が嫌いなものについて

嫌いな人が好きなものをなぜか嫌いになってしまうことがある。もし私が好きなものを私が嫌いということである人が嫌いになるのだとしたら悲しいことだ。好きになることに愛が分有されているのならば、それはむしろ自分が嫌われていること以上に耐えられないことでもある。ではなぜ、嫌いな人と別物のはずのあるものを人は嫌うことがあるのだろうか。

一つ考えられるのは、人が愛する対象を自分の一部とするという事実を人は感じ

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この2択しかない話

この2択しかない話

結局次の2択に落ち着く。すなわち、

体に悪いがみんなと同じく楽しい気がする日々を送る。

比較的健康的だが退屈で孤独な日々に耐える。

これ以外に何があるだろう。ある年齢になれば楽しみはなくなってくる。そうなると薬物を使って楽しむしかなくなる。または無理にでも体を壊しながら楽しむしかない。それが嫌で少しでも健康的に過ごそうと思えば、退屈さや孤独さに耐えなくてはいけない。何か楽しいことはないかと探

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帰りたくないときの話

帰りたくないときの話

帰りたくないときがある。例えば昨日のお出かけの後。私は駅でベンチに座り、しばらく帰らなかった。そのお出かけは街の図書館に行くというものだった。だがしかし、本当のところ、場所などどうでもよく、出かけたかったのだ。家には本があり、時間はつぶせるが、私はそれに苦しくなり、出かけた。私が欲したのは感情が動くことであり、加えて体が楽しみを持つことだった。

年齢的に楽しみを持つのは苦しくなっている。若いとき

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人はなぜ立派な人や成功者の言葉に惹かれるのか

人はなぜ立派な人や成功者の言葉に惹かれるのか

以前私は凡人は凡人の話を聞かないということを書いた。凡人は適切に意見を処理できないので、少しでも違和感があると聞く耳を持たなくなってしまう。

しかし、実践が最終的な目標であるとすれば、凡人の意見こそ聞くべきな気がする。成功者や天才の意見というのは実践できないことがあるからだ。それはそうだろう。凡人は天才の能力を使いこなせない。

なのに、である。人は成功者や天才の自慢話を楽しそうにありがたがって

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must、can、will

must、can、will

自分を知り、それを受け入れることが必要だ。それは自分がどうしたいのかということと、自分に何ができるのかということと、社会の中でどういう位置づけをされているかということを知り、それを習慣にまで落とし込むことだ。

誰がいい出したか私は知らないが、世にはmust、can、willで知られている。これがうまく重なるところを目指せというわけだ。

失敗する人は大抵どれも正しく認識していない。私の場合でいえ

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自分の中にいる子どもの部分をうまく導こう

自分の中にいる子どもの部分をうまく導こう

子どもを見ていると、かわいいとか、うるさいとかだけでなく、自分の今後に活かせそうな教訓を見出せる。

子どもは天才でない限り、劣化した自分と見ることができる。確かにあんなに飛び跳ねたり、騒いだりはできないけれども、仕事のような真面目な部分では大いに参考になる。

子どもは怠惰で、できることが少ない。それは凡人のあり方そのものではないか。

だから、子どもを観察することによって、自分を改造する方法を

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敵を知り己をしれば百戦危うからず

敵を知り己をしれば百戦危うからず

自分のことをよく知り、習慣にまで落とし込むことが大事と書いた。また、どうすれば自分のことをよく知れるのかも書いた。つまり、自分と同じ年齢の人がどういわれているか、自分がどんなカテゴリーに属するかを理解し、積極的にそのカテゴリーの人が合う行動をすることがそれだ。例えば、人妻にカテゴライズされる20代後半くらいからの人であれば、結婚していた方が合うだろうし、おじさんにカテゴライズされる私のような40代

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凡人方法論実例(6月6日の場合)

凡人方法論実例(6月6日の場合)

以前凡人による凡人のための方法論を書いたが、今回はその実例を書いてみよう。

昨日6月6日はなかなかいい日だった。

なぜかを分析してみると、昨日は通院というやらなければならないことと、街中に出るのでどこかに寄りたいということと、本を読みたいということのバランスがよかったことが一つ。また、やりたくないのにやってしまうことをやらなかったこともよかった。

昨日は仕事は休みだったが、月一の通院で、これ

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人はなぜ自分は人よりも優秀だと思いたがるのか

人はなぜ自分は人よりも優秀だと思いたがるのか

私は以前、人は自分は平均以上だと思いたいと書いた。しかも潜在能力が高いとも思いたいに違いない。それはマンガを読んでいるとわかる。主人公は大抵最初は馬鹿にされていても、結局はすごい能力を隠し持っている。人々は自分に価値があるのだと思いたがっている。

ところで能力とは目に見えないものだ。しかも科学的にいうと、大体が遺伝によって決まってしまう。できる人はでき、できない人はできない。これは真実といってい

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凡人は凡人の話を聞かない話

凡人は凡人の話を聞かない話

凡人は話を聞く能力が比較的低いので、聴く価値のないと思ってしまった話は一切頭に入ってこない。これは読書に関してもそうで、凡人に情報や意見を届けようと思ったら、凡人が伝えるというのはあきらめるべきだ。つまりは、凡人に何かをしようと思えば、凡人から脱しないといけない。

凡人は話を適切に処理する能力が低いので、聴いてしまった話は信じるほかなくなってしまう。そのため、入ってくる段階でシャットアウトするよ

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結局これはメモだった話

結局これはメモだった話

凡人は凡人の話を聴かないということを前に書いた。であれば、この記事というのも読まれることはないだろう。読んでもらうためには手順を踏まなければならない。

こう考えてみると、凡人による凡人のための方法論を書くという目的は変えなければならない。私はどうしてここに文章を書いているのだろうか。

一つは前にも書いた、精神衛生上いいからだ。しかも文章というのは相手を想定する必要があり、もし読まれないとしても

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聴いてはもらえないだろうけれども若者にわかってほしい話

聴いてはもらえないだろうけれども若者にわかってほしい話

凡人の私が何か提供できることがあるとすれば、失敗談くらいだろう。私は40代男性だけれども、好きな女性にモテたいと思っていた。しかしこれは自分のことを知らないからこそできる無謀な企てで、なんの実りもないまま20年近くを過ごしてしまった。むしろお金を無駄に使ったのだから、大きくマイナスといっていい。もし偶然にもこの記事を読んでくれた若者がいれば、私は自分のことをよく知るようにした方がいいと伝えたい。私

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