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結局これはメモだった話

凡人は凡人の話を聴かないということを前に書いた。であれば、この記事というのも読まれることはないだろう。読んでもらうためには手順を踏まなければならない。

こう考えてみると、凡人による凡人のための方法論を書くという目的は変えなければならない。私はどうしてここに文章を書いているのだろうか。

一つは前にも書いた、精神衛生上いいからだ。しかも文章というのは相手を想定する必要があり、もし読まれないとしても、語りかける形式にならざるを得ない。

もう一つは、未来の自分のために書いている。紙で保存するよりも安上がりで記憶できるため、これは便利だ。だから自分に向けて書くというのがこの場合一番当てはまっているかもしれない。だから読まれないことを気にしてはいけない。

いわゆる記事の形式に落とし込まれたメモという位置づけがこの記事には一番合っているかもしれない。私たちは何かの形式でないと保存できない。いつでも引き出せる高性能の脳みそがあればいいのだが、それが合ったら苦労しない。

では次に問題になるのは、何をメモするかということだ。ここに書くということはある程度抽象性が求められる。そして保存ということを考えると、ルーティンに落とし込めることの方がいい。

ちょっとした幸せを書くというのは一つ思いつく。人はいいことはあまり覚えていないから。

  • 凡人による凡人のための方法論は頓挫した。

  • であれば、ここに書くのは未来の私のためのメモだ。

  • では何をメモするかといえば、ちょっとした幸せだ。

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