東とびうお公園

くまのプーさんみたいな優しい友だちがほしい…。アザミを集めるように幸せを集めたい…

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『クマのプーさんとしょんぼりイーヨー』

『クマのプーさんとしょんぼりイーヨー』は、クマのプーさんの中に出てくるイーヨーの名シーンを集めたちょっとした本であり、ちょっと陰鬱になる本だ。しかしこうしてイーヨーとして対象にしてもらうと、なぜか笑けてくるのはおもしろい。 「ご機嫌いかが」「イーヨーの第二運動法則」「最初の印象」「二歩前進」「ほんとうの友だち……」「ごあいさつ」「油断もすきも」「ためつすがめつ」「間違った解答」「取り返しはつかない」「イーヨー= H2O」「負け惜しみ」「憂鬱は伝染する」「気分は灰色」「マイナ

    • アダム・スミス『国富論』4(2024年6月26日)

      『国富論』を読んでいる。再三書いているように、この本は本当に多彩で網羅的な内容が書いてあり、これを本気で読めば、確かに経済学を身につけられそうだ。訳者が書いているように、アダム・スミスのすごいところは、本当の原因にまでさかのぼり、さらにそれを整合的に説明しようとしているところだろう。学とは本来そういうものであって、数学を使って説明すればいいわけではない。もし私が経済学部にいたときに本気でこの本を読んでいれば、他の講義などどうでもよかったかもしれない。始まりとはやはりすばらしい

      • 帰りたくなくなった話

        帰りたくない病にかかっている。お酒を飲んだときなどに起こる、家に帰りたくなくなる私の病だ。今日の場合お酒を飲んでいないし、家が嫌なわけでもない。そしてそんなに楽しいことがあるわけでもない。しかし帰りたくないのだ。これは病だろう。 ところで、今日出かけてきたのは夕食と、昨日飲んで感動したケニアのコーヒーを飲むためだった。夕食に食べたハンバーガーも、ケニアのコーヒーもおいしかった。十分なのだが、なんだか帰りたくない。「帰りたくなったよ」という歌があったが、「帰りたくなくなったよ

        • ケニアのコーヒーがおいしかった話

          昨日の収穫は、ケニアコーヒーがおいしかったことだ。香りは嗅いだだけでなんだかウキウキした。味はとてもバランスよく、かつ後味が嫌な雑味が一切ないというクオリティの高いものだった。検索して調べてみると、なかなか手に入らず、高級なようだ。そう考えると、650円で飲めるのはコスパがいい。豆も買いたかったけれども、高くて断念した。しかも同じように淹れられるわけでもない。ともかくとても贅沢な時間で、また行きたくなってしまった。 この前書いたように、最近はお酒を飲まないようにしている。ま

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        『クマのプーさんとしょんぼりイーヨー』

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          アダム・スミス『国富論』3(2024年6月25日)

          『国富論』の理論部分を読んでみると、数式は使っていないものの、驚くほど数学的だ。また、経済学の始祖といわれるだけあって、経済というものが自然の法則に従っているというのを、分業、価格、数量、需要などを使って華麗に説明している。こういうところが、みんなに評価されるところなのだろう。しかも、経済学で話題になる話はだいたい網羅されていて、そこも古典として評価できるところだろう。 これはnoteで記事を書いている人にも有用な事柄だと思う。いい記事というのは、人々にとって使いやすいもの

          アダム・スミス『国富論』3(2024年6月25日)

          追いかけっこの話

          見知らぬ人が私を追い越して走っていく。私はそれを見て、自分もその人を追いかけたい衝動に駆られる。私もサラブレッドと同じく、走る集団になりたいのかもしれない。聞いたところによると、サラブレッドはそうした本能があるらしい。それで競馬というものが成り立つ。人権と政府と倫理委員会が許すのであれば、人間でもできそうだ。少なくとも私は一枠に入れそう。ともかく私はその人を追いかけたかった。特に何がしたいわけではなく、ただ追いかけたかったのだ。しかしそれをすれば、犯罪になりかねない。私と競い

          追いかけっこの話

          アダム・スミス『国富論』2(2024年6月25日)

          昨日から本格的に読み始めた『国富論』。もう一つ特徴的なところがある。それは進歩史観だ。アダム・スミスは分業が生活をよくしたと信じている。しかも未開の地域と発展した地域があり、発展した地域は富を多く持っているという。ここで富とは財やサービスの豊かさのことだ。とはいえそうだとすると、まあ発展していると財、サービスは多いかもしれない。 現代では進歩史観はどうも分が悪い。とはいえ、一定の納得感があり、進歩していくと考えるのはわかりやすさという最大のメリットがある。ここは古典であると

          アダム・スミス『国富論』2(2024年6月25日)

          アダム・スミス『国富論』1(2024年6月24日)

          私は経済学部を出ているのだが、ずっと読めといわれていた本があった。アダム・スミスの『国富論』だ。これを読まない経済学部生はモグリだとさえいっていた。だから、実際私はモグリの経済学部生だったのだろう。その『国富論』をこの度、ついに読んでみようと思い立った。この前図書館に行ったとき文庫でたくさんあったから。しかし、これは長い本で、しかも議論が入り組んでいる。骨の折れる本だ。私は読み通すことができるのだろうか。 まず序論。ここからして重要だ。というのもここで述べられているのは「労

          アダム・スミス『国富論』1(2024年6月24日)

          みんなどこかに逆転の一手があると思っている話

          ふと思ったことがある。それはみんな、何かいい手があって、それを使えば問題は解決するはずだと実は思っているのではないかということだ。私も少し気を抜けば思ってしまう節がある。ところで、その問題が起こっている当のものから離れたところで、問題は解決しない。それは逃げているか、目を逸らしているだけだ。そういうことが必要な場面もある。しかし理性はそれを許さない。一番いいのはそれが解決することであるのは多分みんなわかっている。 問題とは実のところ硬い岩盤のようなものだ。そこには実質がある

          みんなどこかに逆転の一手があると思っている話

          いま気になっている仕事の話

          仕事がなかなか時間に終わらない。私の仕事は始まりと終わりが決まっていて、その中で決まった量をこなさなければいけないのだが、その量が基準となる量になかなか達しないのだ。頑張ってどこかを縮めても、どこかでいつもと違うことが起こって、結局終わるのはギリギリになってしまう。でも私の倍くらいできている人がいるのだから、できないことはないらしいのだ。まったく不思議な話だ。 ここで、考えられる方策は トラブルがまったく出ないことを期待する。 トラブルがないというくらい落ち着いて行動す

          いま気になっている仕事の話

          目は読むには向いていない話

          文章はその性質上、普遍主義、主知主義、理性主義であることは書いた。そのため現実には人それぞれ充実していても、文章にしたときにはそのいい部分が削ぎ落とされてしまう。話し言葉ならまだいい。というのも語調とか人となりが見える場面で話すからだ。つまり文章はプライベートを表すのに向いていない。 では日記はどうなるのか。確かにだいぶプライベートだ。しかしどうだろう。技術を持たない人の日記はありきたりでいつも同じことの繰り返しになってしまうのではないか。日々の違いを書くとなると、その前の

          目は読むには向いていない話

          この2択しかない話

          結局次の2択に落ち着く。すなわち、 体に悪いがみんなと同じく楽しい気がする日々を送る。 比較的健康的だが退屈で孤独な日々に耐える。 これ以外に何があるだろう。ある年齢になれば楽しみはなくなってくる。そうなると薬物を使って楽しむしかなくなる。または無理にでも体を壊しながら楽しむしかない。それが嫌で少しでも健康的に過ごそうと思えば、退屈さや孤独さに耐えなくてはいけない。何か楽しいことはないかと探し回ってもないのだ。なぜなら楽しいという感情は新たにできるようになったことに反応

          この2択しかない話

          何をあきらめ何を続けるか

          あきらめることと抗うことは判断がなかなか難しい。やめるのかやめないのか、希望を持つか警戒するか。少し間違えば泥沼になるし、うまく処理すれば力を感じることができる。それは王者の遊戯だ。そこには決断力、判断力を試そうという思いが隠れている。ということは、決断力と判断力を鍛える片づけというものをすることで、私たちは何をあきらめ、そして何に希望を持ち続けるかをうまく処理できる。 要するに、その当のものをどう思っているかで決めればいいことになる。本当に続けるたいのか、本当はやめたいの

          何をあきらめ何を続けるか

          話そうよの話

          矛盾は本当を表している。代わりに論理的整合性は真理を表している。私がほしいのは本当だと思う。真理はときに嘘であって、大鉈で現実を刈る。体は現実に生きているので、その矛盾に私たちは戸惑う。

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          話そうよの話

          帰りたくないときの話

          帰りたくないときがある。例えば昨日のお出かけの後。私は駅でベンチに座り、しばらく帰らなかった。そのお出かけは街の図書館に行くというものだった。だがしかし、本当のところ、場所などどうでもよく、出かけたかったのだ。家には本があり、時間はつぶせるが、私はそれに苦しくなり、出かけた。私が欲したのは感情が動くことであり、加えて体が楽しみを持つことだった。 年齢的に楽しみを持つのは苦しくなっている。若いときというのは楽しみに溢れている。ということは逆に苦しみにも溢れている。幸い、私はそ

          帰りたくないときの話

          こんな記事どうですかい?シリーズ3「お酒のパッケージはなぜおしゃれなのか」

          今日ブランチでとある宿泊施設にくっついている飲食店に行ったとき、おしゃれなラベルのついたワインを目にした。そこで私はことあるごとに思っていた疑問を思い出した。 「なぜお酒のパッケージはおしゃれできれいなのだろうか?」 そこでこれを記事にしてはどうか。

          こんな記事どうですかい?シリーズ3「お酒のパッケージはなぜおしゃれなのか」