見出し画像

人はなぜ自分は人よりも優秀だと思いたがるのか

私は以前、人は自分は平均以上だと思いたいと書いた。しかも潜在能力が高いとも思いたいに違いない。それはマンガを読んでいるとわかる。主人公は大抵最初は馬鹿にされていても、結局はすごい能力を隠し持っている。人々は自分に価値があるのだと思いたがっている。

ところで能力とは目に見えないものだ。しかも科学的にいうと、大体が遺伝によって決まってしまう。できる人はでき、できない人はできない。これは真実といっていいほど、真実味がある。

人々がそうまでして希望を持つのは、頭が悪いからだというのはあまりいわれない。もちろんそうだろう。人々は周囲と軋轢を生みたいわけではないからだ。それでも私がこういうのは、凡人にはそんな希望は何にもならないからだ。いってしまえば、起きながら夢を見ているようなものなのだ。

私は人は目覚めた方がいいと思う。確かに思い込みが激しい人が成功することもあるだろう。しかし大部分の人は失敗する。わかっているからやらないのは確かに卑怯だが、どこにもそのことが確信されないのに挑むのは若者の特権なのだ。

私たち年寄りの凡人は、目を覚まさなくてはいけない。そして、しっかり着実な道を行かなくてはいけない。例えばフッサールを読まないのにいきなりデリダを読んで理解できたりはしない。そしてプラトンを理解せずしてアリストテレスを理解することはできない。

順序というものがある。だから早くから始めた人に追いつくことなどできはしない。私たちはどこかで一発逆転が起きると思っている。しかしそんなのは幻想だ。スポーツの見過ぎだ。スポーツはそうなるように設計されているということは誰でも知っているのに誰もいわない。

目を覚ませ。そして仕事に着手せよ。凡人は天才にはなれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?