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アンティークコインの世界 | ザクセン三兄弟ターレル銀貨の魅力

今回はタイトルにある通り、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領で発行された「三兄弟ターレル」と愛称される銀貨について紹介していく。少し前からターレル銀貨の魅力について連続的に紹介しているが、今回もこの銀貨について述べる。巨大で描写が鮮明且つ美麗なターレル銀貨は、私たちを魅了して止むことがない。

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図柄表:クリスティアン2世、ヨハン・ゲオルグ1世、アウグストの三兄弟肖像(Christian II, Johann Georg I, and August) *彼らの統治期間は1591〜1611年 
図柄裏:盾紋章
発行地:神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領(アルベルティン家)ドレスデン造幣局(Mint
Dresden, Saxony, Germany Electorate of Saxony Albertinian Line)
発行年:1595年(同タイプの発行期間は1592〜1601年)
発行者:Hans Biener(ハンス・ビーナー)
エッジ:プレーン(Plain)
銘文表:CHRISTIAN·IOHAN:GEORG·ET·AVGVSTVS 1595(英:Christian, Jean Georges and Auguste 邦:クリスティアン2世、ヨハン・ゲオルグ1世、そしてアウグスト 1595年)
銘文裏:FRAT:ET·DV-CES·SAXON:(英:Brothers and Dukes of Saxony 邦訳:ザクセンの兄弟と公爵)
額面:1ターレル(1Thaler)
材質:銀(Silver .875)
重量:29.0g
直径:41.0mm
分類:MB 314、Dav ECT 9820
状態:VF(美品)

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1595年にザクセン選帝侯領(アルベルティン家)で発行されたターレル銀貨。首元まで覆うフリルを飾った鎧を着用した三兄弟が正面向きに並んだ秀逸なデザインである。通常、コインの肖像は流通による肖像の摩耗を考慮して横顔で描かれる。だが、本貨は珍しく正面から肖像を描いている。また、一人ではなく、三人が並んだ家族写真のような描き方をしている。こうした構図は非常に珍しく、コインとして興味深い。ビザンツ帝国には親子が二人並んだ様子を正面から描いたコインが存在しているが、兄弟三人を正面から描写した図像は存在しない。アルベルティン(独:Albertiner)家とは、当時のドイツ・ザクセン地方を支配していたヴェッティン家の分家である。家名は始祖のアルブレヒト公に由来し、アルブレヒト家とも呼ばれる。この氏族は、1485年から1918年までザクセンを統治した。

三兄弟の名は、彼らの周囲に刻印されたラテン語から読み取れる。刻印されたラテン銘文は下記の通り。「CHRISTIAN·IOHAN:GEORG·ET·AVGVSTVS 1595(クリスティアン2世、ヨハン・ゲオルグ1世、そしてアウグスト 1595年)。三兄弟の名は、クリスティアン2世、ヨハン・ゲオルグ1世、アウグストということが分かる。彼らは三人でザクセンを共同統治する形を採ったが、まだ幼少だったため、摂政としてフリードリヒ・ヴィルヘルム1世が実務を担った。

クリスティアン2世(生没:1583年9月23日 ドレスデン誕〜1611年6月23日  ドレスデン没)は、ザクセン選帝侯に幼少で即位した。彼はクリスティアン1世とブランデンブルクのソフィーの長男として誕生した。クリスティアン2世は父の死に伴い、1591年に僅か8歳でザクセン選帝侯となった。そのため、政治能力がなく、1601年に成人するまで、親族にあたるザクセン・ワイマール公フレデリック・ヴィルヘルム1世が彼の摂政を務めた。その後、クリスティアン2世は1602年9月12日にデンマーク王フレゼリク2世の王女ヘ-トヴィヒ(生没:1581〜1641年)と政略婚した。二人の間には子どもが生まれなかったため、クリスティアン2世が1611年6月23日にドレスデンで他界すると、彼の弟ヨハン・ゲオルク1世が選帝侯位の地位を継承した。

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本貨には二重打ちの特徴が見られる。二重打ちとは打刻のズレであり、製造過程で発生するエラー現象のひとつである。黄色い枠で囲んだ部分に注目すると、二重打ちであることが分かる。顔の輪郭がブレたようになっているのが、二重打ちの証拠である。当時の発展途上の造幣技術で製造されたコインには、こうした現象がよく見られる。

1592年に発行された初年号のみ、三兄弟がほぼ同じ背丈で描かれているタイプが存在する(このモデルは有していないため、該当タイプの画像が掲載されたCOINSHOMEのリンクを紹介する)。だが、それ以降は長男のクリスティアン2世を弟たちよりも頭ひとつ大きく描くようになる。中央の人物がクリスティアン2世で、弟たちの肩に腕をかけている。左側がヨハン・ゲオルグ1世で、剣の柄を握っている。右側が末っ子のアウグストで、右手に花を握っている。

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裏側には、ザクセン選帝侯領の各州の紋章を連ねた盾紋章が描かれている。紋章には獅子や鷲、クロスする剣などのモティーフが表されている。装飾された盾紋章の周囲にはラテン語で銘文が打たれている。内容は下記の通り。「FRAT:ET·DV-CES·SAXON:(英:Brothers and Dukes of Saxony 邦訳:ザクセンの兄弟と公爵)」。表側に描かれた三兄弟がザクセン選帝侯領の統治者であることをここでも補足説明している。

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紋章は各州を象徴している。左側の列から順に紋章がどの州を表しているのかを下記に示す。左側の列は上から順にテューリンゲン(Thuringia)、プファルツ・ザクセン(Palatinate Saxony)、オルラミュンデ(Orlamünde)、アルテンブルク(Altenburg)、中央の列は上から順にザクセン(Saxony)、クルヴァッペン(Kurwappen)、ランツベルク(Landsberg)、マクデブルク(Magdeburg)、Henneberg(ヘンネベルク)、右の列は上から順にマイセン(Meißen)、プファルツ・テューリンゲン(Palatinate Thuringia)、プロイセン(Pleißen)、ブレーナ(Brehna )と、それぞれの州を表している。

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盾紋章の上には、ザクセン、テューリンゲン、マイセンの3つの州を象徴した兜が飾られている。

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また、裏側の1時の方向には、HとBを組み合わせた合字が表されている。これはドレスデン造幣局の造幣局長「Hans Biener(ハンス・ビーナー)」のイニシャルを組み合わせた合字である。合字はローマ時代から存在し、有名な合字の例はローマ最大の英雄カエサルの名だろう。彼の名は「CAESAR」と表記するが「CÆSAR」と合字を用いて表されることもあった。

余談だが、PCでこの合字を打ちたい場合は、「Shift」+「Option」+「:」で大文字の「Æ」を入力することができる。小文字の場合は、「Option」+「:」で「æ」と打つことができる。手書きで書く分には簡単ではあるが、PC入力となると少し手間がかかる。とはいえ、このショートカットキーを一度覚えてしまえば、さほど負担にはならない。

その他にも、「Shift」+「Option」+「Q」でCとEの合字「Œ」、「Option」+「Q」で「œ」が入力可能である。このOption(Alt)キーは非常に便利で、ラテン文字の合字だけでなく、ギリシア文字の入力も行える。今回のテーマとはだいぶ離れた内容になってしまうが、せっかくなので紹介しておくと、「Option」+「W」で「∑(シグマ)」、「Option」+「J」で「∆(デルタ)」、「Option」+「M」で「µ(ミュー)」、「Option」+「Shift」+「P」で「Π(パイ)」、「Option」+「P」で「π、(パイ)」、「Option」+「Z」で「Ω(オメガ)」を打つことができる。古代言語を扱う者にとっては、このショートカットキーは作業効率を高めるものであり、知っておくと便利である。

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本貨のエッジはプレーンで、偽造防止対策のギザなどは入れられていないシンプルな造りである。当時の製造方法から若干歪みがあるのが特徴である。むしろ全く歪みが見られないものは、非真正品として疑った方が良いかもしれない。


以上、「三兄弟ターレル」を紹介した。三兄弟が並んで描かれた集合写真のようなデザインが印象的であり、一目見てその美麗さに魅了されたことをよく覚えている。

アンティークコインは、その存在自体が歴史そのものであり、それゆえに私を強く魅了する。描かれた図柄、製造方法、材質、その全てに当時の情勢や文化背景が色濃く反映されているのである。今回紹介したザクセン、今でいうドイツ文化圏の国家の歴史は私の専門範囲からは大きく外れるが、それでもラテン語という古代言語で繋がっている。ザクセンもローマ帝国の文化を色濃く継承した国家のひとつであり、コインの銘文にはローマ帝国の公用語だったラテン語を使用している。そのため、私が専門とする時代とは千年以上の開きがあるが、それでもラテン語という媒体を通して当時のザクセンの人々がコインによって何を伝えたかったのかは分かる。ここに歴史の繋がり、言語の強さを感じる。

歴史は時代ごとに細かく分類されているが、これは後世の人間が勝手に分類したに過ぎず、本来、歴史というものは帯状に繋がっており、一度たりとも分断されたことはない。だから、当然全てのものが繋がり合っており、言語もそのひとつなのである。言語は歴史を学ぶ上で非常に重要である。特に古代や中世の歴史を学びたいのであれば、一次資料である原文に触れるのが一番である。もちろん、翻本も複数存在しているが、そこにはどうしても訳者の主観が入り、原語で記された原文とは大きく異なる場合がある。そのため、歴史のエッセンスを純度の高い状態で味わいたいのであれば、他者のフィルターがかかっていない実際の生の声をダイレクトに聞くのが一番である。多くの歴史家を目指す者が歴史の概要やフレームから学ぼうするが、最もな近道は当時の言語を学んでから、一次資料にアクセスすることである。原文が読めなければ何も始まらず、決して正しいとは限らない翻本をあてに研究を進める他ない。そうした研究は道幅が狭く、独創的な発想を促すには困難が生じるものだ。

だが、なぜ今歴史を学ぶべきなのか?この問いの答えは無限に存在すると思うが、私の場合は以下の二つを必ず理由に挙げるようにしている。

まずは、先人の過ちから失敗を学び、自分の人生をより良くするためである。私たちは彼らの教訓をもとに争いを避け、平和な時代を築いていけるかもしれない。もちろん、それが綺麗事に過ぎないことは分かっている。それでも、1%でも解決の糸口が先祖たちが築き上げた歴史の中に横たわっているとするなら、その可能性にかけてみたいと思う。それ以外にも、人付き合いのコツや知略に富んだ行動など、いろいろと学べるもの、人生のヒントが歴史には落ちていそうだ。

二つ目は、やはり楽しいからという純粋な思い、知的好奇心によるものである。ここに目標達成などの義務はない。ゴールもなければ、責任なども存在しない。真の自由の世界と言える。この世の中に楽しさに勝るものはない。歴史学習は、果てなき楽しさを私たちに与えて続けてくれる最高のエンターテイメントである。ここまで自分をときめかせ、奮い立たせ、ドキドキとさせてくれるものはない。知れば知るほど深みが増し、さらに好きになっていく底なしの奥深さを秘めている。知らないことを知ることの快感を一度得てしまったら、もう戻れない。あれもこれも知りたいという「知りたがり病(びょう)」の病(やまい)にかかってしまうのだ。私は既にこの病の重症患者であり、歴史探求の好奇心に常に心をとらわれ続けている。

Shelk 詩瑠久🦋



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