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失いたくないモノが手からこぼれ落ちたあと

皆さん、お久しぶりです♪ シャーロンです。
2023年初記事! つぶやきは更新していたのですが、きちんと記事を書くのが久しぶりであまり堅い内容にはしたくなかったから、構成とか気にせずに思うのまま書いちゃいます。


なんかね、不思議な体験をしたんよね。

私、2022年の9月から2023年1月までの間、めちゃくちゃ辛かったの!
そして、めちゃくちゃ苦しかったの!

今だからこうして言えるけどね。この5か月間は本当に厳しかった。

まず、彼氏とお別れした。
そう。私の壮絶な5か月は失恋から始まります。
「あなたのことが本当に本当にめちゃくちゃ大好きなんだからね!」
精一杯伝え続けた交際期間。
私の「スキ」という気持ちが彼にきちんと伝わっているのか凄く不安だった。でも、気が付けばそれは私からの一方通行だったんだよね。

あれだけ時間を一緒に過ごしたのに別れは電話1本たったの10分。
その現実が私をまた悲しくさせました。

別れた1か月後に彼から届いた段ボールの中には、私の服や化粧品が大量に入っていた。
服に染み付いた彼の家の匂いが私の鼻をツンとさせ目頭を熱くさせた。
すぐに洗濯機で服を洗うことは。。。。できなかった。

「出会いがあれば別れもある」仕方がない。

彼との別れと同時に私は仕事を辞めました。
フリーランスになりたくて副業として個人で仕事を受けていたから、それを本業にシフト。

だけど、私が思い描いていたフリーランスに私はなれなかったんですよね。
元彼との別れがエンジンとなり、仕事をし過ぎてしまいセルフブラック化。

でも、どうしても元彼を見返したくて、その気持ちで走っていると自分で仕事の量をコントロールできなくなっていました。

少しミスをするともう二度と仕事を任せて貰えないかもしれないという不安が脳中に駆け巡り不安で夜に眠れなくなった。

「この先、私はどこへ向かっていくのだろう」

私に聞かないでよ、私だって分かんないんだから。


**

ある日、学生時代の友達から「モルディブに戻るか迷っている」という相談を受けた。

彼女は専門学校卒業後、モルディブという美しい島々が創るリゾート地で1年ほどインターンシップをしていたんです。
契約が1年だったこともあり帰国した彼女だけど、仕事ぶりが認められて帰国後もボスから幾度となく戻ってこないかと誘いを受けていたそう。

首を横に振り続けた彼女。今回はどうやら迷っているよう。

「それって、採用枠もう一つ空いてないんかな?」

私は気が付けば友達にそう聞いていたんです。
モルディブなんて行ったこともない、文化も言葉も場所も分からない。

でも、そんなのどうでも良かった。環境を変えたいの一心だった。

話はとんとん拍子に進み、面接をし会社側はオファーを出してくれたんです。(こんな機会をくれた友達には感謝しかない)

だけど、、、私はモルディブには行かなかった。
環境を変えたいくせに、新しすぎる場所に飛び込むのが怖かった。

私は自分を責めた、そして自分のことが大嫌いになってしまったんだよね。

※モルディブは1島1リゾートでなので住み込みで働くのが通常で、休日は街にでたり自分の好きなように行動することが難しいようです。


***

でも、まだ私はそれでも前を向いていました。

「よし、違う国で転職活動しよう」

そう決意した私はドバイにある会社やシンガポールにある会社、タイにある会社など興味がある企業にレジュメを配りまくり、面接へとそれぞれ進めました。

その中で一番早くオファーをくれたのがシンガポールにある会社。
初めてのフィールドだったけどずっとやってみたかったマーケティングのポジションでした。

私は転職エージェントの担当と相談し、この会社からのオファーを受けることに。それと同時に進んでいた他の企業の面接は辞退するよう言われました。

オファーを貰った会社からは2022年12月末ごろ渡航予定と心つもりをしていてと言われ、やっと前進できると嬉しかった。

2022年12月14日。この日は忘れもしないよ。
ビザの申請が始まっていたある日。

転職エージェントから「オファーキャンセルか入社が2023年6月以降になる、しかもその入社も確定ではないと企業側が言っている」との連絡が入った。

私は気を失いそうになった。

シンガポールへ渡航予定の2週間前になってこの連絡。
信じられなかった。

「どちらかといえば、もうオファーをキャンセルしたいそうですが、それでもいいですか?」とエージェントからメッセージが来た。

「意味が分かんないんですけど、他の企業との面接も辞退しろって言われたからしたのに、なんで急にこんなことになるんですか?!」

私は泣き叫びながらエージェントに訴えたが「こちらとしても心苦しく思います。企業の都合でビザが降りないので仕方がないんです。」と淡々と言わてしまったんだよ。

私はこの9月から12月、何をしていたんだよ。
彼氏と別れ、フリーランスを諦め、モルディブにビビり、シンガポール行きはキャンセル。

これだけ全部に全力で取り組んだのに、最終的には何も残らなかった。

その事実が私を一晩中泣かすから、薬局に行って一番パワーが弱いよく眠れるサプリメントを飲むようになった。

すると、毎日10時間ほど寝れて、とても気持ちが良かったです。


****

ある日、知り合いにこのストーリーをぺちゃくちゃ喋って慰めてもらった。
そして彼女が言った。

「もうそこまで人生ごちゃったなら、いっそもう自分の好きなことしかしなくていいんじゃないです?」

私は首を傾げた。

「シャーロンちゃんの話聞いてると、結局さ自分軸が全くないやん。いつもシャーロンちゃんがこうしたいと思ったか考える前に行動してチャレンジしてきたのに今回はかなり周りの目気にしてるね」

そうだった。

フリーランスになりたかったのは元彼と海外で一緒に暮らすための手段としてだ。モルディブに行きたいと思ったのは元彼と別れ、フリーランスにも失敗しそんな現実から逃げたかったから。シンガポール就職はもう年齢的にもう落ち着いて親を安心させたいという気持ちがあったから。

全部自分が本当にそうしたかったのか?と聞かれると本当は違うかもしれない。

私の本当にやりたいことってなんなんや。。。。


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2023年元旦

私は叔父の家にいた。

「私、オーストラリア行くわ」

コーヒーを飲みながらテレビを見る叔父が「はい、いってらっしゃい」と一言。
叔父は20代の頃オーストラリアに住んでいた。
私が小さいころからオーストラリアひいきが凄くなんせオーストラリアが大好きなのだ。

そんな叔父に私はオーストラリアに行くことを宣言した。
まだ、ビザも取っていないのに。(ワーホリで行く予定です)

17歳の時、私は初めてオーストラリアの地に足を下した。
何もかも新しく刺激的、気候がよくて色んな文化が混ざり合うオーストラリアに一目ぼれした。

高校3年、進路決定の時に私は3つの選択肢があった。
1、外国語大学にいく
2、ホスピタリティ関係の専門学校にいく
3、オーストラリアにワーホリしにいく

この3つ。私は就きたい職業があったから2を選んだけど、オーストラリアに移住することは真新しいことではなかったのよ。


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私、ずっと「オーストラリアにワーホリしに行きたかった」

26歳。周りは彼と同棲、婚約、結婚、出産、キャリアアップ、キャリアチェンジとライフスタイルのアップデートが一番激しいとき。

私は?
彼氏いない、仕事ない、積み上げてきたキャリアもない。
ならもう、やりたかったことに一直線になる!

私は3が日の内にオーストラリアワーホリのビザを申請し取得。
3月中に渡航予定です♪


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そして、ずっとやりたかったYouTubeを始めた。
まだ登録者数は数人だけど、動画編集をしていると楽しいんです。

もうちょっと編集上手くなってきたらnoteにリンク貼っちゃおかな!
皆さん、私の作った動画とか見てくださいますか?!


最後に

私がこの記事を書きたかったのって、かわいそうと思って欲しいとか、被害者ぶりたいとかそんなんではないんですよ。

失いたくなくて手でガチガチにホールドしていたモノや人がスルスル落っこちていって、で、一旦私の手には何もなくなってしまったんだけど、もう何も無いならいっそのことやりたいことやろう!と思えて。

そしたら急に前向きになれてさ!
いや、今も新しい彼氏とか、仕事とか、そんなの無いけどさ!
でも、これから新しいストーリーが始まると思うとウキウキするし、YouTubeもどこまで伸びるか分からいけどやってみる、挑戦してみることに意味があると思うんだ~。

ね。手放せばまた新しい何かが入ってくる。
だけど
それはもしかしたら時間が必要かもしれないし、自分をよく向き合う必要があるかもしれない。

でも、神様が「そうでもしなきゃ、自分と向きう時間を自分で意識して作らへんやろっ」って言ってくれてる気がしてね!


まぁ、色々あったけど不思議なのがちゃんと乗り越えれたし、前にも進めた。手放すのって怖くない!

皆さん、手の力、腕の力、肩の力、全身の力、心の力、ゆるめてこっ。


長々読んで頂きありがとうございます★

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