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嫌いな勉強はしなくていい。

 窓ガラスが砕け散り教師が救急車で運ばれるような荒れた公立中学から進学校を経て国立医学部に現役合格し、留年せず医師国家試験に合格して働いている経験から言えるのは、嫌いな勉強はしなくていいということです。それはなぜか。

 これを中学生や高校生、受験生も読んでいるかもしれませんね。冬休みでしょうから、暇潰しか現実逃避のつもりで構いません。少しだけお付き合いください。損のない内容です。

 「勉強しろ」と言われますね。親でしょうか。学校でしょうか。塾の先生でしょうか。それが貴方の将来の為だとか、いつか後悔するとか、勉強したくてもできない子がどうだとか、皆それぞれ好き勝手な事を言います。余計やる気がなくなりそうですね。

 まず、勉強という言葉がよくない。字面が重苦しい。息が詰まりそうです。「勉め強いる」と書きます。由来を調べますと、本来は「気の進まないことを仕方なくする」だとか「無理を強いる」だとかそういう意味の言葉のようです。「学習」と同じ意味で使われるようになったのは明治以降のことのようです。ですから「勉強したくない」という感情は本来の言葉の定義通りですね。

 人間の脳というものは、快楽を求めるようにできています。楽しいことをすると脳が喜び、どんどん活性化していきます。「楽しい」学習の経路は容易に構築され強化され、どんどん得意になっていきます。一方で脳は不快な感情を嫌います。なるべく避けるように働いて、遠ざけて、忘れようとします。そう、忘れようとするのです。嫌いな勉強を頑張って頑張って、やっと覚えたと思ってもすぐ忘れてしまうのは、脳が拒絶しているからです。

 好きな歌の歌詞はどうでしょうか?
 好きな芸能人やキャラクターの名前とプロファイルは?
 感動した映画や漫画のストーリーは?
 ゲームのシステムや攻略法は?

 人間の脳は、好きなことに対して絶大な能力を発揮します。それを利用しない手はありません。盲目的に嫌いな勉強を続けることは、コストパフォーマンスの非常に悪い愚行です。

 

 しかし、ひとつ大きな問題があります。好きなことを仕事にしたい場合、或いは好きなことをして生きていきたい場合、今の日本のシステムでは受験戦争を突破することが一番簡単な道なのです。突破しないと成れない職業もあります。

 私は医師になろうと決めたとき、その問題にぶち当たりました。勉強は嫌いです。でも医学部に行かなきゃ医師には成れない。

 人間は意味のない行動を拒絶します。たとえば穴を掘ってそれを埋めるのを繰り返すことを強要されたり、壁を作ってそれを壊すのを繰り返すことを強要されたりしていると、心が壊れます。私は極めて「意味のない行動を強いられること」が厭で、強要されると相手に牙を剥きます。

 だから学習を始めようというときには、まず「何のためにその学習をするのか」を考える必要があります。
 私の場合は最終的には「医師になる」という目標のためでしたが、遠過ぎる目的では不十分なんですね。どうしても気持ちが長続きしない。そこで恩師に云われたのが「今している学習は、人生に直結する」という言葉でした。将来ではありません。今です。この人生に、直結しているというのです。考えるとたしかに、と私なりの答えが出てきます。

 国語なんて改めて学習する必要ない?いいえ、文章の読み方を学ぶことは好きなことを学ぶための第一歩です。文章を正しく読めれば、授業で教わらなくても学ぶことができるようになります。また漢字を学ぶことは自分が何か発信したくなったときに人に伝わりやすくなるし、古典や漢文には役に立つ先人の智慧が凝縮されています。

 社会(日本史、世界史、政治経済、倫理)は嫌いですか?昔のことを覚えてどうするのかって。たしかに丸暗記に意味はありませんが、人類の歴史や思想、哲学を知ることは現代社会の仕組みを理解する第一歩です。そして現代社会は「貴方が生きているこの世界」ですから、その仕組みを深く理解することは生きていく上でとても役に立つことです。

 数学なんて大人になったら使わないって?そんなことありません。使います。数学は論理的な思考の訓練です。数学者にならなくたって、仕事に数学を使わなくたって、「論理的な思考ができること」は日常生活の全てにおいて有利です。

 理科(化学、物理、生物)は難解で苦手ですか。将来絶対に使わないって?いいえ、使います。正確には、使えると便利です。文明社会は化学と物理生物学に支えられています。悪意のある「疑似科学」に騙されないように、基礎くらいは身につけておくと非常に便利です。

 英語は海外に行かないから要らない?それこそ勿体ない。英語が出来ることで飛躍的に人生の可能性が広がることを知らないなんて。

 次に「その科目のことを好きになる」と最高です。ここまで読んだ貴方は、学習することへの嫌悪感が少し減ってきてはいませんか。意味を見出して取り組んでみると、意外と好きになっていくこともあります。

 あれ??
 なんだか論調がおかしくなってきましたね。そうです。冒頭の「嫌いな勉強はしなくていい」は詭弁です。騙し討ちのようなことをしてすみませんでした。
 学習はした方がいいです。
 嫌いなまま勉強したのでは苦しいだけで効率も上がらないから、まずは「何のために学習するのか」を考えて、能動的に、可能なら「その科目を好きになって」、学習に取り組むのが最高です。

 私は中学生の頃、国語と社会科と数学と理科が嫌いで苦労しました。英語は洋画を観たり洋楽を聴いたりするという不純な(いえ、純粋な)動機で元々好きだったんですが。意味を見出せると、効率が飛躍的に上がるのは本当です。
 好きなことって、努力と感じないんです。別につらくない。いつの間にか「学習すること自体」を好きになっていった私は、高校生で1番学習時間が長かったときには1日10時間程は机に向かっていました。好きなことだとそれが苦痛にならないんですね。不思議なことに。

 さぁ、やる気が出てきましたか?
 まだやる気の出てこない方は、頑張ろう!と気合いを「入れないように」気をつけてください。

↓「やる気」については下記をご参照ください↓

 このnoteでは今後も「ちょっと役に立つエッセイ」を続けていきます。貴方からの「スキ・コメント・フォロー」心待ちにしております。

 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは貴方の人生が、無限の可能性の先に花開きますように。

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