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非色 有吉佐和子

最近読んだ本の中で、一番衝撃を受けた。非常に興味深い内容で続きが気になり、深夜から朝まで時間を忘れて一気に読んでしまった。気付いたら朝の5時、読書でオールなんて何年ぶりだろう?

非色 有吉佐和子

読み終わって驚いたのは、この本が最初に発表されたのが1964年であったということ。作者がこの作品を33歳で書き上げたということ。そして、ここで描かれている数々の問題が、当時ーーこの物語の舞台である終戦後、そして1950年代からほとんど変わっていないということだ。今では差別用語として使用されない言葉も時折使われているが、著者がその単語を差別的な意図をで使用したのではないことは、読めば分かるはずである。

簡単にあらすじを書くとこんな感じだ。

主人公の笑子は終戦後、焼け野原となった東京で母親と妹を養うために進駐軍が経営するキャバレーのクロークで働き始める。そこで出会ったアメリカ生まれの黒人兵と結婚し一度は離れ離れになるが、子供を抱えてアメリカへ渡る決意をする。日本で、そしてニューヨークで受ける、感じる、思う、様々な人種差別や偏見が笑子の目を通して描かれている。

日本人と(敢えてこの表現を使用するが)黒人の間に生まれた子供たちがアメリカ人として育っていく現実、黒人の妻であるが故に世間から貼られているレッテル、同じ人種内でもあらゆる「条件」「生い立ち」などによってお互いに優劣を付け合っている事実。人権の尊重、人を差別してはいけない、その人自身の優劣は人種や肌の色で決まるものではないーーそう思っているはずなのに、笑子自身がそれらのフィルターを完全に取り払うまでには様々な経験が必要であった。笑子の周りの「差別を受ける人々」に同情心を抱きながらも腹が立つこともあったし、読んでいて深層心理を抉られるような、自分自身を見つめ直すような苦しさを感じるところもあった。しかし笑子が力強くアメリカに根を張っていく姿は清々しく、この苦味すら彼女の生き様が美しく見えるための人生の影のようにも感じた。

笑子自身、悲観的というよりは「英雄的な」性格をしており、闘志を燃やし困難や逆境に立ち向かっていくタイプなので、物語自体に深刻な悲壮感は漂っていない。かといって豪快だとか痛快な訳ではない。彼女が経験する差別や偏見、越えられない壁、そして自らも抱く差別と偏見の思惟は非常にデリケートな問題のはずだが想像以上にはっきりと描かれており、いつの間にか自分自身が笑子の思考と同化しているような気分になる。これまでに経験することのなかった苦悩や心の痛みを、この作品を読むことによって追体験することができたように思う。


1967年に出版され、2003年の重版を以て一時廃盤となっていたこの作品が2020年に復刊したのは、時代の流れからして必然であったように感じる。解説でも書かれているが、2020年はアメリカの黒人差別についてのニュースが多く取り上げられる年だったように感じる。文明の利器によって世界は狭くなった。ニュースが瞬時に、鮮明に、世界中の人々の様々な意見と共に駆け巡る。一つのニュースについて、各国がどのように扱っているか、その国民がどのような反応を示しているかを知ることができる。普段日本で、日本人同士でしかコミュニケーションを取らない人たちにとって人種差別の問題は「遠い場所で起きている出来事」としてしか感じられないかもしれない。人によっては本当に他人事だと思っている人もいるかもしれない。まるで自分自身は人種差別などしたことも、されたこともないという風に。だが、果たしてそれは本当だろうか。日本に生まれ、日本人ばかりのコミュニティで生きていれば、人種差別や偏見をは無縁の、その観点について限りなく純真無垢な状態でいられるのだろうか?本当に日本人としか接しないで生きることが、今この世の中で可能なのだろうか。そもそも「日本人」とは何なのか?

人種差別や人種に基づいた偏見とは何なのか。この問題に対して当事者意識を持つことは難しいことなのかもしれない。その無自覚・無知によって、偏見が生まれているようにも思う。日本で生活する外国人が増えているとは言っても、アメリカやヨーロッパのような「人種のるつぼ」とは環境が異なる。常に差別する側・される側の両方であるという状況に身を置くことがどういうことなのか、そうした環境で生活する人々がが何を思い何を感じているのか、想像したことがあるだろうか。無意識のうちに差別している側に立っていることに実は気づいていないだけなのではないか、と自分自身を疑ったことのある人が、一体どれくらいいるだろうか。

本書の主人公である笑子は、アメリカ生まれの黒人である夫と結婚し、出産し、子供を育て、「残された戦争花嫁」として働き、アメリカへ渡り、ハーレムに住み、働き先が何度か変わりーーこうした生活環境の変化の中で、自分自身が周りからどう思われるか、そして自分自身が自分を、家族を、周囲の人間を、同じ国に住む人々を、他国の人々を、時に肌の色で、時に出身地や人種によって無意識のうちに差別し、差別され生きていく。差別や偏見が当たり前の世の中に対して時に大きな憤りを感じながら、しかし自分自身も、そうした社会の中で自分自身の身分が「どの位置にあるのか」ということを気にし、階級付け、「下には下がいる」ということを意識しているのだ。この本の中で「平等」という単語は、本の触りでしか使われない。それは肌の色や人種によって、人が勝手に設定した上下関係がある、という現実を貫く言葉だ。笑子自身が最終的に感じ、自分が何者であるかを意識した時、その言葉はおそらく彼女の中で消えて無くなったのではないだろうか。

読書が好きな理由の一つに、追体験というものがある。この本における追体験は、特別なものだった。笑子の視線・思考・感覚・置かれた環境を通して様々な感情が自分の脳に流れ込んできて、本当に自分が経験したかのような気分になった。中学生、高校生のうちにこの本を読んでいたら、世界を見る目が変わっていたかもしれない。1日でも若いうちに、沢山の人に読んでもらいたいと心から思う物語であった。


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