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これからは障がい(障害 障碍 ハンディキャップ)を持ってる方々から学ぶ
おじさんがおばさんかわからない評論家や
自称イケメン保育士、
だいたい恰幅の良い子沢山母ちゃんが語る
子育ての“ここしたほうがいい系”は
全く当てにならない。笑
先天的や後天的に障害を持った子に
同じことが言えるのだろうか。
誤解を恐れずに言うが
私は子どもたちのことを
“障害がある子と同じように接する”
と決めたのだ
言い換えよう。
子どもに
それくらいやさしく接していい
とい
With or Without You
母親に振り回される人生だった。
子ども及び家庭を壊した方なら安易にわかる
今となってはそんな母親に対して
許し、感謝、尊重しているから
あれ?私の人生って順風満帆だっけ
と思うようになってしまうくらい
フラッシュバックで怯えることがない
あんなに憎んでいたのにも関わらず。
だから時よりふと
親子関係の歪さをテーマにした
ドラマを観たり書籍を手に取ったりするのは
忘れないためだと思う
じっとしていられない母親たち
かつて
実家や保育園の協力があって(丸投げ)
残業三昧、休日出勤、アフターファイブありのワーママフルタイムを味わいさせてもらった
今は専業主婦(ニート)
とにかく
何者かにならなきゃいけない
なにかしなきゃならない
母親たち
子どものため、、と言いながら
それは自分の体裁のためだったり
自分を見失っているための焦燥感だったり
活動的なママさんの内情は
家庭が不仲、子育てのことで悩みまくって
どっちも好き どっちも土器
自然を目の前にしたとき
なにも考えられなかった
瞑想状態
あの日、ぼんぽんぽーんっと
巡り巡って参加させてください!と
DMしたのだけど
当日まで
この場所に足を踏み入れることは
とても怖くてたまらなかった
街に疲れて 自然に癒しを求めに行くのは
なんだか
村に住んでる民族が
ひと気のない森へセックスをしにいく感覚に似ているのかもしれない
だけれども私は大都会も好き
ど平日の真昼間
可哀想な子にしているのは大人たち
勝手にそのJKを被害者にするなよ
その思考がいつまでたっても
加害者を生み出し
被害者意識のまま
挙げ句の果てに性教育がまともではない
なんだ?性教育って
目にするたびに思っております
自然を目の前にしてもぼっちになりたがる病
自然の中にいても
とても忙しなく感じた
もっとぼーーーーーっとしたい
「子どもたちこのへんで見てるから
お母さんもひとりの時間を大切にしてください」
そうやって言ってもらえたのはじめてかも
忙しないよ、ママたち
家にいても、外にいても
今こそ家に鎮座ドープネス
制する子育てと許しの子育て
わかった気になっちゃう、できたつもりになっちゃうのが人間
一部しか知らない
なにひとつ自分の力ではない
ここまでくる道(車が動く、高速道路が整備されている)
手足が動く
そして主催者の方々が
事前準備をしてくれたから楽しめたのだ
はい、きました!
はい、さようなら!
そんな感じが多い日常
辛いこと 悲しいこと 目醒めるためのギフト
私が不登校の親の話し合いの場に参加したり
行政がやってる不登校相談機関や
スクールカウセラーはじめ学校側に相談したりしないのは
自分自身の闇を
子どもの不登校に投影し
自分自身と向き合わず
人のせいにしたくないからだ
さも自分が立派な人間かのように
ダメにならなぬように
ちゃんとしなきゃならないように
目の前に “ダメな子” “育てにくい子”を
写しだしている
ふと、口ずさんだ曲
『地に