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散人の作物

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#文学

白木蓮

白木蓮

 そこに意味などないのだが。身辺雑記、四方山話、問わず語りと。いずれの呼び名でも言い難く又、時として適切に思うのは、恐らくはそれに大した興味を抱いていないからに他なるまい。この記事の命題についてである。

 季節の変わり目か、或いは単にわたくし生来の特性か、春の予感は一日置きに姿を隠すこの頃に身を病に冒されている。判然ならぬ、覚醒もままならぬ頭で木目の天井の一点を見つめていると、まるでわたくしのみ

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読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記

読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記



秋深し。路傍の並木は既に紅葉し吹く風は葉を巻き込んで舞い上がる。その行方を追うとどこまでも広がる青い空の向こうに鴉が飛んでゆく。
秋。喪失の季節にして再生への予兆。孤独な秋には芸術がよく似合っている。読書にせよ何にせよ太陽は厳しくもなくただ燦然と天にあるのみ。
散歩に行こう。往昔の書を携えて。荷風散人の足跡を追って。

葛飾への流浪

永井荷風『葛飾土産』は彼が晩年に記した最後の名作(石川淳

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パリの街の風に吹かれて 或は新帰朝者の世迷言

パリの街の風に吹かれて 或は新帰朝者の世迷言

巴里に行ってきた。フランスに行ってきた。フランスに行ってきた、それが先行するのが当たり前であるのかもしれないが、語弊を恐れない俺は巴里に行ってきたというベキ。俺は俺にとってフランスは巴里だ。なんと言っても。リヨンもオンフルールもノルマンディーも差し置いて。うん。そうだ。巴里だ。何はなくとも。阿呆なる私の周辺が生きている。そうだ。性懲りもなく生きているのだ。そんな中、私は遠く、遠く離れた巴里に行った

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