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パリの街の風に吹かれて 或は新帰朝者の世迷言

巴里に行ってきた。フランスに行ってきた。フランスに行ってきた、それが先行するのが当たり前であるのかもしれないが、語弊を恐れない俺は巴里に行ってきたというベキ。俺は俺にとってフランスは巴里だ。なんと言っても。リヨンもオンフルールもノルマンディーも差し置いて。うん。そうだ。巴里だ。何はなくとも。阿呆なる私の周辺が生きている。そうだ。性懲りもなく生きているのだ。そんな中、私は遠く、遠く離れた巴里に行った。行きたかったのだ。一切を捨てて。なりふり構わず。日本人ということも捨てて。私という事も捨てて。巴里という地に、巴里という芸術の国に私は行きたかった。そして行った。こんな感動的なる事、そうありはしない。詩の国、小説の国、絵画の国だ。巴里はフランスは、芸術を尊重してくれる国だ。日本は、皇紀2682年の美しき我が国は阿呆なる事に素晴らしき類稀なる芸術があるにもかかわらず芸術は穢多、非人、ど畜生の所業だといまだに思われている節がある。あゝなんとも嘆かわしい。などて日の本の国より生まれし素晴らしき思想や美学の数々を迫害するのであろうか。私はこの美しき国においてその点のみ。そう、その点のみが不服にいて憤慨を催すものだ。日本国はいつ、いつになれば自国が産み出しし子等を愚息と言わず宝と言える日が来たりや。
そして私はこの題を語りし以上、巴里にての所感を述べねばならぬ。それが道理だ。私はある一句を認めた。それは我師・永井荷風先生の『ふらんす物語』に認められる一節だ。

浮浪、これが人生の真の声ではあるまいか。あの人たちは親もない。兄弟もない。死ぬ時節が来れば。独りで勝手死んで行けばよい。恩愛だの、義理の涙なぞ見る煩いもない。男も女も、お互いに無智で、残忍で、その上に嫉妬深く、不潔な猥雑な生活を続けている中、一人が病気にでもなれば、慈悲も情けもなく、知らぬ他国の路傍に捨てて行く。浮気騒ぎの起こった暁は、たった一突き、嫉妬の刃で心臓か横腹でもえぐってやるばかりだ……

永井荷風『ふらんす物語』章「蛇つかい」より引用

さて以上の文章を全集より引用するのに二度程トイレに行った。文章を打ち込むとは甚だ骨の折れるものだとお分かり頂けた事だろう。やはり荷風先生は素晴らしい。何とも物事の本質を見抜く力を誰よりも持ち合わせていらっしゃる。フランスというのは巴里というのは彼の一言に表される様な街であった。

出鱈目でどうしよもなくって下らなくって、そして何よりも自由で。
日本国が持っていない"自由"を何よりも持っている国であった。

帰国してからというもの封じられていた希死念慮が再び満々たりとなって来た。その理由はわからない。私は誰よりも日本国に対する愛があるはずなのに。苦しいのだ。誰ぞ、助けては来れないか。

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