マガジンのカバー画像

三千家の茶室

13
利休の孫・宗旦が三人の子に家督をゆずって成立し、現代にまで続く茶道流派・三千家の茶室を集めました!※不審庵は「表千家」、今日庵は「裏千家」、官休庵は「武者小路千家」をその所在地か…
運営しているクリエイター

#ドローイング

利休堂(裏千家の御祖堂)

「利休堂(りきゅうどう)」

裏千家にある祖堂。

三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)では祖である千利休をそれぞれで祀り、「御祖堂」とも呼ばれています。

裏千家4代の仙叟宗室が元禄3年(1690年)の利休100年忌を期して営んだのが最初であると伝えられます。

その後、天明8年(1788年)の大火で失われるも利休像は無事であったため、寛政2年(1790年)の利休200年忌に際して、今日庵・又

もっとみる

裏千家の咄々斎(八畳の座敷)

「咄々斎(とつとつさい)」

京都裏千家の茶室。

天保10年(1839年)の利休250年忌に際し、裏千家11代玄々斎(1810〜1877)が溜精軒などとともに造営していた「稽古の間」

それを安政3年(1856年)に宗旦200年忌を営むために改修されたのが、この「咄々斎」だそうです。「咄々斎」は宗旦(利休の孫)の号でもあります。

八畳本勝手の四畳半切(広間切)で、種々の稽古に適していることから

もっとみる

溜精軒(京都裏千家の茶室)

「溜精軒(りゅうせいけん)」

京都裏千家に現存。

裏千家11代玄々斎(1810〜1877)は天保10年(1839年)、利休居士250回忌に際して、裏千家の大規模な増築を行った。

その玄々斎が好んだといわれるのがこの溜精軒で、裏千家最古の書院である寒雲亭と接しており、廊下の一部を囲ったような六畳敷で、逆勝手台目切りの茶室です。

床は亭主床の壁床。点前座の正面には丸太柱と袖壁が立ち、最下部には

もっとみる

寒雲亭(裏千家の書院)

「寒雲亭(かんうんてい)」

京都裏千家に現存する八畳の座敷。利休の孫の宗旦好みと伝えられています。

同じ敷地内の侘び数寄のための茶室「又隠」や「今日庵」とは異なる書院造りの座敷で、敷地内では最も古い書院とされています。

一間の床と一間の付書院を離して配すことで、書院の格式が薄まり草庵的な雰囲気もあります。

床柱と床框ともに端正な八節の北山丸太で、框の下にはわずかに蹴込板が入っています。床脇

もっとみる

反古張り席(表千家 祖堂)



「反古張席(ほごばりせき)」

表千家最古の遺構、祖堂内にある一畳台目向板入り席。炉は向切(むこうぎり)。

天井は総屋根裏で床も設けません。壁面を床に見たてて壁床とし、腰張も太鼓襖(茶道口)も反古張りという、侘びに徹した構成です。

入口は西側(左手側)の貴人口。北側の壁面には下地窓が二つ、色紙窓風にあいています。

ユニークで侘びた構成の小座敷、現存します。

(三千家の茶室をまとめていま

もっとみる

表千家の茶室(残月亭)



「残月亭(ざんげつてい)」

利休聚楽屋敷にあったという「色付九間書院」が、現在では「残月亭」として伝わっています。

元々、屋敷にあったものを息子の少庵が写し、火事(1788年)や何度かの建て替えを経て、現在は京都の表千家にあります。

利休の色付書院は、二畳の上段に付書院のある四畳の中段があり、その天井に突上窓が切られていました。

この書院を訪れた秀吉公が、上段角の柱にもたれ、突上窓から

もっとみる