いまこそ、自分をまるっと託してみる時
ピラティスのクラスに参加してきた。
以前少しだけ通ったことがあったのだけれど、休職してからは全く行けていなかったので、約半年ぶりだった。
とにかく、体力をつけたい。気圧の変化にだって、ちょっとの疲れにだって負けない、しなやかな体が欲しい。別に元々体力があったわけではないから、だからこそ、それを上回る強さを手に入れたい。そんな気持ちで、そろそろ再開しようかな、と思った。でも、やっぱり少しどきどきする。ついていけるだろうか。途中で辛くなったりしないだろうか。
クラスが始まる前にインストラクターの方が「事前に何か、怪我をしているとか、伝えておきたいことはありますか?」と声をかけてくる。手を挙げると、こちらまで歩いてきてくれた。最低限のことを、話してみた。以前少し通っていたこと。体調を崩し、半年ほど身体を動かしていなかったこと。途中でバテてしまうかもしれない、と不安に思っているということ。とても不器用に話したような気がするけれど、インストラクターの方は「全然いいですよ。できなくていいです。全て、マイペース、なんで。」と微笑んでくれた。
レッスンが始まった。
インストラクターの方の言葉と笑顔を信じて、全てを委ねることに決めた。自分の身体なのだけれど、言われた通りに呼吸をし、言われた通りに動かした。そうしたら、ものすごく、集中できた。「できないかもしれない自分」「強くなりたいと思っている自分」「頑張っている自分」ではなく、とてもフラットに「いま、ここで身体を動かしている自分」だけにフォーカスすることができた。呼吸をしているだけでじんわりと身体が温まり、額には汗がにじむ。なんだかそれが、気持ちよかった。
きっと不格好で下手だったろうけれど、どうでもいい。「託す」ということができたことが、嬉しかった。「できないの」「弱いんです」と晒すことは、自分の弱さを定義することにはならない。だから、それを怖がらなくていいんだと思った。物理的でなくても、意識的なものだけでもいいから、人の力を借りることで、強くなることができる。そんなもんだと思う。自分をリリースして、補強する。誰かに補強された自分だって、自分であることには違いない。
超一流アスリートだって、専属のフィジカルトレーナーをつけ、メンタルトレーニングを受け、専属のシェフに支えられて、立っている。同じように私たちも、いろいろな力を借りながら、やっていけばいいのだと思う。ときには自分を、まるっと他人に任せてみる。そんな隙も、必要なのかも、と思えたのでした。
この夏は、少し自分の身体をプロに預けて、こうしたトレーニングを集中的にしてみようかなと思っている。もしかしたら、身体の強化以上のものを得られるかも、なんて、予感してる。
Sae
いただいたサポートは、私のテーマでもある「マイノリティ」について考える・発信するために必要な書籍購入費に使います。必ず社会に還元します。