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いくらでも、幸せ自慢してほしい

先日、30歳になった。

これくらいの妙齢になると厄介なもので、周囲の近い人からは「結婚は・・?」「子どもを産むとなるとそろそろ・・?」的なことを言われることが多くなる。

「結婚や妊娠・出産はこの世で最高のものなのだから!」と言わんばかりのそれらの質問や主張に、まぁこの時代にそればっかり言われてもなぁ、と思う気持ちはありつつも、じゃあ自分はと言うと、結婚願望も、可能であるのならば子を持つ願望もあるものだから「うぅーん」と唸るしかなくなる。こればっかりは、努力だけじゃどうにもならないのだもの。

しかし同時に、周囲の友人たちは結婚したり、子どもを持つ人もちょくちょく出始めたわけで、そういう友人たちに話を聞くと、必ずしも手放しに「幸せ!」と言ってくる人ばかりでは無い。夫婦関係の悩みだったり、子育てにメンタルやられていたり。

そうだよなそうだよな、人間、その時々で悩みの種類なんて変わっていくもので、そりゃあ大変なことも悩みもあるよなぁ、と私は普通に納得していたのだけれど・・・

ある時「そりゃあ、結婚してない人に向かって、旦那がいて超幸せなの!!子どもが可愛すぎるの!なんて面と向かって言える人は少ないんじゃない?」と言われたことがあって、衝撃を受けた。そういうものなの・・・?と。私が単純すぎるの・・・?と。

それが合っているかどうかは、ぶっちゃけどうでもよいのだけど・・・思うことは、ある。

SNSとかで幸せそうな友人を見て、辛くなる人がいるのも、なんとなくわかる。人間だから、特に自分が何かしらトラブルを抱えているときは、そう単純に感情をコントロールできなくなってしまうもの。

でも、だからといって、幸せなのに、惚気たい気持ちをわざわざ隠し、わざと悩みや問題の方を引き合いに出すのも、なんか違う。「あえて悩みをぶつけ合う合戦」なんて、なんてつまらないおしゃべりなの。

要は、「見え方」を気にして、今の自分の気分や調子を偽って話をするのはなんだか不健康だし、聞く方も寂しくなってしまうなって思った。

で、それを見て嫉妬してしまったり複雑な気持ちになる人がいるのも事実かもしれないけれど、それはハッピーな人が原因なわけじゃなくて、嫉妬してしまう人の気持ちの問題だから、ハッピーな人が気を使う必要はないと思う。嫉妬してしまう側が、自分の気持ちと向き合ったり、マイナスな感情から脱却する方法を探るときなんだと、単純に思う。その過程で、自分が本当に望むものを知ることができるかもしれない。

突然スピリチュアルなことを言うけれど(笑)、きっと、ハッピーは連鎖するし影響し合うものだと思うから、できるだけハッピーはシェアした方がいい。「悩み自慢」をして時間をやり過ごしても、仕方がないような気がする。

そして、「端から見た幸せ」や「絵に描いたような幸せ」を手に入れたはずなのに、なんでだかハッピーな気持ちになれない、という人もきっといるはずで、そういう人が「幸せぶらないといけない」ということもない。贅沢な悩みも、れっきとした悩みで。悩みの種類もタイミングも基準も人それぞれなので、他人と比べて「これで不幸だなんて思っちゃいけない」と思うのもなんだかナンセンスだし、「幸せじゃないんですけどー!悲しいんですけど!!」と思うのなら、そのまんま言えばいいと思う。変に美しい日常を演出しようとせずに。

なんだか、偉そうなことばかり書いてしまったけれど、言いたかったのは、自分の気持ちに素直でないコミュニケーションってとても寂しいから、それぞれが「自分基準」で幸せとか悩みとかを言える空気でありたいなぁと思ったということ。

周囲の目を気にして「幸せなの〜!」ってのろけられないのなんて味気なさすぎるし、逆に悩みを抱えているのに幸せなふりをするのも、虚しい。

SNSの存在感が強すぎてどんどんそういうのが複雑になっている気がするけれど、リアルな人間関係では特に、そういう複雑さはどんどん取っ払っていきたいなと思う。

私は、ひとのノロケ話聞くの、とっても好き(笑)
人生にも社会にも、大変なことも憎いこともあるけれど、こんな幸せも転がっているのね!実現されているのね!と思うだけでも、希望になったりするものだと思う。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。