記事一覧

佛神教 四

人(ひと)、一度(いちど)此(こ)の世(よ)を離(はな)るれば、食(しょく)は食(しょく)せず、衣(ころも)は無(な)し、手足(てあし)は無(な)し。身(み)は無(な)しと。肉眼(にくが…

堤 石柳
3日前

佛神教 三

人々(ひとびと)は、佛(ぶつ)・神(かみ)成(な)れば、敢(あ)えて分(わ)け異(い)る者(もの)に成(な)さずとも良(よ)きが如(ごと)く成(な)るも、佛(ぶつ)は此(こ)れ、用(よう)の…

堤 石柳
5日前
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佛神教 二

人死(ひとし)するも、魂(たましい)と申(もう)す者(もの)は、決(けっ)して死(し)する者(もの)に有(あ)らず。幾(いく)萬(まん)年(ねん)も決(けっ)して亡(ほろ)ぶ者(もの)に有…

堤 石柳
8日前

佛神教 一

佛(ぶつ)は神(かみ)の枝(えだ)なり。神(かみ)は本(もと)なり。良(よ)く其(そ)れを味(あじ)わいて居(い)れよ。此(こ)れ佛(ぶつ)は神(かみ)なり。人(ひと)。人(ひと)は、神佛…

堤 石柳
11日前

大神教 七

神国(かみくに)の、松(まつ)の緑(みどり)の如(ごと)く栄(さか)える御世(みよ)の来(きた)らん事(こと)を欲(ほっ)する人(ひと)は、良(よ)く此(こ)の神(かみ)の教(おしえ)に従…

堤 石柳
1か月前

大神教 六

今(いま)の人(ひと)の様(さま)を見(み)よ。神道(しんとう)・人道(じんどう)より離(はな)れ、悪(あく)の道(みち)邪(じゃ)の道(みち)を歩(あゆ)み。此(こ)れ、神道(しんとう)…

堤 石柳
1か月前

大神教 五

三(さん)の寶(たから)は此(こ)れ、神(かみ)を治(おさ)むる者(もの)無(な)くては成(な)らず。四(よん)の寶(たから)は外國(がいこく)を治(おさ)む。此(こ)れ外(がい)國(こく)…

堤 石柳
1か月前

大神教 四

世(よ)は五(ご)の寶(たから)を以(もっ)て治(おさ)む。五(ご)の寶(たから)とは何(なん)ぞ。一(いち)は誠(まこと)の神(かみ)。二(に)は一天萬乗(いってんばんじょう)の君(き…

堤 石柳
2か月前

大神教 三

神(かみ)を信(しん)じる者(もの)の一歩(いっぽ)は、磨(みが)きなり。磨(みが)きとは何(なん)ぞ。此(こ)れ磨(みが)きとは、心(こころ)の雲(くも)の無(な)く成(な)る迄(まで)…

堤 石柳
2か月前

大神教 二

神(かみ)の教(おしえ)を守(まも)るには良心無(りょうしんな)くして出来(でき)ず。守られず。此(こ)れ良心(りょうしん)を以(もっ)て神(かみ)を信(しん)じれば、神(かみ)喜(…

堤 石柳
2か月前

大神教 一

神(かみ)と云(い)う物(もの)は、此(こ)れ誠(まこと)に清(きよ)き物(もの)なり。俯仰(ふぎょう)天地(てんち)に恥(は)じざる者(もの)なり。此れ(これ)此(こ)の誠(まこと)の神…

堤 石柳
2か月前

死後の世界 (四)

ついで自殺のうちの心中について一寸申し添えるが、相思相愛の人が、死んでも離れないようにと紐で互いの体をしばって投身などするが、死後の国でも、二人つれ合って生…

堤 石柳
5か月前

死後の世界 (三)

前回に私は、地獄の苦痛は良心の呵責によるもので、赤鬼青鬼の責め苦でないと申したが、この良心は何人にもあって、善を奨め、又人間としての尊厳を持する役目を果して…

堤 石柳
5か月前

死後の世界(二)

全能の神さまの公平な裁定にって、罪の少ない人ほどに無事平穏に調べは進み、死後の世界の場所が決定される。善悪差し引き勘定されて、悪のないものは極楽界に廻され、…

堤 石柳
5か月前

死後の世界(一)

人の死後はどうなるかということは、誰しもが知りたいと願っていることであるが、この世界だけは全く神秘の扉にとざされてあって、人智の立ち入ることの許されない特殊…

堤 石柳
5か月前

神 界 (四)

さて、今迄正神のうちの下段に位する神々について解説したので、今度は上段にある大神さまについて申し述べる。八百万の神のうち位階よりすれば、第一位の神は天照皇大…

堤 石柳
6か月前

佛神教 四

人(ひと)、一度(いちど)此(こ)の世(よ)を離(はな)るれば、食(しょく)は食(しょく)せず、衣(ころも)は無(な)し、手足(てあし)は無(な)し。身(み)は無(な)しと。肉眼(にくがん)には見(み)えず。又(また)此(こ)れ、佛(ぶつ)成(な)りとも神(かみ)なりとも此(こ)れ同(おな)じ。成(な)れど此(こ)れ、神(かみ)成(な)れば自由自在(じゆうじざい)に、如何(いか)成(な)る様(さま

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佛神教 三

人々(ひとびと)は、佛(ぶつ)・神(かみ)成(な)れば、敢(あ)えて分(わ)け異(い)る者(もの)に成(な)さずとも良(よ)きが如(ごと)く成(な)るも、佛(ぶつ)は此(こ)れ、用(よう)の有(あ)る為(ため)に造(つく)りしなり。何用(なによう)有(あ)りと云(い)えば、神(かみ)の世(よ)に出(で)る迄(まで)に、一度佛(いちどぶつ)を出(だ)さずば成(な)られざるが為(ため)に此(こ)れ、造

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佛神教 二

人死(ひとし)するも、魂(たましい)と申(もう)す者(もの)は、決(けっ)して死(し)する者(もの)に有(あ)らず。幾(いく)萬(まん)年(ねん)も決(けっ)して亡(ほろ)ぶ者(もの)に有(あ)らず。唯人(ただひと)の死(し)すると云(い)うは、此(こ)れ世(よ)を去(さ)り別(べつ)成(な)る所(ところ)に行(ゆ)くを、人(ひと)は死(し)したりと悲(かな)しむ。人(ひと)と云(い)うは敢(もっ

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佛神教 一

佛(ぶつ)は神(かみ)の枝(えだ)なり。神(かみ)は本(もと)なり。良(よ)く其(そ)れを味(あじ)わいて居(い)れよ。此(こ)れ佛(ぶつ)は神(かみ)なり。人(ひと)。人(ひと)は、神佛(しんぶつ)成(な)れば、此(こ)の佛(ぶつ)の世(よ)を、神(かみ)に直(なお)す事(こと)要(よう)せざるが如(ごと)くと思(おも)うも知(し)らず。此(こ)れ考(かんが)えて見(み)よ。今(いま)の佛(ぶつ

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大神教 七

神国(かみくに)の、松(まつ)の緑(みどり)の如(ごと)く栄(さか)える御世(みよ)の来(きた)らん事(こと)を欲(ほっ)する人(ひと)は、良(よ)く此(こ)の神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)いて、神(かみ)の道(みち)を進(すす)めよ。一(ひ)と度(たび)神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)はば、逆(さ)か巻(ま)く怒(ど)涛(とう)も、忽(たちま)ち漣(さざなみ)も立(た)たず。一(ひ

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大神教 六

今(いま)の人(ひと)の様(さま)を見(み)よ。神道(しんとう)・人道(じんどう)より離(はな)れ、悪(あく)の道(みち)邪(じゃ)の道(みち)を歩(あゆ)み。此(こ)れ、神道(しんとう)・人道(じんどう)とは何(なん)ぞ。神道(しんとう)・人道(じんどう)とは正(ただし)き・清(きよ)き・美(うつくし)き・貴(とうと)き善(ぜん)なる道(みち)を云(い)う。天理(てんり)の鏡(かがみ)に合(あ)

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大神教 五

三(さん)の寶(たから)は此(こ)れ、神(かみ)を治(おさ)むる者(もの)無(な)くては成(な)らず。四(よん)の寶(たから)は外國(がいこく)を治(おさ)む。此(こ)れ外(がい)國(こく)を治(おさ)むと云(い)うも、決(けっ)して國(くに)を治(おさ)むるに有(あ)らず。外國(がいこく)の神佛(しんぶつ)を治(おさ)むるなり。又(また)五(ご)の寶(たから)は佛(ぶつ)を治(おさ)む。此(こ)

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大神教 四

世(よ)は五(ご)の寶(たから)を以(もっ)て治(おさ)む。五(ご)の寶(たから)とは何(なん)ぞ。一(いち)は誠(まこと)の神(かみ)。二(に)は一天萬乗(いってんばんじょう)の君(きみ)を云(い)う。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは何(なん)ぞ。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは此(こ)れ、神國(しんこく)の、日本(ひのもと)の君(きみ)を云(い)う。此(こ)の君(き

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大神教 三

神(かみ)を信(しん)じる者(もの)の一歩(いっぽ)は、磨(みが)きなり。磨(みが)きとは何(なん)ぞ。此(こ)れ磨(みが)きとは、心(こころ)の雲(くも)の無(な)く成(な)る迄(まで)清(きよ)むるを云(い)う。此(こ)の磨(みが)きも、各々(おのおの)自(みずか)ら磨(みが)くは此(こ)れ少(すこ)し。多(おお)くは神(かみ)の成(な)すが侭(まま)に成(な)りて、自然(しぜん)に磨(みが)

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大神教 二

神(かみ)の教(おしえ)を守(まも)るには良心無(りょうしんな)くして出来(でき)ず。守られず。此(こ)れ良心(りょうしん)を以(もっ)て神(かみ)を信(しん)じれば、神(かみ)喜(よろこ)ぶ。又(また)守(まも)る。悪心(あくしん)を以(もっ)て成(な)せば如何(いか)に拝(おが)むも喜(よろこ)ばず。又(また)守(まも)る事(こと)無(な)し。成(な)れば神(かみ)に向(むか)うには良(りょう

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大神教 一

神(かみ)と云(い)う物(もの)は、此(こ)れ誠(まこと)に清(きよ)き物(もの)なり。俯仰(ふぎょう)天地(てんち)に恥(は)じざる者(もの)なり。此れ(これ)此(こ)の誠(まこと)の神(かみ)は、日本(にほん)の神国(しんこく)の祖先(そせん)なり。神(かみ)は此(こ)れ、森羅万象(しんらばんしょう)の祖(おや)なり。成(な)れば神(かみ)を祖(おや)に戴(いただ)く人(ひと)成(な)れば、正

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死後の世界 (四)

ついで自殺のうちの心中について一寸申し添えるが、相思相愛の人が、死んでも離れないようにと紐で互いの体をしばって投身などするが、死後の国でも、二人つれ合って生活できるものと信じての行為のように見受けられる。だが神さまの教えるところでは、決して希望通りに二人づれで住むことはできぬと断言なされている。人の死後はこれを統治する神によって、霊界の律に強力に支配されるもので、勝手気儘な行動はできるもの

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死後の世界 (三)

前回に私は、地獄の苦痛は良心の呵責によるもので、赤鬼青鬼の責め苦でないと申したが、この良心は何人にもあって、善を奨め、又人間としての尊厳を持する役目を果しているのである。然し悪心がこうじてその人の意志を牛耳るようになれば、良心の声が少しも用いられなくなり、良心がその人に宿る存在の意味がなくなるので、創られた霊界に帰ってしまう。だが良心はその人を見捨てたからとて他人に宿替えなどはしない。飽く

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死後の世界(二)

全能の神さまの公平な裁定にって、罪の少ない人ほどに無事平穏に調べは進み、死後の世界の場所が決定される。善悪差し引き勘定されて、悪のないものは極楽界に廻され、差し引き五分五分のものは、特別極楽界の最下等席に廻される。善の多いものは更に等級の上のところにゆくことになる。地獄も極楽も、その善悪の深浅によって、ゆくべきいくつかの段階がある。
さて、地獄に落ちた魂は如何なる苦しみをなめねばな

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死後の世界(一)

人の死後はどうなるかということは、誰しもが知りたいと願っていることであるが、この世界だけは全く神秘の扉にとざされてあって、人智の立ち入ることの許されない特殊な世界である。たまたま死後の世界をみてきたと証言する人があるが、それは厳密にいうならば仮死状態にあったのであるから、その真偽についての判定は、疑問の余地が常に残されている。人の五感と推理によるのでは、到底知ることの不可能なこの世界は、た

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神 界 (四)

さて、今迄正神のうちの下段に位する神々について解説したので、今度は上段にある大神さまについて申し述べる。八百万の神のうち位階よりすれば、第一位の神は天照皇大神、第二位は大国常立大神、第三位は豊雲野大神、第四位は国沢土大神、第五位は大山祗大神となっている。この五代の大神さまは、このように序列はあるが、あらゆる点で、殆んど同等に近い資格を備えられてあって、すべてのことごとは、この五代の大神さま

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