大神教 七

神国(かみくに)の、松(まつ)の緑(みどり)の如(ごと)く栄(さか)える御世(みよ)の来(きた)らん事(こと)を欲(ほっ)する人(ひと)は、良(よ)く此(こ)の神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)いて、神(かみ)の道(みち)を進(すす)めよ。一(ひ)と度(たび)神(かみ)の教(おしえ)に従(したが)はば、逆(さ)か巻(ま)く怒(ど)涛(とう)も、忽(たちま)ち漣(さざなみ)も立(た)たず。一(ひ)と度(たび)魔(ま)の道(みち)を歩(あゆ)めば、漣(さざなみ)も忽(たちま)ち怒涛(どとう)と成(な)るなり。神(かみ)の教(おしえ)は常(つね)に春(はる)を教(おし)え此(こ)れを聞(き)く人(ひと)は、常(つね)に心(こころ)小(こ)鳥(とり)の如(ごと)く楽(たの)し。花(はな)の如(ごと)く美(うるわし)く常(つね)に心晴(こころは)れ、一點(いってん)の雲(くも)も無(な)し。成(な)れど心(こころ)に悪(あく)有(あ)る者(もの)は、一度(いちど)神(かみ)の教(おしえ)を見(み)れば、恐(おそ)ろしと思(おも)うなり。此(こ)の神(かみ)の教(おしえ)に威(い)有(あ)るが為(ため)なり。人(ひと)の楽(たの)しを得(う)るも、得(え)ざるも皆(みな)各々(おのおの)自(みずか)らの心(こころ)に有(あ)り。一歩(いっぽ)違(ちが)いで、千丈(せんじょう)の谷(たに)に落(お)ちる事(こと)有(あ)り。一歩(いっぽ)の為(ため)に思(おも)わず楽(たの)しみを得(え)る事(こと)有(あ)り。實(じつ)に人(ひと)の運命(うんめい)は、足(あし)の一歩(いっぽ)に有(あ)り。足(あし)の歩(あゆ)む所(ところ)に有(あ)り。此(こ)の足(あし)とは、心(こころ)の足(あし)を指(さ)して云(い)うなり。
此(こ)の正(ただし)き神(かみ)の教(おしえ)を守(まも)らば、神(かみ)と上(かみ)を取(と)る外(ほか)か天地(てんち)宇宙(うちゅう)に何(なに)をか恐(おそ)れんや。恐(おそ)れ無(な)し。例(たと)え大地(だいち)は動(うご)くとも、山(さん)野(や)渓(けい)谷(こく)崩(くず)るとも、海(うみ)は龍波(りゅうは)荒(あ)るるとも、心(こころ)に少(すこ)しの動(うご)き無(な)し。此(こ)れ此(こ)の如(ごと)く成(な)るには唯(ただ)心神(こころかみ)の如(ごと)し。成(な)れど此(こ)の如(ごと)く成(な)るには、中々所(なかなかどころ)か、實(じつ)に難(なん)成(な)りと云(い)いて良(よ)きか、出来(でき)ずと云いて良(よ)きか、實(じつ)に例(たと)え方(かた)無(な)き迄(まで)難(なん)なり。或(あ)る時(とき)は火(ひ)を潜(もぐ)り、或(あ)る時(とき)は山(やま)に臥(ふ)し、野(の)を枕(まくら)とし、水(みず)を潜(もぐ)り、有(あら)ゆる苦(く)難(なん)を切(き)り通(とお)して、初(はじ)めて清(きよ)き人(ひと)と成(な)るなり。世(よ)を知(し)らずして、此(こ)れ神(かみ)の世(よ)と成(な)りては良(よ)けれども、今(いま)の世(よ)は出来(でき)ず。
魔(ま)は迫(せま)り、人迫(ひとせま)り、此(こ)を切(き)るに知(し)りし人(ひと)も、落(お)ちんとする時(とき)多々(たた)有(あ)るなり。此(こ)れ人(ひと)の心(こころ)こそ計(はか)り知(し)らぬ者(もの)、神(かみ)のみ知(し)る外(ほ)か無(な)し。
今(いま)良(よ)きかと思(おも)えば、又(また)悪(あく)なり。多(おお)く悪(あく)の方(ほう)に変(か)わり易(やす)し。悪(あく)より善(ぜん)に変(かわ)り難(がた)し。此(こ)れ今(いま)の世(よ)は、悪(あく)の盛(さかり)に成(な)るが為(た)め成(な)るなり。

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