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死後の世界 (四)

ついで自殺のうちの心中について一寸申し添えるが、相思相愛の人が、死んでも離れないようにと紐で互いの体をしばって投身などするが、死後の国でも、二人つれ合って生活できるものと信じての行為のように見受けられる。だが神さまの教えるところでは、決して希望通りに二人づれで住むことはできぬと断言なされている。人の死後はこれを統治する神によって、霊界の律に強力に支配されるもので、勝手気儘な行動はできるものではない。秩序が守られるところに平和がある。被造物であり、不完全な人間は、神の統

    • 死後の世界 (三)

      前回に私は、地獄の苦痛は良心の呵責によるもので、赤鬼青鬼の責め苦でないと申したが、この良心は何人にもあって、善を奨め、又人間としての尊厳を持する役目を果しているのである。然し悪心がこうじてその人の意志を牛耳るようになれば、良心の声が少しも用いられなくなり、良心がその人に宿る存在の意味がなくなるので、創られた霊界に帰ってしまう。だが良心はその人を見捨てたからとて他人に宿替えなどはしない。飽く迄その人に所属するのでその人が帰魂するまでは、定められたところに保管されてまつも

      • 死後の世界(二)

        全能の神さまの公平な裁定にって、罪の少ない人ほどに無事平穏に調べは進み、死後の世界の場所が決定される。善悪差し引き勘定されて、悪のないものは極楽界に廻され、差し引き五分五分のものは、特別極楽界の最下等席に廻される。善の多いものは更に等級の上のところにゆくことになる。地獄も極楽も、その善悪の深浅によって、ゆくべきいくつかの段階がある。 さて、地獄に落ちた魂は如何なる苦しみをなめねばならぬかというと、すべて良心の呵責の苦しみを深刻に受けることになっている。嘘をつい

        • 死後の世界(一)

          人の死後はどうなるかということは、誰しもが知りたいと願っていることであるが、この世界だけは全く神秘の扉にとざされてあって、人智の立ち入ることの許されない特殊な世界である。たまたま死後の世界をみてきたと証言する人があるが、それは厳密にいうならば仮死状態にあったのであるから、その真偽についての判定は、疑問の余地が常に残されている。人の五感と推理によるのでは、到底知ることの不可能なこの世界は、ただ神さまのご教示を得ることだけが、真理を把握できるただ一つの開かれている道だと云

        死後の世界 (四)

          神 界 (四)

          さて、今迄正神のうちの下段に位する神々について解説したので、今度は上段にある大神さまについて申し述べる。八百万の神のうち位階よりすれば、第一位の神は天照皇大神、第二位は大国常立大神、第三位は豊雲野大神、第四位は国沢土大神、第五位は大山祗大神となっている。この五代の大神さまは、このように序列はあるが、あらゆる点で、殆んど同等に近い資格を備えられてあって、すべてのことごとは、この五代の大神さまが仲良く協議なされるとある。ご三代までの大神さまについては、既におわかりのことと

          神 界 (三)

          我が国では昔から、鬼門にあたる方角、即ち丑寅の方や、裏鬼門にあたる未申の方に不浄なお便所などは造ってはならないとして敬遠しているようになったのは、鬼門、裏鬼門には大国常立大神、豊雲野大神と尊い荒神さまが坐し給うと、大昔から神さまに教えられた人があり、それが云い伝えられているうちに、いつのまにか理由は忘れ去られ。禁止さらる点だけ強調され残ったためだと思う。 だからこの真理を知った我が教徒は、家を建てる際には、東西南北、東北、西南の方向には、好んで便所を建てること

          神 界 (二)

          次に神界の組織について申しのべるが、東には天照大神を頭にいただく天津神界、西には月夜見大神(又の名阿弥陀如来)を頭にいただく仏神界、南は絶対神のおわす三三三神界の前方にある、伊嵯那岐(いざなぎ)伊嵯那美(いざなみ)の大神のおわす皇御祖宮(すめみおやのみや)、北に大国常立大神を頭にいただく四百万の国津神のおわす国津神界となっている。このように正神界の主なものは大別すると東西北の三方にある。 然し、これら各神界も、更に細かく幾千にも分かれている。仏神界は、正神のう

          神 界 (一)

          神典にあかされているところによると、大宇宙に実在する神霊は、これを三種に大別されている。正神、賤神(せんしん)と邪伸である。正神は徹頭徹尾頭のてっぺんから足の爪先まで、その性格は正一筋でできているが、邪神はその反対に、徹頭徹尾真黒で悪そのものの属性なのである。賤神はそれに対して、正邪折半の状態で、善悪が混じ、併存している。いったい神の言葉が意味する本来の概念では、神とは真善美愛の権化ということであるので、賤神、邪神という言葉の使用は不当に思われる点もあるが、今は解説の便

          悪 魔

          昔から悪魔という言葉があるが、然らばその実体は如何なるものかとひらきなおっていうことになれば、何処の宗派でも詳しく説かれていないようである。 たまたま書かれてあっても人が空想をめぐらして推測したものであるから、それが真理であるかどうかというと怪しいことになる。 今回はこれまで降下されてある教典にあかされてあることをとりまとめて次に申し上げることとする。 それによると悪魔というものは、邪神の子分ということになっている。というのは悪魔の生成したのは、邪神の吐く悪気

          宇宙の大祖神について②

          ついでに、宇宙の大祖神のことについてあと少しくつけ加えさせておく。この神は、八百万の正神からみると、形もなく影もなく声も聞こえず、隠れた神なのである。それは丁度人と神との関係と同じである。 宇宙の大祖神は、その中に胎蔵されていた、正、邪、賤相反する神々をも統べ給う神であるから、これらの神を更に超えた、偉大なみ力を所有せられ給うお方なのである。 だが宇宙の大祖神の経綸によれば、地は、最初邪神が三千年統治し、次に賤神が三千年統治し、最後に正神が、そのあと未来永劫に統治

          宇宙の大祖神について②

          宇宙の大祖神について①

          最近宗教界の大きな話題となっていることの一つは、世界の各宗教が相和し協力し合おうとする「宗教協力」の運動である。これはローマ法皇が、これまでの長い歴史を、カトリック以外の他宗教は、すべて邪教ときめつけていたのは、大きい誤りであったと気がつき、世界の平和と人類の幸福のために、世界の宗教は相提携して此の目標に向かって前進すべきだと、世界に向かって宣言したことにはじまる。 私もこれには全く同感である。それというのは、降下された根本教典には、大正十一年既に明らかにこのことが真

          宇宙の大祖神について①

          佛説法滅盡経

          僧祐録中失譯経人名今附宋録 漢訳文 聞如是 一時佛在拘夷竭國 如来三月當般涅槃 興諸比丘及菩薩 無央數衆来諸佛諸稽首干地 世尊寂静黙無所説光明不現 賢者阿難禮白佛言 世尊 前後説法威光獨顯 今大衆會光更不現 何故如此 其必有故 願聞其意 佛黙不應 如是至三佛告阿難 吾涅槃後法欲滅時 五逆濁世魔道興盛 魔作沙門壊亂吾道 着俗衣裳楽好袈裟五色之服 飲酒敢肉殺生貪味 無有慈心更相僧嫉 時有菩薩辟支羅漢 精進修徳一切敬待 人所宗向教化平等 憐貧念老鞠育藭厄 恒以経像令人奉事 作諸功

          佛説法滅盡経