大神教 六

今(いま)の人(ひと)の様(さま)を見(み)よ。神道(しんとう)・人道(じんどう)より離(はな)れ、悪(あく)の道(みち)邪(じゃ)の道(みち)を歩(あゆ)み。此(こ)れ、神道(しんとう)・人道(じんどう)とは何(なん)ぞ。神道(しんとう)・人道(じんどう)とは正(ただし)き・清(きよ)き・美(うつくし)き・貴(とうと)き善(ぜん)なる道(みち)を云(い)う。天理(てんり)の鏡(かがみ)に合(あ)いし道(みち)なり。此(こ)れ、神道(しんとう)・人道(じんどう)は、神佛人(しんぶつひと)の歩(あゆ)まざれば成(な)らざる道(みち)なり。其(そ)れ今(いま)は其(そ)の塵(ちり)さえ置(お)かぬ。神道(しんとう)人道(じんどう)は寂(さび)し。歩(あゆ)む人(ひと)は稀(まれ)なり。
成(な)れど其(そ)れに比(ひ)すれば、魔道(まどう)・悪道(あくどう)を見(み)よ。魔道(まどう)・悪道(あくどう)とは何(なん)ぞ。此(こ)れ、魔道(まどう)・悪道(あくどう)とは、有(あ)らゆる悪(あく)の道(みち)を云(い)う。魔道(まどう)とは、魔(ま)の歩(あゆ)む道(みち)を云(い)う。人々(ひとびと)は、魔(ま)の歩(あゆ)む道(みち)を常(つね)に歩(あゆ)みて居(い)るなり。人(ひと)は目前(もくぜん)に、神(かみ)の完全(かんぜん)成(な)る道(みち)有(あ)るを知(し)らず。
魔(ま)の歩(あゆ)む危(あやう)き道(みち)を歩(あゆ)み居(い)るの等(ひと)し。雲(くも)る今(いま)の人(ひと)の心(こころ)は神(かみ)の誠(まこと)の道(みち)を歩(あゆ)まれず、其(そ)の心(こころ)は、魔(ま)の此(こ)れ道(みち)に合(あ)う。
又(また)此(こ)れ、神道(しんとう)を歩(あゆ)むには、心(こころ)に一点(いってん)の雲(くも)も無(な)くして歩(あゆ)む事(こと)を得(う)。心(こころ)に雲有(くもあ)りて歩(あゆ)む事(こと)を得(え)ず。心(こころ)に恐(おそ)れ怒(いか)り羨(うらや)み恨(うら)み無(な)く、賤(いやし)き心無(こころな)く、慾(よく)成(な)る心無(こころな)く。慾(よく)の心(こころ)とは此(こ)れ我(わが)儘(まま)なり。
又(また)慾(よく)心(こころ)も無(な)く、曲(まが)心(こころ)も無(な)く、又(また)此(こ)の外(ほか)か有(あ)らゆる悪(あく)無(な)く、成(な)らばして出来(でき)ず。幼心(おさなこころ)の昔(むかし)に返(かえ)りて初(はじめ)て此(こ)れ出来(でき)るなり。
又(また)此(こ)れ道(みち)を歩(あゆ)むには、自(みずか)ら我(われ)れ高(たか)しと云(い)う心(こころ)有(あ)りて出来(でき)ず。
此(こ)れ自(みずか)ら我(わ)れ高(たか)しと思(おも)うも、此(こ)れ決(けっ)して下(し)もの隅(すみ)の中(なか)にありて、一人(ひとり)で思(おも)い居(い)る事(こと)成(な)れば、敢(あえ)て邪魔(じゃま)には成(な)らざるも、又(また)多(おお)く出(で)ざる者(もの)なり。自(みずか)ら一(ひと)人(り)思(おも)うも、人思(ひとおも)わざれば其(そ)の儘(まま)となる成(な)れば、此(こ)れ我(わ)れ高(たか)しと思(おも)う心(こころ)は、人(ひと)に敬(うやま)る人(ひと)に有(あ)り。
又(また)下(し)もより急(きゅう)に上(うえ)に上(の)ぼり、人(ひと)より敬(うやま)はる様(よう)に成(な)れば自然(しぜん)に出(い)ずる者(もの)なり。此(こ)れ自(みずか)ら我(われ)れ高(たか)しと思(おも)う心(こころ)に着(つ)かるれば、中々(なかなか)取(と)るに難(なん)成(な)る者(もの)なり。又(また)此(こ)れ着(つ)かるば、如何(いか)成(な)る正(ただし)き教(おしえ)にて諭(ろん)すも感(かん)ぜざる者(もの)なり。又(また)、成(な)れば賞(しょう)する者(もの)を好(この)み諭(さと)し者(もの)を好(この)まず。如(いか)何成(な)る悪(あし)しき者(もの)と知(し)るも賞(しょう)せらるれば、喜(よろこ)ぶ。
其(そ)れ悪(あく)の魔(ま)の手(て)に乗(の)るなり。其(そ)の如(ごと)き事(こと)成(な)し居(い)る間(ま)に、自然(しぜん)に悪(あく)に着(つ)かれ、魔(ま)に着(つ)かれ、悪(あく)の道(みち)に入(はい)るなり。成(な)れば、其(そ)れが為(ため)何(いか)程(ほど)悪(あく)に人(ひと)を取(と)られ居(い)るか知(し)らず。自(みずか)ら我(われ)れ高(たか)しと思(おも)う心(こころ)は、人(ひと)の油断(ゆだん)なり。我(わ)れ高(たか)しと思(おも)い、此(こ)れ空(くう)出(で)来(き)れば魔(ま)に着(つ)かる。良(よ)く氣(き)を付(つ)けよ。又(また)、人(ひと)は此(こ)の世(よ)に人(ひと)として一(ひ)と度(たび)出(で)れば此(こ)れ、起こらざる人(ひと)無(な)し。又(また)其(そ)れ、其(そ)の儘(まま)に放(ほう)って居(い)れば冷(さ)むる人(ひと)無(な)し。
長(なが)く其(そ)の儘(まま)に成(な)りて居(い)るなり。神(かみ)の縁(えん)有(あ)る人(ひと)成(な)れば神(かみ)は冷(さ)ます。此(こ)れ起(おこ)して冷(さ)ますは又(また)、二(に)と度(たび)行(おこな)はざる様(よう)に、神(かみ)は操(あやつ)りて行(おこな)い成(な)すなり。此(こ)れ一(ひ)と度(たび)にて起(お)らざる人(ひと)少(すくな)く、度(た)び度(た)びなり。

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