神 界 (三)

    我が国では昔から、鬼門にあたる方角、即ち丑寅の方や、裏鬼門にあたる未申の方に不浄なお便所などは造ってはならないとして敬遠しているようになったのは、鬼門、裏鬼門には大国常立大神、豊雲野大神と尊い荒神さまが坐し給うと、大昔から神さまに教えられた人があり、それが云い伝えられているうちに、いつのまにか理由は忘れ去られ。禁止さらる点だけ強調され残ったためだと思う。
    だからこの真理を知った我が教徒は、家を建てる際には、東西南北、東北、西南の方向には、好んで便所を建てることは、一応つつしむべきであろう。さりとて都市生活を営む人では、その屋敷の都合上、どうしてもその方向にお便所などを造らなければ極めて不便な人もあろう。そんな止むを得ない場合は、そのままでも差支えない。そのために神の怒りを招いて不幸になると毛頭気にかけるに及ばぬ。要は心を浄めて、神と共に正しく浄らかな日常をおくることが大事である。常に神と共にある人が神のめでし子となり、幸福な生活をおくれるとの道理を先ず第一に重んじて、あらぬ取越苦労はするに及ばない。
    ついで邪神界、賤神界の位置について申しのべるが、邪神界は北西にあたり、賤神界は南西の方角にある。これは裏鬼門と同じだが、方角は同じでも方向が違うので、重なることにならぬのである。
    前回にも申し上げた通り正神界は大きく分けると、天津神界、国津神界、仏神界と三界に大別され、その各々が更に数多く分かれている。その一例を申せば、龍宮城は、国津神界の中にある一神界という具合にである。おとぎ話の浦島太郎物語などなよって、龍宮は海の中にあると誰もが想像しているようだが、人の大小便が川を通してそそがれる海の底には、龍宮界があるはずがない。龍宮は霊界の海の中にある神界で、そこは玉依姫大神さまがご支配なされておられる。絵にあるたいやひらめの冠をかむった官女のお姿をしたお姫さまは、部下の国津の神々にあたる。浦島太郎のお伽話が生まれたのは、昔信仰な人の上に龍宮のご霊示があり、その美しさに感嘆して語ったのが、後に語り伝えられにいたったのだと思っている。
    さて八百万の正神の階級は、すべて百八十一段階ある。そのうち百七十五段階までは大神と唱えられる。百七十六段から百八十段までの五代の神は、身魂(みたま)の神又の名は、正霊の神と云われる。これは人間としても生れ、神界にもどって神となられた神々である。いうなれば五代までの身魂の神は、その数の枠内において、現界に人に生まれたり帰ったりしていると思えばよい。そのため身魂の神の数には増減はない。
    もともと神の魂が人間として生まれ、霊界に帰ったまでのことである。だから人が聖賢の人、殉国の士なりと勝手に神に祀っても、すべて悉くが神界にあって神の坐にあるとは申せないわけである。
    稲荷とか鳥獣でも、神霊をもって生まれているものがある。これら四足二足のうちの神霊に生まれた霊魂を、最下級に一段加えて、百八十一段の正神の段階ができている。
    ついで稲荷について申し述べておくが、正神に属する稲荷は、百霊界という神界におられる。この神の頭は、伊勢の外宮に祀られている豊受大神さまである。この大神さまは、大神さまのうちでも、位の高い神さまである。
    現界に降っておられる稲荷は、正神系に所属するものが四万、賤神系に所属するものが六万で、邪神はいない。賤神の稲荷も、最高部のものは九分九厘は正しく、一分の悪を含んでいるだけで殆ど正神に近い。その中間は、正五分悪五分の割合であり低いものになると、殆んど邪神に近い。巷間でよく耳にすることに、稲荷を信仰したためかえって害われ、不幸な目に遭った人もあるが、これは殆んど邪神に近い低い稲荷のために災いを受けたためであろう。信ずる神の神格を知って、正しい信仰に入ることが先ず如何に大事であるかが知られると思う。
    馬霊のうち神霊をもって生まれた馬が帰魂すれば、清集界に帰ることになる。この界の頭の神は、馬頭観音である。神の名は明かされていないが、大神さまのうちの、高い位の神だとある。四足二足の一般の鳥獣の霊魂が死後に集まる霊界も当然あるのだが、これについては、詳細はあかされていないので、今は語ることができない。


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