大神教 一


神(かみ)と云(い)う物(もの)は、此(こ)れ誠(まこと)に清(きよ)き物(もの)なり。俯仰(ふぎょう)天地(てんち)に恥(は)じざる者(もの)なり。此れ(これ)此(こ)の誠(まこと)の神(かみ)は、日本(にほん)の神国(しんこく)の祖先(そせん)なり。神(かみ)は此(こ)れ、森羅万象(しんらばんしょう)の祖(おや)なり。成(な)れば神(かみ)を祖(おや)に戴(いただ)く人(ひと)成(な)れば、正(ただ)しく直(なお)く成(な)せよ。此(こ)れ歩(あゆ)むには、此(こ)れ悪(あく)を成(な)すべからず。神(かみ)此(こ)れを許(ゆる)さず。
此(こ)れ神(かみ)にも様々(さまざま)の神(かみ)有(あ)り。誠(まこと)の神(かみ)も有(あ)り、邪神(じゃしん)も有(あ)り、賤(せん)神(しん)も有(あ)り。此(こ)れ誠(まこと)の神(かみ)とは、天(あま)照(てらす)皇(すめ)大神(おおかみ)を指(さ)して云(い)うなり。此(こ)れに従(したが)う多(おお)くの神(かみ)をも云うなり。邪神(じゃしん)とは、悪神(あくしん)醜(しこ)神(がみ)にして、世(よ)に害(がい)する神(かみ)を云(い)うなり。賤(せん)神(しん)とは賤(いや)しき神(かみ)を云(い)うなり。世(よ)に害(がい)を及(およ)ぼす神(かみ)と云(い)うは如何(いか)なる神(かみ)を云(い)うと云(い)えば、人(ひと)に悪(あく)を進(すす)め、悪(あく)を成(な)さしむる此(こ)れ神(かみ)なり。此(こ)れ此(こ)の神(かみ)等(ら)は、悪(あく)の道(みち)を進(すす)む事(こと)否(いな)めず。堂々(どうどう)と許(ゆる)し、此(こ)れ悪(あく)神(しん)の行(おこな)いなり。今(いま)の世(よ)を見(み)よ。誠(まこと)も邪(じゃ)も賤(せん)も見分(みわ)ける事(こと)を得(え)ず。能(あた)わず。信(しん)じ拝(はい)し、此(こ)れ笑(わら)うの至(いた)りなり。否(いな)、悲嘆(ひたん)の至(いた)りなり。今(いま)の世(よ)を見(み)るに其(そ)の様(さま)は神(しん)誠(せい)の神(かみ)を頭(かしら)に戴(いただ)く人(ひと)の行(おこな)い成(な)りや。心(こころ)に問(と)いて見(み)よと神(かみ)は叫(さけ)ぶなり。良(よ)く耳(みみ)を振(ふ)り立(た)てて聞(き)き、心(こころ)に問(と)い、誠(まこと)なれば然(しか)りと答(こた)えよ。心(こころ)に落(お)ちざれば、神(かみ)に問(と)えよ。神(かみ)は何(なに)程(ほど)も、何事(なにごと)も答(こた)えて見(み)せん。詳(こま)かに教(おし)えん。神(かみ)は如何(いか)なる事(こと)も恐(おそ)れず。神(かみ)は恐(おそ)れ無(な)し。不能(ふのう)は此(こ)れ一(いち)の外(ほか)此(こ)れ無(な)し。此(こ)れ悪(あく)を成(な)す事(こと)なり。人(ひと)よ諸人(もろびと)よ、皆(みな)汝(なんじ)等(ら)は神(かみ)の如(ごと)くに成(な)りて呉(く)れよと、神(かみ)は云(い)うも、此(こ)の地(ち)に其(そ)れを全(まった)くに成(な)す者(もの)は、此(こ)れ指(ゆび)に数(かぞ)える丈(だ)け無(な)し。実(じつ)に嘆(なげ)きの至(いた)りなり。良(りょう)心(しん)に答(こた)え見(み)よ。人(ひと)は此(こ)れ、神(かみ)の末(すえ)なり。枝葉(えだは)なり。此(こ)れ、此(こ)の世(よ)の上(かみ)は神(かみ)なり。人(ひと)の上(かみ)にして神(かみ)なり。位(くらい)は大(おお)いに高(たか)き神(かみ)なり。其(そ)の上(かみ)を親(おや)とも仰(あお)ぐ汝(なんじ)等(ら)は幸(さち)と云(い)うべし、幸(さいわ)い成(な)るべし、喜(よろこ)ぶべし。

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