大神教 二

神(かみ)の教(おしえ)を守(まも)るには良心無(りょうしんな)くして出来(でき)ず。守られず。此(こ)れ良心(りょうしん)を以(もっ)て神(かみ)を信(しん)じれば、神(かみ)喜(よろこ)ぶ。又(また)守(まも)る。悪心(あくしん)を以(もっ)て成(な)せば如何(いか)に拝(おが)むも喜(よろこ)ばず。又(また)守(まも)る事(こと)無(な)し。成(な)れば神(かみ)に向(むか)うには良(りょう)心(しん)を以(もっ)て向(むか)い、向(むか)わざる時(とき)も善心(よきこころ)を持(もち)て進(すす)めよ此(こ)の如(ごと)き心(こころ)を勉(つと)めて保(たも)てよ。油断(ゆだん)無(な)く一日(いちにち)を進(すす)み行(ゆ)けよ。
善(ぜん)成(な)る心(こころ)を以(もっ)て損(そん)、此(こ)れ無(な)し。又(また)其(そ)の損得(そんとく)を考(かんが)えて持(も)つ如(ごと)くは、此(こ)れ、誠(まこと)成(な)る心(こころ)を持(も)つ事(こと)出来(でき)ず。良(よ)き誠(まこと)の心(こころ)を持(も)つには人(ひと)を考(かんが)えず、身(み)を考(かんが)えず、神(かみ)に任(まか)せて心(こころ)に一点(いってん)の苦(く)無(な)くして初(はじ)めて良心(りょうしん)は心(こころ)に居(い)る者(もの)なり。人(ひと)には油断(ゆだん)大敵(たいてき)なり。悪(あく)も油断(ゆだん)の有(あ)る為(ため)に、心(こころ)の内(うち)に入(はい)る者(もの)なり。
邪神(じゃしん)も賤(せん)神(しん)も油断(ゆだん)よりは恐(おそ)ろしからず。油断(ゆだん)無(な)くして魔(ま)は何(なん)ぞ魔(ま)とは何(なに)。魔(ま)とは此(こ)れ邪(じゃ)神(しん)、又賤(またせん)神(しん)の下(した)の方(ほう)の者(もの)の此(こ)れ総(そう)称(しょう)なり。此(こ)れ悪(あく)の神(かみ)なり。即(すなわ)ち、人(ひと)に悪(あく)を進(すす)むる神(かみ)悪(あく)を成(な)さしむる神(かみ)、悪(あく)を教(おし)える神(かみ)を云(い)う。人(ひと)に良心(りょうしん)の芽(め)生(ば)え出(い)だせし時(とき)は、一(いつ)に魔(ま)の着(つ)き易(やす)き時(とき)なり。良(よ)く気(き)を付(つ)けよ。又魔(またま)は人(ひと)に良心(りょうしん)に返(かえ)る事(こと)を恐(おそ)れ、良(よ)き善(ぜん)は悪(あく)心(しん)に返(かえ)る事(こと)を恐(おそ)る。人(ひと)に一(いつ)に魔(ま)の着(つ)くは、此(こ)れ良(りょう)心(しん)の芽(め)生(ば)え出(い)だせし時(とき)なり。
入(はい)る事(こと)も難(なん)なる時(とき)は、良心(りょうしん)の古木(こぼく)大木(たいぼく)と成(な)し時(とき)なり。成(な)れば、良(りょう)心(しん)の芽(め)出(で)て初(はじ)めての人(ひと)は、其(そ)の芽(め)に善(ぜん)の露(つゆ)・徳(とく)を照(てら)して大木(たいぼく)と成(な)せよ。神(かみ)は此(こ)の頼(たよ)り無(な)き世(よ)を見(み)ては、其(そ)の大木(たいぼく)に成(な)るを楽(たの)しみに待(ま)つ。神(かみ)は正(まさ)き者(もの)成(な)れば、神(かみ)を悪心(あくしん)を以(もっ)て拝(おが)むも、拝(おが)まざるに同(おな)じ。又(また)神(かみ)を信(しん)じるには、中々(なかなか)難(なん)なる者(もの)なり。一点(いってん)も理(り)により離(はな)るれば出来(でき)ず。心(こころ)より信(しん)じたき者(もの)は、誠(まこと)の道(みち)を歩(あゆ)めよ。

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