死後の世界 (四)

    ついで自殺のうちの心中について一寸申し添えるが、相思相愛の人が、死んでも離れないようにと紐で互いの体をしばって投身などするが、死後の国でも、二人つれ合って生活できるものと信じての行為のように見受けられる。だが神さまの教えるところでは、決して希望通りに二人づれで住むことはできぬと断言なされている。人の死後はこれを統治する神によって、霊界の律に強力に支配されるもので、勝手気儘な行動はできるものではない。秩序が守られるところに平和がある。被造物であり、不完全な人間は、神の統治が自由に及ぶ霊界では、服従の徳目が先づ要請せられるからである。心中については、文化人と云われる学識豊かな教養人でも、いっこう盲目で、甚だ誤った考えを平気でいだいている。
    霊界の広さは、東西、南北各何万方里の地域が設定されているといわれる。今のところ霊界もまだまだ充分に住む余地があるが、やがて帰魂する人が多くなって霊界も狭くなって住みづらくなれば、神は自由の権限によってこれを拡張することになり、広すぎれば縮小するで、その伸縮は自在という。
    又人の魂は生れ変るものだと昔から申されているが、生れ変るのは釈迦のような特別の選ばれた魂だけで、普通人で生れ変る人は、近い将来では先づ無いとみてよかろう。ただ何千年後となって極楽から身魂があふれるときは、早いもの順で生れ変ることになると申されている。
    又極楽に住む魂は、現界の苦労の多いことは、深刻に、一度生まれて体験して知っているので、生れ変ることを希望するものは無いという。極楽はその最下等の段階のところでも、その名の通り極めて楽しいところなのだ。
    世間ではその宗派によって、地獄極楽、煉獄、天国などと、霊魂の世界の説き方が違っているので、その信ずる宗派に所属する霊界があって、死後自分の宗派の霊界にゆけると思っているようだが、事実はそのように数あるものでなくて、正神界の地獄極楽と、賤神界の地獄極楽と二か所だけしか無いことになっている。正神界の霊界には、仏教、神道等の弘まる黄色人種が行き、賤神界の霊界は、キリスト教、回教等の行われる、白色人種が行くと啓示されている。正神が創った極楽は、賤神界がつくった極楽よりも一段と勝って楽しみの深い楽園界であるし、又正神の地獄界は同じ地獄界でも賤神界のものより、苦しみが軽いといわれる。正神の知恵と力は、賤神に勝ること数等なのである。創られた霊界もこの相違ができたと教えられている。
    黄色人種は、正神の創ったすぐれた魂と身体が附与されているが、その死後は創られた正神界の霊界に帰り、白色人種は賎神に創られた程度の低い身魂で、その魂は賎神の霊界に帰ることになる。然し白色人種と雖も、その生涯を人類のために捧げて浄らかな生涯を送った極く少数の人は、正神界の極楽に招待されることになり、それは破格の光栄だと教典に書かれている。
    このように申すと、今の人達は、独善固陋の言辞を弄すると、これを一笑に付すかも知れない。然し必ず将来は、成程と誰も疑念をもたないで、この神の言葉を受け容れる日が来ると神さまは申されているし、黄色人種もその本来の面目を回復する日がくることになっている。
    敗戦以来の我が国人は、すっかり劣等感のとりことなって、価値の判断を倒錯し、民族の誇りも、歴史も伝統も文化も足蹴にして、欧米文化に浸透し、思想、文化の百般に亘って欧米崇拝に日も夜もないほどで、すっかり骨抜きされた感である。然し物と金によって幸福を追求した文化が行き詰っている現下の世相を洞察し、戦争の危機を内蔵して深刻な不安を招来した物質偏重の思想の末路を正視すれば、欧米の文化は人類を救済しうるかについて、冷静に思うほどに大きな疑念を何人も覚えると思う。
    人類を救済する新たな光は、東洋の日本から発すると確信している。これについては、他日項を新たにして述べる機会もあるであろう。

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