大神教 四

世(よ)は五(ご)の寶(たから)を以(もっ)て治(おさ)む。五(ご)の寶(たから)とは何(なん)ぞ。一(いち)は誠(まこと)の神(かみ)。二(に)は一天萬乗(いってんばんじょう)の君(きみ)を云(い)う。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは何(なん)ぞ。一天萬乗(いちてんばんじょう)の君(きみ)とは此(こ)れ、神國(しんこく)の、日本(ひのもと)の君(きみ)を云(い)う。此(こ)の君(きみ)は畏(かしこ)くも、天(あま)照(てらす)皇(すめ)大御神(おおみかみ)と大國(おおくに)常(とこ)立(たちの)大神(おおかみ)の造(つく)りし霊(れい)なり。此(こ)の地(ち)に於(おい)て比(ひ)無(な)き霊(れい)なり。此(こ)れ大國(おおくに)常(とこ)立(たちの)大神(おおかみ)とは何(なに)神(かみ)ぞ。此(こ)の神(かみ)は國(くに)津(つ)神(かみ)にして、國(くに)の魂(たましい)の頭(かしら)なり。位(くらい)は天(あま)照(てらす)皇(すめ)大御神(おおみかみ)の次(つぎ)に位(くらい)する神(かみ)なり。荒魂(あらみたま)なり。又(また)國津神(くにつかみ)とは何(なん)ぞ。國津神(くにつかみ)とは、此(こ)の世(よ)に住家(すみか)を持(も)つ神(かみ)を云(い)う。此(こ)れ天(あま)照(てらす)皇(すめ)大御神(おおみかみ)は天津(あまつ)神(かみ)なり。天津神(あまつかみ)とは天(てん)を住家(すみか)と成(な)す神(かみ)を云(い)う。國津神(くにつかみ)は荒魂(あらみたま)なり。否(い)な和魂(にぎみたま)なり。天津神(あまつかみ)は和魂(にぎみたま)なり。否(い)な荒魂(あらみたま)なり。荒魂(あらみたま)とは何(なん)ぞ。和魂(にぎみたま)とは何(なん)ぞ。荒魂(あらみたま)とは荒(あら)き神(かみ)の霊(れい)を云(い)う。和魂(にぎみたま)の對(つい)なり。世(よ)には常(つね)に逆(さ)か浪(なみ)高(たか)く、日(ひ)に増(ま)す高(たか)まり行(ゆ)くに有(あ)り。其(そ)の中(なか)に入(い)る人(ひと)は、荒波(あらなみ)の間(ま)に間(ま)に浮(うか)ぶ小舟(こぶね)なり。此(こ)れ心(こころ)の楫(かじ)一寸(いっすん)も狂(くる)えば、逆(さ)か巻(ま)く怒涛(どとう)の藻屑(もくず)と消(き)ゆるに有(あ)り。成(な)れば、油断(ゆだん)は一寸(いっすん)も成(な)らぬ人(ひと)の身(み)に有(あ)り。成(な)れど其(そ)の内(うち)の舟(ふね)を見(み)よ。太(ふと)き綱(つな)連(つら)なりて居(い)る舟(ふね)有(あ)り。
何(なん)ぞ幸(さち)成(な)る舟(ふね)成(な)らずや。其(そ)れ其(そ)の船(ふね)は、神(かみ)を心(こころ)より信(しん)じる人(ひと)の舟(ふね)なり。小舟(こぶね)なり。綱(つな)は神(かみ)なり。成(な)れど、其(そ)の連(つら)なるも連(つら)ならざるも心(こころ)にあり。其(そ)の小舟(こぶね)の、又(また)此(こ)れ連(つら)なるも中々難(なかなかなん)なり。神(かみ)の心(こころ)に従(したが)い、逆(さか)巻(ま)く浪(なみ)を物(もの)とも思(おも)わず進(すす)む様(さま)の勇(いさ)ましき哉(かな)。
泥(どろ)は何(なに)、浪(なみ)は何(なに)。心(こころ)清(きよ)くして神(かみ)に従(したが)い行(ゆ)けば、泥(どろ)は恰(あたか)も清水(しみず)の如(ごと)し。波(なみ)は恰(あたか)も蓮(はす)の如(ごと)し。心(こころ)の持(も)ち方(かた)にて此(こ)の如(ごと)し。

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