大神教 五

三(さん)の寶(たから)は此(こ)れ、神(かみ)を治(おさ)むる者(もの)無(な)くては成(な)らず。四(よん)の寶(たから)は外國(がいこく)を治(おさ)む。此(こ)れ外(がい)國(こく)を治(おさ)むと云(い)うも、決(けっ)して國(くに)を治(おさ)むるに有(あ)らず。外國(がいこく)の神佛(しんぶつ)を治(おさ)むるなり。又(また)五(ご)の寶(たから)は佛(ぶつ)を治(おさ)む。此(こ)の五(ご)の寶(たから)の本(もと)は、互(たがい)に相(あい)助(たす)け合(あ)い、初(はじ)めて清(きよ)き世(よ)と成(な)るなり。出来(でき)るなり。例(たと)えば、此(こ)の一(いち)の寶(たから)の神(かみ)は黄(き)なり。二(に)の寶(たから)の君(きみ)は紫(むらさき)なり。三(さん)の寶(たから)、四(よん)の寶(たから)、五(ご)の寶(たから)は、緑(みどり)と青(あお)と白(しろ)なり。此(こ)の三(さん)の寶(たから)は松(まつ)竹(たけ)梅(うめ)の寶(たから)と申(もう)す。又(また)此(こ)の三(さん)の寶(たから)は、各々(おのおの)悟(ご)、又(また)口(こう)、又(また)は耳(じ)等(とう)有(あ)り。此(こ)の中(なか)に悟(さと)るは、一(いち)に難(なん)なり。又(また)一(いち)に重(おも)し。
此(こ)れ悟(ご)とは何(なん)ぞ。此(こ)れ悟(ご)とは、心(こころ)に一寸(いっすん)の雲(くも)無(な)くして、次(し)第(だい)に出(で)る者(もの)なり。此(こ)れ迷(まよい)を去(さ)り、理(ことわり)を考(かんが)え推(さっし)して知(し)り、知(し)る事(こと)を悟(ご)とは、云(い)う成(な)れば、此(こ)れ心(こころ)に迷(まよ)い有(あ)りて、悪(あ)しき悟(ご)出(で)るなり。成(な)れば實(じつ)に難(なん)なり。
人々(ひとびと)は皆(みな)、華(はな)の色香(いろか)に迷(まよ)い、悪(あく)に酔(よ)い、黄金(こがね)の光(ひかり)に平伏(ひれふ)し、嗚呼(ああ)嘆(なげ)かわしき今(いま)の世(よ)の様(さま)なり。此(こ)の心(こころ)を唯(ただ)無(む)に過(す)ごし置(お)くべきや。
此(こ)の心(こころ)を明(あ)かす術(すべ)も無(な)く、人(ひと)も無(な)し。神(かみ)は今(いま)只(ただ)時(とき)を待(ま)つのみ。
唯(ただ)陰(かげ)げに義憤(ぎふん)の血(ち)の涙(なみだ)を抑(おさ)え、此(こ)の世(よ)に少(すこし)く残(のこ)る清(きよ)き人(ひと)を頼(たの)みに、時(とき)を待(ま)つなり。今(いま)に見(み)よ、時(とき)来(こ)なば、一魔(いちま)も逃(のが)し置(お)く事(こと)無(な)し。
働(はたら)きを見(み)よ。腕(うで)は鳴(な)る、血潮(ちしお)は踊(おど)る。百萬(ひゃくまん)の敵(てき)も恐(おそ)れんや。
其(そ)の勢(いきおい)は、空(そら)飛(と)ぶ鳥(とり)も落(お)ち、獣(けもの)は平(ひ)れ伏(ふ)すが如(ごと)し。草(くさ)葉(ば)の陰(かげ)に隠(かく)れるとも、根(ね)の底(そこ)に入(い)るとも、如何(いか)に逃(の)がして居(い)るべきや。
皆(みな)亡(ほろ)ぼし、神(かみ)の言霊(ことだま)に。言霊(ことだま)とは何(なん)ぞ。言霊(ことだま)とは、我(われ)、神國(しんこく)の神(しん)言(げん)は、自由(じゆう)に物(もの)を云(い)うなり。其(そ)の儘(まま)に成(な)るなり。成(な)れば、此(こ)れ言(こと)霊(だま)は、心(こころ)曇(くも)り魂(たましい)黒(くろ)くして、此(こ)れ出(で)来(き)ず。心(こころ)も身(み)も清(きよ)くして、初(はじ)めて出来(でき)るなり。神(かみ)の言霊(ことだま)成(な)れば、皆(みな)出来(でき)るなり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?