佛神教 四

人(ひと)、一度(いちど)此(こ)の世(よ)を離(はな)るれば、食(しょく)は食(しょく)せず、衣(ころも)は無(な)し、手足(てあし)は無(な)し。身(み)は無(な)しと。肉眼(にくがん)には見(み)えず。又(また)此(こ)れ、佛(ぶつ)成(な)りとも神(かみ)なりとも此(こ)れ同(おな)じ。成(な)れど此(こ)れ、神(かみ)成(な)れば自由自在(じゆうじざい)に、如何(いか)成(な)る様(さま)も見(み)せるに可(か)なり。成(な)れど神佛(しんぶつ)、死(し)せし人(ひと)を人(ひと)に見(み)えぬ様(よう)にし有(あ)り。神佛(しんぶつ)は人(ひと)の厳父(げんぷ)、慈母(じぼ)なり。厳父(げんぷ)とも成(な)り、慈母(じぼ)とも成(な)りて、神佛(しんぶつ)は人(ひと)を育(そだ)てしなり。成(な)れば、今(いま)の世(よ)の僧(そう)神主(かんぬし)等(ら)は、親(おや)の名(な)を用(もち)いて悪(あく)を成(な)し居(い)るに等(ひと)し。成(な)れど今迄(いままで)は敢(あえ)て其(そ)を咎(とが)めず有(あ)りしが、今(いま)は早(はや)、許(ゆる)し置(お)く時(とき)は過(す)ぎ、殃(きも)を興(す)えて悟(さと)る時(とき)至(いた)る。佛(ぶつ)は又(また)、神(かみ)とも成(な)り働(はたら)き、佛(ぶつ)とも成(な)りて極楽(ごくらく)・地獄(じごく)を治(おさ)む。成(な)れば急(いそ)がしきは佛神(ぶつしん)の身(み)なり。極楽(ごくらく)は常(つね)に鳥(とり)は鳴(な)き、花(はな)は咲(さ)き實(じつ)に美(うる)わし。成(な)れど、地獄(じごく)は其(そ)れに比(くら)ぶれば、暗(くら)きと云(い)いて良(よ)きか、寂(さみ)しと云(い)いて良(よ)きか、恐(おそ)ろしと云(い)いて良(よ)きか。何(なに)を此(こ)れに例(たと)うべき。世(よ)に知(し)らしむるに、佛(ぶつ)は其(そ)れを案(あん)じる所(ところ)なり。筆(ふで)に現(あらわ)されず、言(こと)ばに現(あらわ)されず。此(こ)れ天(てん)に於(おい)ては、夜(よる)も昼(ひる)も分(わか)ち無(な)し。神界(しんかい)、佛界(ぶっかい)、極楽(ごくらく)は常(つね)に昼(ひる)の如(ごと)く明(あきら)かなり。地獄(じごく)は夜(よる)の如(ごと)く暗(くら)し。此(こ)れ人(ひと)は一度(いちど)死(し)す。人(ひと)と云(い)う外(そと)の衣(ころも)を取(と)れば、生(う)まれ来(き)たりし初(はじめ)の如(ごと)き人(ひと)と成(な)るなり。如何(いか)成(な)る人(ひと)成(な)るも、魂(たましい)無(な)くして何(なん)の人(ひと)成(な)るや。魂有(たましいあ)りて、初(はじめ)て人(ひと)と云(い)う。魂(たましい)行(ゆ)きし後(のち)の人(ひと)は、實(じつ)に無用(むよう)の長物(ちょうぶつ)と云(い)いても良(よ)し。何事(なにごと)も初(はじめ)は清(きよ)き者(もの)なり。人(ひと)成(な)るも生(うま)れ初(はじめ)は清(きよ)し。世(よ)成(な)るも初(はじめ)は清(きよ)し。例(たと)え何者(なにもの)成(な)りとも、初(はじめ)は清(きよ)き。其(そ)れに等(ひと)しく、人(ひと)成(な)るも、世(よ)成(な)るも、雲着(くもつ)き、魔着(まつ)き、邪着(じゃつ)き、芥着(ちりつ)き、見苦(みぐる)しき者(もの)と成(な)るに至(いた)る。成(な)れば、神佛(しんぶつ)は元(もと)と成(な)りて人(ひと)を永久(えいきゅう)に清(きよ)く有(あ)る様(よう)に成(な)すに有(あ)り。佛(ぶつ)喜(よろこ)びに絶(た)えず。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?