マガジンのカバー画像

頑張る覚悟

28
母との介護日記です。最後の3年、自分が頑張った以上に、とてつもなく大きなものを、母からもらった気がします。頂いた宝物を、絶対に忘れないよう、書き留めておきたかったのです。
運営しているクリエイター

#介護

スイカを食べた

スイカを食べた

2019年4月19日、ちょうど2年前の昨日でした。

===========================

2019年4月13日
先週から急に母の容態が悪くなった。

食べなくなった。反応が悪い。

それでも昨日までは
まだ、20年以上愛用してきたサプリドリンクを
飲む?と聞くと
はっきり、うん、と言って
ストローを口にして、

一気に飲み干していた。

昨日なんか、
合わせて5本も飲んだ。

もっとみる
スーツケースベルトで湯舟に入れた!!

スーツケースベルトで湯舟に入れた!!

この写真は両親の若い日のものです。

母が逝く日が近づいていました。
でもまだ3月は楽しいこともいっぱいあって・・・

=====================================

2019年3月10日
母の機嫌が悪い。

おおむね、このホームの対応に満足してたのに、
聞いてみると、
お風呂にゆっくり入れないのが嫌だ・・・
湯舟に浸かりたい・・・

ん?
湯舟に入ってないの?

もっとみる
しっこうんこの歌・空飛ぶ夢

しっこうんこの歌・空飛ぶ夢

あのころ「しっこうんこ」の言葉が
出ない日はなかったなぁと思います。
この歌と出会えたことは救いでした。

==============================

2019年2月3日

排泄の問題は介護の分野でとっても大きな問題だ。

今日も母を見舞った時、

うんうん〜〜と
苦しがっているのでどうしたのかと聞くと

うんちが出そうで出ないと言う。

頑張って出そうねと言うと
うん、と言う

もっとみる
母は経営者だった!?

母は経営者だった!?

職人だと思っていた母が実は経営者だった?
母が認知症になってからの、数少ない、意味の伝わる会話でした。

=============================

2018年9月26日
今日は母の状態がすごく良かった。

なんの話からか、
突如、母の昔の話になって
母が洋裁をやっていて
そこに3,4名の人が来ていて
教えながら、いっしょに
洋裁をしていたことを思い出した。

あれは雇っていたの

もっとみる
私も職人だったのか・・・・

私も職人だったのか・・・・

私は母と全く似てない子でした。
父に似ていた、
血液型も体系も、何もかも母とは違っていて、
本当は、母に憧れて、求めて得られない不満を、
私は母に反抗するという形であらわしていたことに
ずいぶん、大人になってから気づきました。
================================2018/3/13

母が花いっぱいの土手を、歩いている夢をみた。
とても幸せな気分で目覚める。

母は職人

もっとみる
母がキャラメルを頬張る理由

母がキャラメルを頬張る理由

2017年の暮れ、少しずつグループホームに慣れた母と私。
仕事はたいへんで、まだ起動に乗ったとは
とても言えない状況だったけれど、
頑張り続ける意欲だけは、
不思議と消えることがなかったです。
=============================

2017年12月24日
クリスマス
今日は母のところへ見舞いに。

私の顔を見るなり、

「わ~~~~~!!!!
なんで、ここにいるとわかったん

もっとみる
捨てることは、痛いこと

捨てることは、痛いこと

母をグループホームに入れてから
私は訳の分からない気持ちに苛まれていました。
かなり辛い時期でした。

=============================================
2016年12月3日
今日は母の機嫌が悪い。
ベッドが傾いていて、落ちそうだと繰り返す。
まっすぐだから大丈夫だよ、と何度も言う。

私が帰るころになると
なんだかんだと言って引き留める。

だんだん腹が

もっとみる
退院、そしてグループホームでの再出発

退院、そしてグループホームでの再出発

母は1か月の入院生活を終えて、退院。
その間、私はグループホーム探しと、母の住んでいた家の整理。
借家だったので、期日までに明け渡す必要があり、
呆然と家具や荷物の山を見て、途方に暮れたし、
死ぬほど忙しい日々でした。

===============================
2016年11月23日
午後から春風荘へ行ってくる。
やはり思ったとおり温かい雰囲気。
職員さんの感じもいい。

もっとみる
救急車を呼んでしまった夕暮れ

救急車を呼んでしまった夕暮れ

生まれて初めて救急車を呼び、
一緒に乗って、病院まで行きました。
あの日は、そうしてしまった自分を、
もしかしたら責めていたかもしれません。

==================================
2016年11月2日

夕べも夜中1時くらいから苦しいが続く。
3時に薬を飲むがすぐには効かない。
4時くらいからようやく眠る。7時まで。

そのあとずっと苦しい状態が続く。
我慢させて

もっとみる
ものすごいプレゼント

ものすごいプレゼント

緊急入院まで秒読みだった頃の、嬉しいひとコマ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年11月1日
11月になった。私と母の誕生月。

夕べは少しマシだった。
7時ごろから眠って、11時ごろトイレに起きて、
その後3時半くらいまで静かに眠っていた。

次に起きたのが、5時前で
その後がかなりしんどそうで、
今日は仕方なくディを休む。
もう終わりだという意味のこと

もっとみる
昭和35年の取説

昭和35年の取説

母のミシンは友人のお姉さんに引き取られていきました。
あとから思うと本当に不思議なタイミングでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年10月31日

夕べも1時頃からずっと1時間ごとに起こされる。
トイレだったり、しんどいだったり。
やっぱり覚悟が足らんなぁと思う。

もう絶対に怒らない、
不愉快な顔もしないと決めたのに、
それでも「もう、勘弁してよ」っ

もっとみる
最後の一人暮らし

最後の一人暮らし

緊急入院になる、少し前のころ。
毎日毎日が、変化と怒涛の日々でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2016年10月26日

昨日は無事にディサービスに行って、今日は一人で一日過ごした。

すごい!

トイレの失敗もないし、ひとりで徘徊することもない。
話もまとも。

なんだろう?不思議だ。

8時、就寝。オカリナを聞きながら寝てしまった。
私がいなかったのに、お昼も、

もっとみる
トイレの蓋におしっこを・・・

トイレの蓋におしっこを・・・

この画像は2015年5月、
まだなんとか歩けた母を連れて、信州の山小屋へ。
これが母と行く最後の山小屋になってしまいました。

ノートを読み返すと、当時の細かな思いが
ありありとよみがえってきます。
辛かったけれど、合間合間に嬉しいこともあったんだ、と気づきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2016年10月20日

夕べはよく眠ったようだ。
暑いとか寒い

もっとみる
少しずつ母が壊れてゆく日々

少しずつ母が壊れてゆく日々

4年前のノート
思い出すと、強烈な不安の中で、もがいていた自分がいます。

============================
10月14日

昨晩は真夜中の1時半ごろ、
大声で「おはようございます!」
という母の声で目が覚めた。

玄関口に立って、さも外から来た人みたいに、
家の中に向かって、そう叫んでいた。

あとで聞くと、
お寺に行かなきゃ、と思ったそうだ。

大急ぎで靴を脱がせて、ベ

もっとみる