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母は経営者だった!?

職人だと思っていた母が実は経営者だった?
母が認知症になってからの、数少ない、意味の伝わる会話でした。

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2018年9月26日
今日は母の状態がすごく良かった。

なんの話からか、
突如、母の昔の話になって
母が洋裁をやっていて
そこに3,4名の人が来ていて
教えながら、いっしょに
洋裁をしていたことを思い出した。

あれは雇っていたの?
それとも、お金をもらって洋裁を教えていたの?
と聞いたら

お給料を払って教えていた、と笑う。

おおお、
経営者だったのだ、私の母は!!


今日の母はとても明快。

教えながら、
満足してもらいながら
働いてもらっていた、と。

ふーん、それって
じゃ、営業は?
つまり仕事をとってくるのは誰?と聞くと

そんなん私やん、って、さも当然という顔で答える。


そうなんだ、
そうだったんだ。

「大事なのは
その来てくれている人たちが満足すること。

例えば、お客様の服を作るだけやなくて、
自分もいいお洋服が着たい、とかあるやん?
だから、勤務時間内でも
暇なときは自分のお洋服作ってもええよ、
って言ってたんや」

すごい・・・

そうだったんだ。

経営者として
私よりずっと先輩だったのだな〜〜と。


このころの記憶。
私が仕事部屋に入ろうとすると、
針が落ちてたりして危ない、とよく注意された。
ハサミ貸して~とか
縫子さんに頼んだりする時、
年上の人にものを頼むのに、そんな言い方はダメだ、
と叱られたことがある。

私は彼女たちの雇い主だけど、
あんたは何も関係もない、ただの子供。
私の娘だからって、縫子さんたちに
偉そうにしては絶対にダメ、ときつく言われたのが

やけに印象深く残っている。


9月30日
「あんたがしょっちゅう来るから
ここの人たちが、すごい親孝行の娘さんだって
みんな褒めているよ」と母。

え〜〜〜そんなことない、
これまでにかけた親不孝を思えば
どんなにしても足りないよ、と私。

「親不孝したから、今があるんで
今が良かったら、親不孝も良いことだったね」

と母。

うーん、なんという言葉。
胸が詰まってしまいました。


10月4日
今日はずっと調子悪い。

はぁはぁ、しんどい
を繰り返す、

大丈夫?
しんどいね〜〜〜

言いながら
足や胸を擦る、

しんどい、しんどい、

と言う母。

そのたびに

そうだね、しんどいね
本当に辛抱やなぁ、

と私は言う。


しばらくしたら、

しんどい、しんどいと言って
聞いてくれる人がいるって
ええことやなぁ〜〜

とポツリと言う。


11月22日
午前中、作業してから
午後、母のところへ行く、
母は誕生日のお祝いをしてもらっていた。


このホームは素晴らしい。
一か月まとめてとかせずに、
必ずその当日に一人ひとりに
お誕生日会をしてくれる。

髪の毛も散髪してもらって
短くなって
とても可愛くなっていた。

とりとめのない話をいろいろする。
今日はかなりまとも。

自分で作った服に
初めてお金をもらえたときのこと、
それも1万円以上の値段をつけて、
そのお金をもらった時のうれしさ、

そんな仕事への思いを
たくさん、話ししてくれた。

もう何度もやめようと思ったけど
やめなかった、とか、

今でも、
駒田さんが作った服はちゃんと
クリーニングして大切にしている、とか、

そう言われると、続けてよかったと思う、

そんなことを、ぼそぼそと
話してくれる。

初めて聞く母の仕事への思い。


聞けて良かった。
知らないことがいっぱいあった。


12月19日
昨日の母との会話、すごかった。

信濃新聞のコピーが出てきたので
喜ばせようと持っていった。

古賀さんと2人展をやっていた頃
地元の新聞がその様子を取り上げてくれたのだ。

母は丸々とした顔で
洋服を作ることについて語っていた。

寂しいときの人との出会いや
その人から人の輪が広がったことなど。


考えてみるとその新聞に載ったころの母は
今の私の年に近い。


パパと信州へ移り住んで
そのきっかけが
私の離婚でもあったわけで、
このころ、
実際にはあまり
私たちは行き来がなかったのだけど、

その寂しさを紛らわせるように
母は、2人展を4回もやったようだ。


むちゃ頑張ってたよね、と私

うんうん、むっちゃくちゃ頑張った、と母。

私:もともと、頑張り屋さんだもんね、

母:うんうん、弱音は履きたくなかった

私:そっかぁ

母:うん!!

私:でも最近は、しょっちゅう弱音、吐いてるじゃん(笑)


母:うん、

母:・・・・強くなったからね


ええ????
強くなったから??



母:うん、弱音吐けるくらい、強くなったんや(*^^*)


この言葉には
参った!!

本当にこの人、認知症なの???って思う。

弱音を吐けるくらい、強くなった、
なるほど・・・・・


なぜか、考え込んでしまう言葉でした。


2019年1月29日

今日は春風荘へ行くと、
インフルエンザ流行のため、事務所内での面会に限る、とある。

なのでゆっくりできなかった。
母はしょうがないと聞き分けが良い。
でも元気はなかった、しんどいと言っている。

可哀そうだと思うが、どうしようもない。

どうしようもなくても、
可哀そうだという感情は止められない。

可哀そうってことは、惚れたってことよ、
とかいうセリフが
どこかにあったなぁとぼんやり思う。


できることしかできない
何度もそう言い聞かせる。


それでも可哀そうという感情は、無いことにはできない。

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しんどい、という母の言葉を聴くために
私は母のもとに通っていました。
聴くことが私の役目だと思っていました。


あなたの元気ライフをサポートするコーチ福谷その子
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