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大人について

今回は、コラム回。


――――大人とはなんだろうか……。


この問いにぶつかった事がある人多いんじゃないかと思います。
なんだろうね……?
今回は、そんな内容について思うことを書いていきます。


現在、31歳になって思うのは、少なくとも「全部が全部大人になれる人なんていない」ということだ。
全ての部分で大人になれる人なんていない。
大人とは、「大人の部分」を持ち合わせている人であって、子供の部分も残っているのだと僕は思う。


―――—では、その「大人の部分(要素)」とはなんだろうか……。




私の結論は「今の自分(現実)を受け止めて前に進むこと」だ。


社会に出ると否が応でも自分の無力さ、どうしようもない事態に直面する。
時に打ちひしがれ、時に砕け、挫折を味わうことも少なくない。

そうして逃げることもある。その現実から逃げることだ。
時には、それが正しいときもある。
ブラック企業で働いていた経験から身に染みる。

ただ、逃げた先で人は新たな現実と向き合わねばならない。
なぜなら生きていくため。生活を送るため。

―――—そして、希望(あした)を掴むため。

要求されるタスクの量や業務内容、人間関係に追われるだけでなく、今後のキャリアに悩みながら、私たちは日々の営みを送っている。

そのそれぞれで人は己の未熟さや無知を目の当たりにする。
至らない自分に不甲斐なさを感じる。
それは誰しも経験することだろう。

その時が来ると、人は自分というフィルターを通して現実を捉えて、向き合うことになる。問われている現実と出来ない自分の狭間で答えを探す。

どうしたら出来るようになるのか。
自分の持ち味はなんだろうか。
どうやったら喜んでもらえるだろうか。
職場で足りない役割はなんだろう。
役に立ちたい。
成功したい。

それぞれの問題があり、答えがあり、やり方がある。


でも共通するのは、
「今の自分(現実)を受け止めて前に進むこと」ではないか……。


無能を知り、無知を知った上で現実と対峙して、前に進むこと。
それが私にとっての「大人の部分(要素)」だ。


突然だが私には出来の良い兄が二人いる。
私は、というと文章から滲み出ている通りだ。

努力の鬼のような長男、容量の良い次男のように張り合える武器(長所)は、まったくもって持ち合わせていない。
彼らの弟ということで小、中学校では割と色眼鏡で見られ、落胆されてきた。(今思えば、それもまた勉強になった。ありがとう。)

その分、彼らよりも多くの失敗を経験したことだろう。
当然、彼らよりも多くの無能も無知も痛感してきたはずだ。


だが、私はそのことに関して特に悲観していない。


なぜなら、その時々で助けてくれた人たちがいた。
その都度、自分を助けてくれた方。教えてくださった方。
それは上司だったり、先輩だったり、同輩であったり、後輩だったり、仕事先の方だったり……。
そうした方々に助けられ、何度も乗り越えることが出来た。
何度も頭を下げてきた。感謝の意を込めて。

有難いことに助けてくださった方々に仕事や他の事で返す機会があった。
返せた量は微々たるものだったが、それでもそのおかげで今の自分がある。

私が兄達に張り合えるものがあれば、それは彼らよりも少しだけ。
そう、ほんの少しだけ感謝した回数が多いことだと思う。

その度に無力を痛感した。
同じくらい現実と対峙してきた。涙を流したときもあった。
そうして力を付け、感謝をしながら、少しだけ成長した自分が枝を伸ばし、年輪が一枚ずつ厚みを増していくのを感じてきた。


――――大人とはなんだろうか……。


現時点での私の答えは、先に述べた通りだ。
これは部分(要素)であって、人を構成する全てではない。
子供の部分があっても良いと思う。

常に大人でいられるほど、人は出来てない。
だったら酒は飲まないし、スポーツ観戦はしない。
フェスにも行かないし、小説も読まない。


子供の部分があっても良い。


友人たちと酒を吞み、旨い肴に唸って、喜びを分かち合う。
スポーツに一喜一憂して、選手やチームのドラマを追い続ける。
フェスで二度と来ない最高の一瞬を共有して泣き、己の記憶に刻む。
小説の世界を覗き、登場人物と自分を重ねて数多の困難を乗り越えていく。
何も悪いことなんてない。

それで現実と向き合えるのなら、そのどれもが大事な要素だろう。
息抜きを本気で楽しむことは、大人であるための大切な行為なんだと思う。

助けてくれた人へ感謝すること。
人と痛みを分かち合うこと。
自分のしたいと思った善意はすること。(これは注意があるが)
そういったものはすべて子供でも出来ることだと思う。

どうしても向き合わなければならない現実と対峙すること。
やはりそれが「大人の部分(要素)」であり、自立なんだと思う。
ただ、そこにはどうしても痛みが伴う。逃げた方がいいときもある。
逃げるべきか、逃げないべきか。判断が付かずに悩むこともザラにある。
酷いときは、その思考すら奪われることもあった。

そういうときは深呼吸が必要なんだと思う。
それは立ち止まることなのかもしれない。
先に挙げた娯楽なのかもしれない。
その時は本能に従ってください。
自分が何をしたいのか。

この選択だらけの世の中では、結局どの道を選んでも「現実」と対峙しなければならない。

だからたまには息を抜いてください。
現実と、自分と対峙することは、どの道を選んでも変わらないのだから。
それはどんなときでも「大人」であるため、生きていくためには重要なことだから。



無理しない程度に向き合いましょう。



――――あなたにとって、大人とはなんですか……?



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