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【書評】齋藤孝『読書力』が読書力のない人に届かない悲しみ

ロッシーです。

齋藤孝『読書力』を読みました。

本書に「要約を言えることが読んだということ」という記載がありましたので、それにのっとり簡潔にまとめました。↓↓↓

  • 読書はしてもしなくてもいいものではなく、しなければならないもの

  • 本書で対象とするのは「精神の緊張を伴う読書」であり、娯楽としての読書ではない

  • 読書は自己形成にとって強力な手段である

  • 読書はスポーツと同じ身体的行為であり、上達のプロセスがある

  • 日本は「読書立国」であり、教育の高さの現れの一つが「読書力」である。

  • これまで日本人は高い読書力を維持してきたが、昨今の読書人口の低下により日本の地盤沈下が起きており、それを食い止める最良の手だては読書力の復活にある

以上です。

さらに一言でまとめると、

「読書、しようぜ!」

ということです。大谷選手の「野球、しようぜ!」みたいですが(笑)。

ちなみに、本書の基準によれば、私は「読書力がある人」認定されたといっても間違いではないでしょう。ありがとうございます!


さて、本書を読んで思ったことを述べます。

確かに読書の重要性については私も賛同します。しかし、現代社会において読書文化の復興はなかなか難しいでしょう。

通勤電車で周囲を見れば、本を読んでいるのは私くらいで、ほとんどの人がスマホを眺めています。その中には電子書籍を読んでいる人もいるかもしれませんが少数でしょう。

時代を戻そうとするのは無理なのです。それはまさしく過去をやり直そうとしたジェイ・ギャッツビーと同じ行為なのではないでしょうか。

もちろん、著者の気持ちは分かります。

読書の素晴らしさを身をもって体験してきた方だからこそ、本書でそれを伝えたかったのでしょう。読書に対する著者の熱い想いがバシバシと伝わってきましたから。

しかし悲しいかな。本書のターゲット層、つまり本を読む習慣のない人達が本書を手に取ることはほぼないのが現実です。逆に、本書を読むのは、すでに読書力がある(自画自賛)私のような人達です。皮肉なものですよね。

それに、仮にターゲット層が本書を手に取ったとしても、読書をするようにはならないでしょう。

例えば野球が嫌いな人がいたとしましょう。その人に、

「野球は素晴らしいぞ!野球をすれば野球力が身に付くぞ!野球力が身に付くとあんなことやこんないいことがあるぞ!」

と言っても、そもそも野球に興味がない人はやらないでしょう。読書もそれと同じです。

私自身の考えですが、「〇〇力を身につけようとして〇〇をする」というよりも、「〇〇が好きでしていたら、結局〇〇力が身についてしまった」というほうが自然なありかただと思っています。

著者自身、「読書力を身につけるぞ!」と思って読書をしてきたわけではないと思います。

膨大な読書をしてきた結果、過去を振り返って、「ああ、今の自分を形作ってきたのは読書のおかげだったんだ」と思ったのが実態ではないでしょうか。

だから、読書力がいくら重要だとしても、それを身につける目的で読書をするのは、違和感があるのです。

これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。 これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。

論語

という言葉がありますが、まずは自分が読書を楽しむことからスタートすることが大事なのではないでしょうか。

そして、自分が読書を楽しんだら、その楽しさをほかの人に伝えたらいいと思います。それこそ簡単にネットでできる時代ですからね。

ということで、私はいままでどおり読書を楽しみつつ、たまにnoteに書評記事をアップしようと思います。

読書力があろうがなかろうが、読書という生涯にわたって楽しめることがあること。それが一番大切なのではないでしょうか。

ホントに読書はオススメです。

読書、しようぜ!

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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