【書評】ディケンズ『大いなる遺産』を読む。お金よりやっぱり愛?
ロッシーです。
この前『二都物語』を読んだので、今度は『大いなる遺産』(新潮文庫版)を読みました。
『大いなる遺産』は、色々な読み方ができて面白い小説だと思いました。
※以下、ネタバレもあるのでご注意ください。
『大いなる遺産』は、『グレート・ギャッツビー』と対比させると面白いと思います。
ちょっと両者を比べてみます。
●『大いなる遺産』の主人公ピップは、エステラを追い求める。
●『グレート・ギャッツビー』のギャッツビーは、デイジーを追い求める。
●ピップは、ド貧乏から財産を譲り受けることとなり、一気に富裕層へ。
●ギャッツビーは、ド貧乏からド根性で成り上がって富裕層へ。
●ピップは結局のところ、エステラと結ばれることはない。
●ギャッツビーは、デイジーと結ばれることはない。
こうやって見てみると、両者は結構似ていると思いませんか?
違いがあるとすると、ピップは死なないが、ギャッツビーは死んでしまうという点が挙げられます。
なぜそのような違いがあるのか?
これは私の勝手な考えですが、
「ピップには、ジョーという存在がいた。」
だから、ピップは死ななかったのではないかと思うのです。
ジョーは本当にナイスガイです。
ジョーのような愛情深い人間がいたから、ピップは一線を超えることがなかったのではないか?
そんな風に思うのです。
逆に、ギャッツビーにはそういう人間はいませんでした。
彼のそばにいたのは、マイヤー・ウルフシャイムのような怪しげな人間でした。ニックにしても、愛情深いというよりは、物語を俯瞰して説明するための存在であってジョーの代替にはならないと思います。
愛の力によって、ピップは死ななかったといえなくもないのかな?と思うのです。
さて、ピップもギャッツビーも、お金を手に入れれば何かが手に入ると思っていたのだと思います。
でも、二人ともお金は手に入れましたが、一番欲しいもの(女性)は手に入りませんでした。
逆に、お金に縁がなく、いわゆる紳士でもないジョーは、ビディと結婚をします。二人が幸せな結婚生活を送ることは容易に想像できるでしょう。
この部分、なかなか考えさせられるのではないでしょうか。
「お金よりやっぱり愛だよ、愛。」
という使い古されたセリフをここで繰り返したいわけではありませんが、なんだかんだいっても、
「やっぱりそういうのって確かにあるんだよな~」
と思わずにはいられませんでした。
お金を沢山もっているから、スーツをパリッと着こなしているからといって、紳士なのかというと、そういうものではないでしょう。
お金の多寡に関係なく、本当の紳士というのはジョーのような人間なのではないでしょうか。
「自分の仕事に誇りをもって、つつましくとも幸せな家庭をつくる。やっぱりそれが王道なんじゃないの?」
というのがディケンズのメッセージなのかもしれません。
『クリスマス・キャロル』では、
「ケチケチしてカネため込んで死ぬ人生なんてク〇だろ?」
『二都物語』では、
「愛する人のために死ねるような男になれよ。」
というメッセージだと勝手に解釈していますが、ディケンズって
「人として大切なこと忘れんなよ!それが一番大事なんだよ。」
ということを言いたかった人なのではないかと思うのです。
産業革命により、経済が発展する一方で格差や貧困の問題が深刻化するなか、人が人らしくなくなってしまうという危機感が、彼にはあったのかもしれません。
だからこそ、それ以前の本来の人間の在り方や、生き方を大切にしてほしいという想いをこめて、物語を創ったのかもしれないな~と勝手に想像するのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!
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