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大雨の日トンネルを越えて
小学3年生の頃、同じクラスの友達と遊ぶ約束をした。学校から家までの道のりは小さな歩幅で40分〜50分はかかるところを、早歩きと時折走って30分。
ランドセルを置いて、自転車に乗る頃には大きな雨粒が強く降り出して顔が痛かったけれど、その子のお家で遊ぶのは初めてで、そんなことは気にならないくらいご機嫌だった。
通学路でもある長くも短くもないトンネルは、坂と坂の間にあった。蛍光灯は仄暗く、その周りを
食卓に住み着いていたもの
家族と囲む食卓が私は大嫌いだった。
父と母、そして私の3人家族での食卓はお茶碗は人数分、おかずは一品で大皿に盛られ、たまに汁物がある。
私が小学3年生までは、月に何度かの週末に10人は囲めるであろう低くて重い木のテーブルの上にたくさんのおかずが並べられ、(決まってそこには水餃子と蒸した豚肉があった。)家族ぐるみの付き合いになっていた母の友人達との食事会があった。
いつからかそのテーブルはベラ
依存先にならなかった人
中学2年の夏休みの間、私は長女の家にいた。
次女から買い与えてもらった携帯で友達との約束を作っては、放任主義な長女のお陰でほとんど毎日夜遊びをしていたように記憶している。
その人は、いつもその場にいた。
Bが付き合っていた1個上の先輩の友達。(仮にKとする)目付きが悪く痩せていて、陰湿そうな雰囲気と舌っ足らずな喋り方で、無表情と笑顔のギャップがある人だった。
中1、中2と続けて同じクラスで当
手首につけた躊躇い傷
中学2年生、梅雨入り前。
木々が生い茂り、小さな川が流れ、古くて小さな家屋が並ぶ村のような場所。お風呂は無く、石鹸類は持ち込み禁止。到着したら予め決めてあったグループで家屋に入り、掃き掃除と水拭き掃除を始める。食事も自分達で協力し合って作るというような、1泊の野外学習があった。
夕食の後にはキャンプファイヤー、その後に男女でペアになり森の中に入って肝試しをするという、チャラけた学年主任考案の自
全ての言葉を飲み込んで
次女の家から電車で地元の中学までは、乗り換えが1回。合計10駅もないくらいだった。
毎朝砂糖が入ったホットミルクと菓子パンを用意してくれる次女が母だったらと想像した。一緒にお風呂に入っては髪を洗ってもらったり、リクは可愛いから危ない目に合わないようにと兄に送り迎えをするように言う次女が頼もしく、尚更私はくすぐったくて幸せな気持ちでいた。基本的に料理や洗濯などの家事は、仕事をしていない兄がやってい