全ての言葉を飲み込んで


次女の家から電車で地元の中学までは、乗り換えが1回。合計10駅もないくらいだった。

毎朝砂糖が入ったホットミルクと菓子パンを用意してくれる次女が母だったらと想像した。一緒にお風呂に入っては髪を洗ってもらったり、リクは可愛いから危ない目に合わないようにと兄に送り迎えをするように言う次女が頼もしく、尚更私はくすぐったくて幸せな気持ちでいた。基本的に料理や洗濯などの家事は、仕事をしていない兄がやっていた。

歪な家族ごっこは所詮ごっこでしかなく、続くわけもないのに私はこの頃、浮かれていたんだと思う。ふわふわした気持ちで登校出来た期間は長くはなかった。

担任から今の状態は異例で、本来であれば転校しなければいけない。両親がいる家に戻ってこの学校に通うのか、次女の家の近くの中学に通うのか、早めに決めるよう言われた。

その事を次女に伝えると、私が何故次女の家に住むことになったのかも知った。

母と父の元へ帰ってから、私達が気掛かりで毎週末遊びに来ていて、その時の私はいつもどこか一点を見つめ表情がなく、話しかけても頷くか首を横に振るかで様子がおかしかったらしい。実際私はおかしくなっていたのだと思う。実家に戻ってからの出来事の記憶が全くなかったから。そんな状態の私を放っておくことが出来ず、両親の元から離す決意をした。「だから、リクが転校したいのであればお姉頑張るから。したいようにしていいからね。」

どうしたらいいのか、わからなかった。両親の元には戻りたくない。今の平穏から離れたくない。でも転校することになったらお金がかかる。考えてみるとだけ返事をしたその週から、家族ごっこは少しづつ崩れていった。

兄の送り迎えはいつしか無くなっていって、朝は起きてこなくなった。冷たい牛乳と、棒状の6個入りだか8個入りだかのミルクパンを1個だけ食べて家を出ることが当たり前になった頃。

部活に行こうと体操着に着替えて下駄箱へ向かうと、そこには両親揃って立っていた。
(あれ、リクのお母さんとお父さんじゃない?)という友人の声も、私を見つめる両親のことも無視してグラウンドに向かった。次女は時々両親と電話していたけれど、私は実家を出てから一切話していなかったからどうすればいいかわからず、逃げるように無視をした。受け入れ難い状況だった。



グラウンドで走っていると名前が呼ばれ、校長室へ来るようにとアナウンスが繰り返された。

校長室の扉を開けるのが嫌だった。
このまま次女の家に帰ろうかとも考えた。

そこには校長先生がいて、ローテーブルを挟んで向かい合わせのソファーに学年主任と担任、両親が座っていた。刺さる視線が怖くて足元を見てた。

学年主任に促され両親の間に座った瞬間、左にいる父から、右にいる母から、絶えず言葉が投げられ、何も言えず、言う間も与えられず、次から次へと溢れてくる涙を止められないまま、あっという間に私は過呼吸になった。

それでも両親の言葉は止まなかった。2人はずっと同時に喋っていて、これ以上耐えられない、いっそ殴り殺してくれと叫び出したかった。物理的な痛さの方が何倍もマシに思えて、殺して欲しかった。誰も口を挟めない勢いと、飛び交う中国語に先生達はその様子をじっと傍観していることしか出来なかったんだと思う。

どれだけ次女に迷惑がかかっているのかわかってるのか。帰ってきなさい。次女が泣いて電話してきたぞ。わがまま言わないで。これ以上迷惑かけないで。どれだけお前にお金がかかるのか考えられないのか。毎日電車賃がかかるんだよ。なんでそんな風なんだ。次女だって自分の生活があるんだよ。迷惑なんだよ。いい加減にしなさい。お前の口はなんの為についてるんだ。なんとか言え。泣いてたって仕方ないでしょ。帰ってこい。いい加減にしなさい。泣くな。恥ずかしいからやめなさい。何とか言え。なんで喋らないんだ。何か言って。言わないと分からないでしょ。

やめて、お願い。やめて、もうやめて。言葉が、息が出来ない。救けて。殺して。

永遠に思える生き地獄で私が死ぬことは許されなかったし、ちゃんと生きていた。耳はずっと言葉を拾い続け、奥底へ届ける。パンクしそうなのにしそうにない頭と、潰されてもまだ形の残る心、鋭い痛みを感じているはずの私の身体に見える傷跡は、流れる血は、どこにもなかった。

学年主任が「お父さん、お母さん、リクの話も聞いてやって下さい。」そう言ってやっと言葉が止んだ。私のものとは思えない女々しい嗚咽だけが響いて、耳障りだった。

途切れ途切れ言えたのは「時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと帰るから少しだけ待って欲しい。」だった。時間なんてかからない。帰れと次女に言われたも同然な私にかけられる時間なんてない。どこにいればいいのか、どこが私の居ていい場所なのか。確かなことはそんな場所、そもそもなかったことと私が選べるわけがなかったことだ。

次女宅へ帰ってからは、何度も謝られた。
通学の電車賃がキツくて、生活もキツくて。
1日の往復で千円以上する。食の細い私に見栄を張り続ければ食費も嵩む。でもそんなこと、わかっていたことじゃないのかな。こんな形で帰すなら、始めから温かい家族の真似事なんてほしくなかった。希望を持たせないでほしかった。

転校させてあげたいけどそんなお金もない。情けない、頼りにならない姉でごめんね。
きっと付き合っていたおじさんに頼んだけど、駄目だったんだね。泣くんだね。ずるいな。見たくもなかった夢を散々見せて少しづつ減らして、最後はこれって残酷だよね。頼りになる姉を演じている間、さぞ気持ちよかったことでしょう。

私は全ての言葉を飲み込んで、上手に笑ってわかったよと言えたと思う。この頃が生きた中で1番辛く、苦しかった時期に思ってた。初めての投稿【赦されたい少女】の出来事はこの後くらいだったように記憶している。

何故生きているのか、何故死なないのか、何故産まれたのか、そんなことばかり考えては生きる為の義務みたいなものだけを適当にこなしていた頃。


お陰様で、大人になった今でも怒りを含んだ矢継ぎ早の言葉、1対不特定多数の状況、怒鳴り声は苦手でドキドキする。不安定な時には涙が止まらない。

過去の記憶を手繰り寄せ、文章にするようになってから気付いたことがたくさんある。どんどん長くもなってきて、打ち込んだ後の疲労感は凄まじい。だけど今の私が独りじゃないことが有難く、とても誇らしい。

たくさんの気付きを今はまだ、ちゃんと文章にすることが出来そうもないけれど、それもまたいつか言語化できる日がくると思う。
そんな未来に少しばかり期待している。

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